小机城趾を見学しました【其の壱】

毎日ニュースで報道されている「 コロナウィルスの拡散 」。  余り人混みの多い所には出掛け無い様にしていますが、三寒四温の中、ポカポカ陽気になると、「 何処か行きたい症候群 」に駆られます。

と言うことで、歩いて片道約1時間余の距離にあり、殆ど人がいない「 小机( こづくえ )城趾 」に行って来ました。
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時折紹介する散歩コースの折り返し点「 ニッサンスタジアム 」の更に先にあります。  行きは JR橫浜線 小机駅経由で、帰りは歩き といったコースを選びました。
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今日は「 其の壱 」として、城の種類、小机城の歴史と、小机駅から 小机城趾 迄の道順に就いて書きました。  明日は「 其の弐 」として 小机城趾 を、明後日は「 其の参 」として、小机城趾 から 新横浜経由 で帰った 風景を アップします。

【 城の種類 】
日本の城郭は現存する物も含め 大凡3~4万 あると言われています。  その大半は山城で、馴染みのある 石垣に天守台のある近世城郭は全体の数パーセント程度です。  この事は、自然の地形を利用した「 山城 」から、近世の「 石垣の城 」へ変化したのです。

城は大きく二つに分類出来ます。  

一つが「 中世城郭( 土造り )」と言われる「 山城 」です。  山や丘に築かれた城で、主に戦国時代 自然の山を削り、掘り、盛土をし、堀や土塁( 区画や防御のための土手 )、曲輪( 区画された平坦地 )などを造った城です。  重要なのは、全体がほぼ「 山岳等の土 」を利用したもので、建物時代は簡易的な為、遺構は残っておらず、今では見る事が出来無いのが現状です。  

もう一つは 織田信長の安土城以降、江戸時代に掛けて築かれたのが、天守台の建つ「 近世城郭 」です。  近世城郭の大半は 石造りで、平地に 高い石垣・広大な水堀・瓦葺きの建物などを備えています。
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画像出所:超入門! お城セミナー 城びと より

城はどの様な場所に建てられたかという分類で、「 平城 」、「 山城 」、「 平山城 」、「 海城 」とに分かれます。  「 平城 」は平地に建てられた城、「 山城 」と「 平山城 」との区分は そこに建てられた標高で分かれ、100m 以上を「 山城 」、それ以下を「 平山城 」と呼びます。  更に海に面した城のことを「 海城 」として分類します。

【 小机城 概要 】
小机城に就いて少し触れます。  武蔵国橘樹郡小机郷( 現在 横浜市港北区小机町 )にあった「 平山城( 38.7m )」です。  現在は「 小机城址市民の森 」として 城の遺構が整備されています。  

小机城は、「 永享の乱( 1438 - 1439 )」の頃、関東管領 上杉氏によって築城されたとされていますが、正確な築城年代は分かっていません。

この城が歴史に登場したのは、「 長尾景春の乱 」の内 文明10年( 1478 )に起きた戦いです。  山内上杉家の家宰であった「 長尾景春 」が、父の死後に家宰職を相続出来なかったことで主家に対する謀反を起こしました。  この時景春の味方をした「 豊嶋泰経 」が小机城に立て籠もり それを 太田道灌 が攻撃をしました。  鶴見川を挟んだ対岸「 亀之甲橋 」がある 現在の「 浅間神社付近 」の峰に、「 道灌 」は 亀之甲山陣城を築き、約2ケ月程で落城させたとされています。
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その後は廃城となりましたが、この地域が後 北条氏の勢力下に入ると修復され、家臣の「 笠原信為 」が城主として配置され、小机衆が組織されました。  笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招いて寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいたとされています。  その後、城主 は北条氏堯、北条氏政の弟 三郎、そして北条氏光と替わりました。  前後しますが、大永4年( 1524 )北条氏堯の時代、小机城代の「 笠原信為 」が大改修を行い前線拠点として整備されました。  天正18年( 1590 )、豊臣秀吉による小田原征伐の際に、小机城主は「 笠原虎千代 」でしたが、小机衆は小机城を放棄して、ほぼ全員が小田原城へ籠城したことで、豊臣勢は小机城には攻撃すら行なわず無傷のまま落城してしまいました。  その後、徳川家康の関東入府の時、4代目城主の「 笠原重政 」は徳川家配下となって近くの村に住むこととなり、再び廃城となりました。

平成29年( 2017 )に「 続 日本100名城( 125番目 )」に選定されました。  

小机城の跡は「 小机城址市民の森 」として整備されてはいますが、主だった城の調査は今日までされていません。  主要な二つの郭の内どちらが主郭であったかは不明のままです。  現在の表示では、西側の郭を「 本丸 」としていますが、この根拠は 平成31年( 2019 )地元で纏められた資料( 小机城に就いての江戸時代からの調査・研究を纏めた資料 )で、暫定的に決められたみたいです。  確かに 説明パネルの表記の中に「 ・・・・断定出来ない 」と明記されていました。

「 小机城址祭り 」は 毎年4月第一日曜日に行われています。  小机城 城代「 笠原越前守信為 」を始めとする勇壮な武者行列のパレードや、本丸の舞台での武者出陣式・小机城址太鼓の演奏などが披露されるそうです。  さまざまな模擬店や物産展、地元小・中学校の生徒によるパフォーマンスやお囃子等が 地元の方中心で毎年開催されますが、今年は どうなることやら。

近年「 城ブーム 」で 各地で色々なイベント等が行われていますが、ほんの一昔前 迄は「 小机城趾 」は そんなに話題になる様な城でも無かったと思います。  これは「 山ちゃん 」の個人的な見解ですが。

【 小机城趾迄の道順 】
冒頭 書いた通り、JR橫浜線の小机駅( 各駅停車しか停まりません )で下車。
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この駅は 、「 ニッサンスタジアム 」に行く 最短の駅として有名です。  と言う事で、駅は PRとして 「 ニッサンスタジアム 」を全面に押し出しています。  確かに 新横浜駅 から行くよりも 若干早いと思います。

事前に調べて行きましたが、改札口付近に「 小机城趾 」の道案内があるかと思い捜しました。  改札口を出た 正面に 大きな地図が貼られていました。
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案内のパンフレットを駅員の方に聞いたら 南口を出て 右手にある「 城郷( しろさと )小机地区センター 」で貰えますとのことで、行きましたが、コロナウィルスの影響で 今月15日迄 休館。
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でもパンフレットは入手出来ました。
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パンフレットに道順が書いて有りましたのでその通りに。
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神奈川県道12号横浜上麻生線の商店街を歩き、バス停「 小机辻 」の先を右折します。
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橫浜線の踏切の手前に 立派なお寺「 曹洞宗 金剛禅寺 」があります。
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踏切で 運悪く 上りと下りの電車に遭遇。  待つこと暫し。
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踏切を渡る途中 右手に「 JR小机駅 」が見えます。
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更に歩くと 右手に「 小机城市民の森入口 」と書かれたポールが有るので、矢印の通り 左折しします。
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真っ直ぐに進むと、民家のフェンスに「 小机城趾 市民の森 」と書かれた 手作りの案内板があるので ここを右折すると、目の前に「 小机城趾 」に行く階段が見えます。
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駅から歩いて 約20分程度の距離でした。  明日は「 其の弐 」として「 小机城趾 」に就いて書きます。

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