奈良 斑鳩の里「法隆寺」を訪ねました【其の四】

今日で シリーズは最後となります。
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『 東室( ひがしむろ、国宝 )』
「 聖霊院 」の北に繋がって建っています。  後世、補修・改造が多くされていますが、基本的には奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重です。
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『 三経院及び西室( 国宝 )』
西院伽藍の西側、聖霊院と対称的な位置に建つ鎌倉時代の建物です。  「 阿弥陀如来坐像 持国天・多聞天立像( 各重要文化財 )が安置されています。
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『 西円堂( 国宝 )』
「 西院伽藍 」の西北の丘の上に建つ「 八角円堂 」で鎌倉時代に建立されました。  この「 西円堂 」は奈良時代 養老2年( 718 )に、東大寺大仏建立の僧侶「 行基 」によって創建された寺院です。  光明皇后の母親である「 橘夫人 」が行基に御願して創建したと伝えられています。  現在の「 西円堂 」は、建長2年( 1250 )に再建された物です。
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・薬師如来坐像( 国宝 )
堂内の空間いっぱいに坐す本尊「 薬師如来坐像 」は、奈良時代の乾漆像で、像高は約2.25mです。  本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像( 重要文化財 )、千手観音立像( 重要文化財 )も安置されています。
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・ 西円堂の梵鐘
「 西円堂 」の東に位置する「 梵鐘 」で、8時、10時、12時、14時、16時に聞くことが出来ます。  詩人「 正岡子規 」はこの鐘の音を聞いて有名な句「 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 」を詠みました。
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『 綱封蔵( こうふうぞう、国宝 )』
「 聖霊院 」の東に建つ平安初期の倉庫です。  「 網封蔵 」とは、三綱( さんごう、寺院全体の管理と運営を行う3つの高位の僧職「 上座 ・寺主・都維那 」のこと )と呼ばれる高位の僧侶が封をする( 管理する )蔵を指します。  高床式の古式で造営され、綱封蔵として機能していた頃は、出入り口に梯子が都度置かれ、蔵の内部へ出入りしていたものと考えられています。  この入口を境として、南北に1つずつ蔵があり、又南北各々の蔵の出入り口は蔵内で中央に睨み合う形で造られ、風雨を極力減少させる工夫が凝らされています。  南北各々の蔵の周囲は真っ白な漆喰塗りの壁が据えられ、内側の下半分には分厚い板が据えられ、盗難防止対策と内部の収納品の破損に備えられています。  この他、屋根は化粧屋根裏式で造られ、四辺は倉庫らしく簡素な舟肘木で組まれています。
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『 東大門( とうだいもん、国宝 )』
「 西院伽藍 」から「 東院伽藍 」を繋ぐ 参道の途中にあります。  西院と東院の中間にあることから「 中ノ門 」とも呼ばれています。  創建は 推古天皇15年( 607 )で、建物は 切妻造、八脚門、一戸( 出入り口1つ )、三棟造りで、横幅は3間( 約5.5m )。 
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『 食堂( じきどう、、国宝 )』
創建は奈良時代で、一重・切妻造となっています。  建物は、桁行七間( 横幅:約14m )、梁間四間( 奥行き:約8m )の大きさです。  食堂はかつて「 政所( まんどころ )」と呼ばれた寺院の政務や事務を行う寺務所として造営されましたが、平安時代初頭に軽微な改築が行われ、現在に見るような多数の僧侶が食事をする食堂として再建されました。  集団生活を営むことが必須条件となる僧侶にとって、食堂は生活の中心的な場所でもあり、伽藍内でも重要な位置づけの場所になります。  又、「 細殿( ほそどの、重要文化財 )は、食堂前室とも言えるべき殿舎であり、殿舎は扉がなく開放されています。  元は食堂と細殿とで1つの建物として考えらえていた様で、食堂の軒先と細殿の軒先の間に「 雨桶( あまどい )」が設置されていた跡が僅かに残されています。
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『 黒漆螺鈿卓( くろうるしらでんしょく、国宝 )』
「 聖霊院 」に伝わる前机で、長い鷺脚を持つ繊細な姿形に造られています。  総体黒漆塗とし、蝶や唐草などの文様を「 螺鈿 」で表し、要所に金銅唐草彫の金物が打たれています。  平安時代の装飾性の高い大形の卓として貴重な作品で、総高は95.5cmあります。
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『 四騎獅子狩文錦 ( しきししかりもんきん、国宝 )』 
一面 緯錦( ぬきにしき )で、縦幅 2.5m、横幅 1.3mで、七世紀頃の「 唐( 中国 )」で造られた作品です。  大きな円形の主文を三個づつ五段に配した 長方形の緯錦です。  

連珠円文の中に左右相称の「 獅子狩文 」を配した独特の文様、更に人物の容貌や頭冠の形などに、ササン朝ペルシアの影響が見られますが、馬の尻部分に「 吉 」、「 山 」の漢字が織り込まれていることから、中国で製織されたものと推察されます。  複雑な文様構成ですが文様の崩れや形式化も無く、見事な織技を見ることかが出来ます。
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聖徳太子 1380年遠忌を記念して、京都の染織家「 吉岡 幸雄さん 」によって、鮮やかな赤を基調に復元されました。  吉岡さんの工房で大きな機をしつらえ、古法にのっとり「 挑文師( あやとりし )」として、吉田頼修氏が機の上にあがって、空引機をあやつって完成しました。
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4日間 シリーズでアップしました。  最後に「 動画 」も撮っているので ご覧下さい。

参考資料 : 法隆寺・御朱印、ウィキペディア、NHK法隆寺( 秘められた聖徳太子の夢、守り継がれた奇跡の伽藍 )、法隆寺ホームページ、その他 関連資料 多数。

余りにも短時間で「 法隆寺 」を知るのは無理です。  事前の知識も無いまま 見学し、帰って調べると 見落とした箇所が多数ありました。  次回は 東大寺も含めて 再訪し 少しでも深く見学してみたいと思います。

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