橫浜 山手西洋館 巡り

過去 何回か 橫浜の山手にある「 西洋館 」に就いて お話ししたことがありました。

秋空の下 家に居るのも 勿体ないので、散歩がてら 出掛けました。  山手に行くのは 今年か初めてです。
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何時もは みなとみらい線「 元町中華街駅 」で下車し「 港が見える丘公園 」からスタートするのですが、今回は JR根岸線「 石川町駅 」で下車し、「 ブラフ18番館 」からスタートする事にしました。
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橫浜線「 桜木町駅 」で、根岸線に乗り換え「 石川町駅 」で下車。  元町に向かい 途中から坂道を上ります。
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途中見えるのが「 フェリス女学院 」です。
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個々の建物を訪ねましたが「 建物の中 」には入っていません。

【 ブラフ18番館( 横浜市認定歴史的建造物 ) 】
「 イタリア山庭園 」の一郭に移築された「 ブラフ18番館 」は、関東大震災後に 山手町45番地に建てられた外国人住宅です。  戦後は天主公教横浜地区( 現力トリック横浜司教区 )の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3年( 1991 )迄使用されて来ました。  建物は木造2階建てで、両階共中廊下型の平面構成で、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅の特徴を残しながら、外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています。   また、解体時の調査により、震災前に建築された山手45番地住宅の一部が震災による倒壊と火災を免れ、部材として利用されていることが判明しました。  平成3年に横浜市が部材の寄付を受け平成5年に、山手イタリア山庭園内に移築復元しました。   館内は震災復興期( 大正末期~昭和初期 )の外国人住宅の暮らしを再現し、元町で製作されていた当時の横浜家具を復元展示し、平成5年から一般公開されています。  今回は裏門から入りました。
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銀杏が紅葉すると
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【 外交官の家( 重要文化財旧内田家住宅 ) と イタリア庭園 】
「 外交官の家 」は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官「 内田定槌 氏 」の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43年( 1910 )に建てられました。   設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナーです。  旧内田邸は、海外暮らしが長かった定槌氏の意向を反映して、当時の日本人住宅としては珍しく徹底した洋風化が図られました。  建物は木造2階建てで塔屋が付き、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。  室内は1階に食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感 溢れる部屋が並んでいます。 これ等の部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠と共に、アーツ・アンド・クラフツ( 19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動 )のアメリカにおける影響も見られます。  平成9年( 1997 )に横浜市は、内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの舘の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元し一般公開しました。   そして同年、国の重要文化財に指定されました。
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「 山手イタリア庭園 」は、明治13年( 1880 )から 明治19年( 1886 )迄 イタリア領事館が置かれたことから、イタリア山と呼ばれ、現在 水路や花壇を幾何学式に配したデザインの公園で、整形花壇では四季折々の花、植栽を楽しむ事が出来るイタリア式庭園となっています。  平成5年( 1993 )ブラフ18番館、平成9年( 1997 )には外交官の家が移築されました。  花壇には、バラの季節には姉妹都市のリヨン市から贈られたプレステージ・ドゥ・リヨンが咲いています。  何時行っても この庭から 外交官の家 を描いている方達を多く見ます。  青空・庭園・噴水・外交官の家 確かに絵になります。
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珍しく富士山が見えました。
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此所から「 港が見える丘公園 」に向かって歩きます。  山の手を歩くと 個人の家も この街にマッチした家が方々に見当たります。
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途中で右折します。  

【 フェリス女学院大学 】
明治3年( 1870 )、アメリカ改革派教会の宣教師 メアリー・E・キダー が、ヘボン施療所で、女子を対象に英語の授業を開始しました。 これが女子校として最も古い歴史を持つ「 フェリス女学院 」の発祥となりました。( 後に男子部は明治学院となる ) 明治8年( 1875 )、アメリカ改革派教会外国伝道局総主事であったフェリス父子の支援によって、横浜・山手178番に校舎・寄宿舎が落成、「 フェリス・セミナリー 」と付けられ、フェリス女学院中学校・高等学校の基となりました。  その後、昭和22年( 1947 )に専門学校を設置し、これを昭和25年に短期大学に改組、同40年に4年制の女子大学が誕生しました。 モットーは「 For Others( 他者のために )」という意味で、新約聖書のフィリピの信徒への手紙中、「Do not merely look out for your own personal interests, but also for the interests of others.」に由来します。  所謂名門お嬢様学校として有名で、映画でも取り上げられています。  「 ハマトラ( ファッション ) Yokohama Traditional の文化 」を生みました。
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【 山手68番館 】
昭和9年( 1934 )に建てられた平屋建てで、下見板張りと開放ベランダをもつバンガロースタイル外国人向け賃貸住宅の一つでした。 震災後に建てられた外国人向け貸家の条件は、暖炉用ラジエーター、電熱、瓦斯、給湯設備などが整っていることが求められていました。 当初は山手68番の奧まった位置に有りましたが、現在は日本テニス発祥の地である山手公園内のテニスコートのクラブハウス、管理事務所として昭和61年( 1986 )に移築され、再生・利用されています。 ローンテニスは明治7年( 1874 )英国で始まったが、2年後の明治9年には日本にも伝わり、この山手公園で始められたと言われています。   明治11年( 1878 )にはレディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブと当時では珍しい女性だけのスポーツ団体が設立されました。   明治末には軟式テニスが全国に広まっており、横浜ではフェリス女学院や捜真女学校、Y校などでプレイ-されていました。  硬式テニスは大正時代になってから普及しました。
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【 日本で最初の西洋式庭園、テニス発祥記念館 】
神奈川県横浜市中区山手町230.に位置する、日本初の西洋式庭園で、明治3年( 1870 )に外国人専用の公園として開園。園内に横浜山手テニス発祥記念館がります。
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【 カトリック山手教会 】
キリスト教カトリックの教会および聖堂です。  禁教令の緩和直後、横浜居留地( 現在の山下町 )にパリ外国宣教会が創建した横浜天主堂が、明治39年( 1906 )現在地に移転しました。  関東大震災で倒壊しましたが、ヤン・ヨセフ・スワガーの設計により昭和14年( 1933 )に再建されました。  山手通りから 柵越え に写真を撮っていたら、協会の関係者の方が中に入って撮っても良いですよ とのことで有り難く撮らせて戴きました。
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【 フェリス女学院の中学校・高等学校 】
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【 末日聖徒イエス・キリスト教会 】
末日聖徒イエス・キリスト教会( まつじつせいとイエスキリストきょうかい )は、文政13年( 1830 )アメリカ合衆国にてジョセフ・ スミス・ジュニアによって立ち上げられたキリスト教系の新宗教であり、通称モルモン教といわれています。   本教会では、大正10年( 1921 )に建設され、横浜市指定文化財でもある旧露亜銀行横浜支店の建物をリニューアルし、平成23年( 2011 )に、生演奏の音楽やオルゴールセレモニーなどの音楽の演出が出来る結婚式場「 la banque du LoA( ラ・バンク・ド・ロア )」としてオープンしています。   横浜では数少ない関東大震災 )以前の建物です。
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【 ベーリックホール 】
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5年( 1930 )に建てられました。  第二次世界大戦前迄は住宅として使用された後、昭和31年( 1956 )に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年( 2000 )迄、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。  現存する戦前の山手外人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。  モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。   600坪の敷地に立つ「 ベーリック・ホール 」は、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。  平成13年( 2001 )、横浜市は建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収すると共に、建物に就いては宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14年から建物と庭園が公開されています。  横浜の西洋館の 館長さんは 殆どが女性の方で、この建物の ダイニング は女性のスタッフの方々で四季折々の飾り付けがされています。
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【 横浜雙葉( ふたば )中学校・高等学校 】
キリスト教系( カトリック系 )の私立女子中学校・高等学校です。  高等学校において生徒を募集しない完全中高一貫校です。  田園調布雙葉学園と雙葉学園を含め「 女子御三家 」の一つとして、神奈川県の「 女子御三家横浜( 雙葉・フェリス・横浜共立 )」の一つです。
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【 山手80番館 遺跡 】
エリスマン亭の裏側にあり、横浜に現存する唯一の震災前の外国人住宅の遺構です。  この赤レンガの構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていた所です。  この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅の他、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築が建ち並んで「 異人館の街 」を作っていましたが、今なおその面影を残しています。  本遣跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大地震による被害状況を物語っています。  現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽をも備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりを伺い知ることが出来ます。
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【 エリスマン邸 ( 横浜市認定歴史的建造物 )】
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人だった、スイス生まれの「 フリッツ・エリスマン氏 」の邸宅で、大正14年( 1925 )から15年に掛けて山手町127番地に建てられました。  当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。   屋根はスレート葺、階上下見板張り、階下竪羽目板張りの白亜の洋館でした。   煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家.ライトの影響も見られます。  昭和57年( 1982 )マンション建築のため解体されましたが、平成2年( 1990 )元町公園内の現在地( 旧山手居留地81番地 )に再現されました。
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この建物を見ると 親友 かっちゃん と一緒に食べた 名物「 生プリン 」を思い出します。  超 甘かった!
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【 えの木てい 】
昭和2年( 1927 )に建築された山手を代表する西洋館です。  150年以上昔のアンティーク家具など古き良き横浜の雰囲気を大切に受け継ぐ空間が今も残されています。   1階はカフェとなっており、館に茂る榎の大木を眺めながら戴くチーズケーキやチェリーサンドは横浜を象徴する味です。  2階は個室とスィーツショップがあります。
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【 山手234番館 】
昭和2年( 1927 )頃、外国人向けの「 アパートメントハウス 」として建設されました。  3LDKの間取りは、合理的で且つコンパクトに纏められています。  現在はギャラリー展示や会議などに利用されています。
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【 山手聖公会 】
プロテスタント・日本聖公会の教会堂で、日本聖公会横浜教区( 主教座聖堂は同市神奈川区の横浜聖アンデレ教会 )に属する教会です。
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【 公衆電話 】
この公衆電話ボックスは、明治23年( 1890 )に、横浜 - 東京間で始まった電話業務の100周年を記念して平成2年( 1990 )に設置されたもので、明治33年( 1900 )に東京の京橋に初めて設置された白い六角形の屋外用公衆電話ボックスが復刻再現されたものです。  当時は「 公衆電話 」で無く「 自動電話 」と呼ばれ、山手では明治35年( 1902 )に、山手本町公会堂( ゲーテ座前 )に初めて設置されました。
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【 山手資料館 】
明治42年( 1909 )に建てられた「 和洋折衷型住宅 」の洋館部分を移築した資料館です。  館内には、文明開化の頃を偲ばせるギヤマンと呼ばれるガラス工芸品、幕末に来日したイギリス人が描いたポンチ絵と呼ばれる漫画、横浜浮世絵、古地図など数々の歴史的なコレクションが展示されています。
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【 ブリキのおもちゃ博物館 】
昭和61年( 1986 )に開館。  館長は「 何でも鑑定団 」でお馴染みの「 北原照久 」氏です。  北原氏によるコレクションされた玩具約3千点が展示されています。
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【 山手十番館 】
明治百年祭を記念して昭和42年( 1967 )に開館された 老舗フランス料理店です。
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【 山手外国人墓地 】
19世紀から20世紀半ばに掛けて40ヶ国余、4、400人余りの外国人が葬られています。  嘉永7年( 1854 )に、横浜港に寄港していたアメリカ海軍の水兵ロバート・ウィリアム( 当時 24歳 )がフリゲート「ミシシッピ」のマスト上から誤って転落死したため、海の見える所に墓地を設置して欲しいというペリー提督の意向を受け、横浜村の増徳院の境内の一部に設置されたことに由来します。  その後も外国人死者がその付近に葬られ、文久元年( 1861 )に外国人専用の墓地が定められました。  基本的に内部は非公開ですが、土曜日、日曜日と祝日は公開されています。
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【 橫浜地方気象台 】
この建物は、昭和2年( 1927 )に完成したもので、アールデコ調の細部装飾が特徴です。  アールデコは1910年~1930年頃にヨーロッパやアメリカを席巻したデザインで、直線や幾何学模様の意匠を使った実用的でモダンな装飾様式です。  それまで重厚かつ華美な建築デザイン中心だった横浜の公共建造物の中で、シンプルな横浜地方気象台は当時、斬新でとてもモダンなスタイルと見られたでしょう。
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【 岩崎博物館 】
日本初の西洋式劇場「 ゲーテ座 」をモチーフにした外観でお馴染みの岩崎博物館( ゲーテ座記念 )。  横浜山手のファッションとアートのミュージアムで、 ギャラリー、ホール、カフェ、ドレス撮影コーナーがあり、ギャラリー・ホールの 貸し出しも行っています。
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【 山手111番館 ( 横浜市指定文化財 )】
イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの洋館が「 山手111番舘 」です。  広い芝生を前庭とし、口一ズガーデンを見下ろす建物は、大正15年( 1926 )にアメリカ人 ラフィン氏の住宅として現在地に建てられました。  大正9年( 1920 )に来日したモーガンの代表建築の一つと言われています。  赤い瓦屋根に白壁の建物は地階がコンクリート、地上が木造2階建て洋風小屋組みの寄棟造りです。  創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピンクポーチを配していました。  横浜市は、平成8年( 1996 )に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事を行い平成11年( 1999 )から一般公開しています。
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【 横浜市イギリス館 ( 横浜市指定文化財 )】
昭和12年( 1937 )に上海の大英工部総署の設計により、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。  鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と規模の大きさは、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられる風格のある施設となっています。  東側に付く付属屋は使用人の住居として使用されていました。  玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版( ジョージⅥ世の時代 )や、正門脇の銅板( British Consular Residence )が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。  昭和44年( 1969 )に横浜市が取得し、1階ホールはコンサートホールに、2階集会室は会議等に利用されています。
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【大佛次郞記念館 】
港の見える丘公園の展望台の南側に広がる沈床花壇の奥にアーチ型の屋根と赤レンガの外観が一際目立つ館です。  横浜ゆかりの作家「 大佛次郎 」の業績と生涯を様々な資料で紹介しています。   大佛次郎は横浜で生まれ、そして横浜を最も多く描いた作家です。 代表作の一つに「 鞍馬天狗 」があります。
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【 港がみえる丘公園 】
横浜港を一望出来るこの公園は昭和37年( 1962 )開園しました。  名称は 昭和22年( 1947 )当時 新人歌手であった「 平野愛子 」が歌った終戦直後の流行歌「 港が見える丘 」に由来します。 「 いしだあゆみ 」が歌った「 ブルー・ライト・ヨコハマ 」は港の見える丘公園から見た横浜と川崎の工業地帯の夜景をイメージしたものだと言われています。
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この後 外人墓地に沿って 谷戸坂 を下りると 目の前に 老舗パン屋「 ウチキパン 」があります。
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何故 逆さまに 西洋館を巡ったかと言いますと、最後に パンを買うのが目的です。  先に寄ると 持って歩くことになりますから。

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