上野 不忍池 蓮

昨日 報告した「 清水観音堂 」から「 不忍池 」に移動します。  結果からですが 早かった様ですが 幾つもの 蓮 を鑑賞出来ました。  

「 不忍池 」は、江戸時代 浮世絵に描かれるほどの「 蓮の名所 」でした。
23-2.jpg
23.jpg
22.jpg

少し 時間を遡ります。  かつて「 古石神井川 」が「 武蔵野台地 」の東端を割って海沿いの低地へと注ぎ出ていた開口部で、川の東岸に当たる「 上野台地( 上野のお山 )」や西岸に当たる「 本郷台地( 東京大学のある台地 )」、そして南岸の「 神田山( 駿河台 )」等と比べると10m以上もの低い谷あいに位置していました。    縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であり( 日比谷公園も昔は東京湾の入り江でした )後、海岸線の後退と共に取り残されて、紀元数世紀頃に池になったと考えられています。   その為この低地を「 忍ヶ丘( しのぶがおか )」と呼び、地名に因んで「 不忍池 」と言われていますが、周囲に笹が多く茂っていたことから「 篠輪津( しのわず )」が転じて不忍になったという説や、ここで男女が忍んで逢っていたからという 諸説があります。

昨日も書きましたが、寛永2年( 1625 )天海大僧正が、京都を偲び、西の比叡山延暦に対応させ、この地に「 寛永寺 」を建立し「 不忍池 」を「 琵琶湖 」に見立てて作りました。
21.jpg
当初の「 弁天島 」は文字通り船で「 渡る島 」で、寛文12年( 1627 )に弁天島と現在の上野公園との間に「 石橋が架けられ 」徒歩で渡れるようになりました。
DSC_7971.jpg

明治時代の初期までの池の形は現在のものとはかなり異なっており、特に池の北側は今よりもかなり広く「 藍染川( 谷田川 )」という川も注いでいましたが、明治17年( 1884 )競馬場の建設に伴い埋め立てが行われて現在の形が出来上がったのです。
27.jpg
24.jpg
   
「 蓮の名所 」だった「 不忍池 」も、戦時中に食糧難の為に、池を埋めたてて水田にしてしまいましたが、戦後「 不忍池 の 復旧作業 」が始まり、昭和30年代になってようやく復活し、以後、毎年花を咲かせ、都内でも「 蓮の名所 」として 多くの人に親しまれようになったのです。

以下 不忍池と蓮の写真です。
00.jpg
00-1.jpg
03.jpg
04.jpg
05.jpg
06.jpg
06-1.jpg
07.jpg
08.jpg
09.jpg
10.jpg
12.jpg
15.jpg
16.jpg
17.jpg
19.jpg
20.jpg

「 不忍池 」を一周出来る この遊歩道は、先程 書いた 競馬場の馬場の痕跡です。
01.jpg
02.jpg

8月に入って もう一度 訪ねる予定です。  

帰りも「 京浜東北線 」に乗車、真っ直ぐ帰宅の予定でしたが列車の中で、以前FaceBookで「 レインボーブリッジの遊歩道 」の事が書かれていたのと、テレビで「 お台場 」が放送されたのを思い出し、急遽新橋駅で下車しました。  この事は 次回 報告 します。

"上野 不忍池 蓮" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント