臨済宗円覚寺派「 浄智寺 」

「 東慶寺 」を後に、鎌倉街道を歩いて直ぐに、臨済宗円覚寺派のお寺「 浄智寺 」があります。
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浄智寺は、山号は金峰山で、「 鎌倉五山 」の第四位となっています。  創建は 弘安6年( 1283 ))。  十三世紀末頃の鎌倉は、北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が栄えた時期でした。  鎌倉幕府五代執権 北条時頼の「 三男 宗政 」が29歳の若さで弘安4年( 1281 )に亡くなり、八代執権 北条時宗が弟の菩提を弔う為に、その夫人とその子「 師時 」を開基として建てた寺です。  寺伝によると、開山は高僧「 兀庵普寧( ごったんふねい 中国出身 )」と「 大休 正念 」、準開山は「 南州 宏海 」です。  又「 鎌倉七福神の布袋尊( 家庭円満の神様 )」の参拝が出来ます。  竹や杉が多く鬱蒼として静寂な境内では、禅刹の風格を持ち鎌倉市指定文化財となっています。  総門近くの石橋のたもとに、「 鎌倉十井 」のひとつ「 寒露の井 」が残っており、名水が湧く井戸として人々に愛されていました。  仏殿の本尊は三世仏として知られています。  向かって左から「 阿弥陀如来 」、「 釈迦如来 」、「 弥勒如来 」で、各々「 過去、現在、未来 」を表すと言われています。  室町幕府の五山制度では、1342年の編成の時は「 准五山 」となっていましたが、1386年に「 足利義満 」が最終的に確定した際には「 鎌倉五山 第四位 」に列せられました。  最盛期には七堂伽藍が並び、塔頭も11寺院にも増えていましたが、鎌倉幕府が滅びて鎌倉が農漁村化すると共に次第に衰え、延文元年( 1356 )火災により初期の建物を失い、更に大正時代の関東大震災で多くの建物が倒壊しました。   関東大震災後に復元された建物だけが残っています。  現在の浄智寺には往時の勢いは無ものの、山寺の雰囲気が濃く、どこかに禅寺の面影も残り、独特の深い味わいがあります。  境内は全域が国の史跡の指定を受けています。

境内に就いて

浄智寺の境内に近づくと、総門とその手前の石の橋と池、そして左手に「甘露の井」と彫られた石柱のある鎌倉十井の一つである小さな井戸があります。  石段を登って総門に向かいます。
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総門は「 高麗門 」という形式の門で「 寶所在近 」の額を掲げています。  石段を進むと右手に受付があります。  中国式の山門です。
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中に入ると、最近新しくなった鐘楼門という形式の山門があります。
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更に進むと、右手に仏殿があり、「 曇華殿( どんげでん )」の額を掲げ、中心には三体の仏像が祀られています。   室町時代の作といわれ、中心が現在仏の釈迦如来、向かって左は過去仏の阿弥陀如来、右は未来仏の弥勒如来とのことです。  曇華殿の曇華は「 優曇華( うどんげ )」からきています。  仏教では三千年に一度花が咲くといわれ、花が咲くときには金輪王または如来が現れるといわれています。  きわめて珍しいことの譬えから、貴重なお堂、重要な仏様を祀るお堂という意味で名づけられたとのことです。
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浄智寺も寺域が背後の谷戸に深くのび、竹や杉の多い境内に、長い歴史をもった禅刹にふさわしい静寂な佇まいを保っています。
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