承天寺に行きました

博多と言えば 食の宝庫です。  明太子、鳥の水炊き、もつ鍋、博多ラーメン、饂飩( うどん )、鉄鍋餃子、焼き鳥、鶏皮 と枚挙に遑がありません。  更に夜の名物 屋台、歓楽街 中洲
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そして夏の祭り 博多祇園山笠、少し 博多を知っている人なら博多織、博多人形 等があります。  それ等に縁のあるお寺が「 承天寺( しょうでんじ )」ですが、意外に知られていないのです。

博多駅から 地下鉄で 次の駅「 祇園 」で下車。  歩いて5分程度の所に、山号は「 萬松山( ばんしょうざん )」で「 臨済宗東福寺派 」のお寺「 承天禅寺( じょうてんぜんじ 、以下承天寺 )」があります。  食( 麺 )に縁があるお寺で、一度 訪ねたいと思っていたので、酷暑の中行って来ました。
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開山( 寺を建てた人 )は「 聖一国師 円爾弁円( しょういちこくし えんに べんねん )」で
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「 大宰少弐( だざいしょうに )、 「 藤資頼( むとうすけより )」が 円爾弁円 を招聘し、宋出身の貿易商「 謝国明( しゃこくめい )」の援助により「 仁治3年( 1242 )」に創建されました。  寛元元年( 1243 )には「 勅願所官寺( ちょくがんしょがんじ : 国家鎮護などを祈願した神社や寺院 )」となりました。  安置されている「 釈迦三尊像( 禅家六祖像、銅鐘 )」は国の重要文化財に指定されていますが、一般公開はされていません。  又 本堂の方丈の前に 有名な石庭「 洗濤庭( せんとうてい )」がありますが、これも一般公開されず立ち入り禁止となっています。  尚 円爾弁円 は、後に上洛し 京都「 東福寺 」を開山し、逝去した後には「 花園天皇 」から国師号を与えられ「 聖一国師 」と称えられました。  「 承天寺 」は、最盛期には塔頭が43もあったそうですが、現在では4寺のみとなっています。

昭和38年( 1963 )、博多駅の移転に伴う区画整理により、境内は市道( 承天通り )によって北東側( 本堂、墓地 )と南西側( 山門、仏殿 )に分断されてしまいました。  

その 市道( 承天通り )に、平成26年( 2014 )6月 博多寺社町の入り口として建てられた「 博多千年門( 高さ、幅 共に 約8m )」があります。  江戸時代 博多の町の此の近くに「 辻堂口 」と呼ばれる入り口がありました。  現在の「 博多千年門 」は、そこに建てられていた 中世博多の寺社洋式の「 辻堂口門 」に似せて造られた門です。  本来の博多の町といえば、海に向かって広がる地域でした。  ですから 現在の博多駅は 随分南にずれた所にあります。  扁額は太宰府天満宮の西高辻宮司による揮毫です。
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門を潜り 少し歩くと 道の両サイドに 先程書いた「 承天寺 」があります。
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まずは 右手の「 本堂 」の方に向かいます。
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入って直ぐ左手に 3つの碑【 饂飩・蕎麦発祥之地の碑( 左側 )、御饅頭所の碑( 中央 )、満田弥三右衛門の碑( 右側 )】が建立されています。
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「 聖一国師 」は「 嘉禎元年( 1235 )に宋へ渡り、臨済宗の禅僧「 無準師範( ぶじゅんしばん )に、禅の大法を修め、仁治2年( 1241 )に帰国しました。  この時、仏法の教義以外、様々な宋の文化を我が国に持ち帰りました。  その代表的なものが、「 饅頭( うどん )、「 蕎麦 」、「 羊羹( ようかん )」、「 饅頭 」などの製法と製粉技術です。

・饂飩・蕎麦発祥之地の碑
前述の通り、中国の宋より帰国した 聖一国師 は、「 饅頭・蕎麦・羊羹・饅頭 」などの製法と共に、製粉技術も日本に持ち帰りました。  この製法・製粉技術により、日本の粉食文化が大きく発展し今日に至っています。  又、「 謝国明 」が 大晦日、貧しい人達に蕎麦を振る舞った事が「 年越し蕎麦 」の始まりとされています。
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・御饅頭所の碑
禅の布教に出向いた先の茶店に訪れると 主人から手厚い歓待を受け、その御礼に「 聖一国師 」は米麹を用いた酒饅頭の製法を教えました。  加えて「 御饅頭所( おんまんじゅうどころ )」の看板も書き与えました。  その「 看板 」は現在、老舗和菓子店である東京の「 虎屋 」が所蔵しているそうです。
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・満田弥三右衛門の碑
博多の商人「 満田弥三右衛門 」は、「 聖一国師 」と共に謝国明の船で宋に渡り、織物、朱、箔、素麺、麝香( じゃこうがん )の5つの製法を修得しました。  6年後、「 聖一国師 」と共に帰国し、これ等の製法を博多の人々に伝え、その中の織物技法だけ家伝とし「 広東織 」と称し独自の工夫を加えていきます。  長い歳月を経て、子孫が更に研究と改良を重ねて、中国における博多の呼称のひとつ「 覇家台( はかた )」を取って「 覇家台織 」つまり「 博多織 」と名付けられたと伝えられています。   後に江戸時代の「 福岡藩初代藩主 黒田長政 」が幕府への献上品としたことから「 博多献上 」「 献上博多 」、「 献上 」とも呼ばれる様になりました。
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・唐門( 未公開 )
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・洗濤庭 と 方丈( 本堂 )
中門の先にあるのが「 洗濤庭 」と「 方丈( 本堂 )」です。  ここも 一般公開されていません。  庭園の「 洗濤庭( せんとうてい )」は、玄界灘を表現した白砂と中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園です。  中門から 何とか1枚のみ撮る事が出来ました。
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奥に庭が見えます。
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公開された時の写真です。
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境内には、博多織の始祖である満田弥三右衛門、歌舞伎を旧派として対比し「 新派劇の父」と呼ばれ「 オッペケペー節 」で一世を風靡した新派俳優で芸人「 川上音二郎( かわかみおとじろう )などの墓もあるそうです。  

此所から「 承天通り 」を挟んで もう一方の境内に向かいます。
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・仏殿「 覚皇殿 」と 扁額
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・蒙古碇石
仏殿の左手前にあるのが、蒙古の軍船が碇の一部として用いた石で長さ約2メートルの「 蒙古碇石( もうこいかりいし )」。供養塔などに転用された事例もあり、珍しいものとして奉納されたと伝わっています。
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・鐘楼
延宝2年( 1674 )に博多の商家「 谷宗理 」が桜井神社から買い取って、承天寺に寄進した鐘楼です。
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山門を出ます
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・山門 と 扁額( 賜承天禅寺 )
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・勅使門
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・夏の博多を飾る祭礼・博多祇園山笠の発祥の地
駿河( 現在の静岡県 )出身の「 聖一国師 」は、宋に渡り、日本に帰国後、上陸地の博多で過ごしていました。  

博多で疫病が流行った折、お供え物を置く「 施餓鬼棚( せがきだな )」を町人が棒で担ぎ、病魔退散を祈祷しながら聖水を撒く円爾を乗せて、町中を巡りました。  このことが「 博多祇園山笠 」の始まりとされています。  山笠が奉納のために廻る円周状の道である「 清道 」が博多祇園山笠の際に重要な三つの場所に設置されます。  即ち 櫛田神社境内、東長寺、承天寺の前にも設けられますが、これは上記の言い伝えによるものです。  「 博多祇園山笠 」で、病魔退散を祈祷して聖水を撒きながら博多の町を巡った善行は「 勢い水 」とも呼ばれ、その伝統は今日に引き継がれています。
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後で気が付きましたが 境内には 順番が逆に入っていました。
明日は「 博多うどん 」に就いて書きます。

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