「 極楽寺駅 」から「 御霊神社 」へ

稲村ヶ崎駅から電車に乗って鎌倉寄りの駅「 極楽寺 」で下車。  この駅は 最近まで駅舎を修理していました。

改札口を出たら まだ 桜が咲いており、午前中だったので人もまばらでした。
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駅近くの「 極楽寺( ごくらくじ )」は、真言律宗の寺院で、山号は「 霊鷲山( りょうじゅさん )」。  正式には「 霊鷲山感応院極楽律寺 」と称します。  本尊は釈迦如来です。
 
この「 極楽寺界隈 」は、以前 テレビの 青春ドラマ「 海街diary 」、「 最後から二番目の恋 」、「 俺たちの朝 」等のロケ地として有名で全国に広く紹介されました。  以前訪れた事が有るので、正面の「 茅葺きの山門 」でUターンして「 極楽寺坂切通し 」を歩いて「 御霊神社 」へ向かいます。
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鎌倉の此の地は三方を山に囲まれ防御上非常に有利な地形をしていました。  反面、人や物資の行き来には不便であったので、山の稜線を切り開いて人工の道を作りました。  これを「 切り通し( きりどおし )」と呼び、物資を運ぶ重要な交通路でした。  「 切り通し」は、当時七つあり「 鎌倉七口( かまくらななくち )」と呼ばれていました。  因みに「 極楽寺坂切通 」、「 大仏切通 」、「 化粧坂 」、「 亀ヶ谷坂 」、「 巨福呂坂 」、「 朝夷奈切通 」、「 名越切通 」がそれです。
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「 御霊神社 」へ向かって歩いた「 極楽寺切通し 」は、往事 急勾配の細い崖道だったことが記録に残されていますが、今は なだらかで車も頻繁に往来する道路に変貌しています。
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歩くこと 約15分程度で「 御霊神社 」に到着します。
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この神社は「 鎌倉景正 」、通称は「 鎌倉権五郎 」が祀られています。  創建年代は詳らかでは無いですが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると推定されます。  元は関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称される様になりました。  後に「 鎌倉権五郎景政 」の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から「 権五郎神社 」とも呼ばれました。
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社務所近くの「 たぶの木 」、御神木です。  「 かながわふるさとの木 」に選ばれており、推定樹齢は約400年だそうです。
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歌舞伎がお好きな方は 直ぐにお判りだと思いますが、成田屋の襲名披露では 歌舞伎十八番の内「 暫 」が演じられます。
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襲名者は歴代の「 市川團十郎 」が主役の「 鎌倉権五郎 」を演じます。
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「 暫 」は、荒事の代表的な演目で、悪党の「 清原武衡 」は朝廷に背き、自らに反対する「 加茂次郎義綱 」等善良なる男女を捕らえ打ち首にしようとする時、派手な紛争と隈取りで「 鎌倉権五郎景政 」が「 暫く~ 暫く~ 」と 花道から現われ、善良な人達を助ける内容です。
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芝居の内容と「 鎌倉権五郎景政 」とは関係無く、この影響から「 鎌倉権五郎 」の名だけが一人歩きして巷間で有名になって仕舞いました。

この神社に参拝する為には「 江ノ電 」の踏切を渡らなくてはならず、又 近くには「 極楽寺駅 - 長谷駅 」間にある「 江ノ電 」唯一のトンネル「 極楽洞 」は、開通以来一世紀が経つレンガ積みのトンネルで、当時の原形を留めており、市の「 景観重要建築物 」に指定されています。  このトンネルも「 江ノ電 」が好きな「 撮り鉄 」さんの撮影場所としても有名です。  「 山ちゃん 」も久し振りに撮りました。

・踏切
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・トンネル
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・家の軒下を走る江ノ電
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撮影後 歩いて「 長谷駅 」から「 鎌倉駅 」に移動しました。  北鎌倉のお寺を訪ねようと思い 車窓から眺めたら 大勢の人達がおられたので、諦めて そのまま帰宅した次第です。

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