隅田川テラス散策【 其の四 】

先月の末「 隅田川テラス散策 其の弐其の参 」で 吾妻橋から勝鬨橋を目指して歩き、途中 中央大橋の先「 亀島川水門 」で止めたことを書きました。  折角なので続きをしようと思い立ち カメラ片手に テラスを散歩してきました。

本来なら 続きとして 佃大橋から勝鬨橋へと 最初の予定コースで歩くのですが、新しい場所からのスタートも良いと思い 東横線 から 日比谷線 六本木駅で大江戸線に乗り換え「 月島駅 」で下車、「 相生橋 」からスタートする事にしました。
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【 相生橋 】
月島駅で地上に出ると目の前に 清澄通りがあります。  ここから5分程度で「 相生橋 」に着きます。
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この橋は「 隅田川羽川( すみだがわはせん 永代橋の下流で分岐し、相生橋から下流の晴海運河に注ぐ0.9Kmの分流 )」に架かる橋です。
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写真の手前( 西岸 )は中央区 佃、東岸は 江東区 越中島を分かつ橋です。
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明治25年( 1892 )に築造された 月島 は 交通の便が悪く、佃の渡し 又は 月島の渡し 等渡し船に頼るしかなく、此を解消する為に明治36年( 1903 ) 木製の橋を架け市電も通る様になった「 相生大橋 」を架けましたが、大正8年( 1919 )の関東大震災で消失。  その後大正15年( 1926 )に「 震災復興事業の最初の橋 」として架けられたのですが、交通量の増大と老朽化に伴い、平成10年( 1998 )に現在の橋に架け替えられました。  橋長:149.1m、幅:22m、構造:3径間鋼トラス桁橋  色は 薄い緑色で 橋下には隅田川唯一の水上公園である「 江東区立中の島公園 」があります。
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遠く 左手に「 豊洲水門 」、右手に 晴海運河に架かる「 晴海大橋 」が
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橋の東端には「 東京海洋大学 」所有の「 明治丸 」が見えます。
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ここから 川に沿って「 区立石川島公園 」を歩きます。
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左手に「 其の参 」で紹介した「 大川端リバーシティ21 」の超高層マンションを中心とする大規模住宅群を、右手には「 永代橋 」が見えます。  永代橋の左手のビルは「 日本IBMの本社ビル 」です。
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更に突端から 隅田川方面に曲がると 前回通った「 中央大橋( 前回は 右岸、今回は左岸 )」に出ます。
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【 中央大橋 】
詳細は「 隅田川テラス散策【 其の参 】」をご一読下さい。  「 中央大橋 」を潜ると 対岸に 前回「 Giveup 」した「 亀島川水門 」が見えます。
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間もなく 右岸前方に「 聖路加タワー 」と 次の「 佃大橋 」が見えてきます。
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この辺りは 江戸時代「 石川島人足寄場 」がありました。

・石川島人足寄場
昭和45年( 1970 ) 鬼平犯科帳として知られる「 長谷川平蔵 」の建策により、石川島の地に「 人足寄場 」を作り、無宿人等を収容して職業指導を行いました。  明治中期以降は 石川造船所( 現在の 石川島播磨重工業 )の敷地となりましたが、昭和54年( 1979 )に閉鎖され、その跡地は「 大川端リバーシティ 」の高層ビル群に生まれ変わりました。  この「 石川島灯台 」はその人足達の手で建てられ、その跡地にモニュメントが建っています。  一階部分は「 公衆トイレ 」となっています。
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この先「 住吉水門 」があるので 迂回 します。

・住吉水門
そのまま川に沿って歩くと 佃一丁目にある「 住吉水門 」へと繋がります。  「 住吉水門 」は、佃堀( 佃川支川 )が隅田川に合流する地点にあり、昭和40年( 1965 )に完成しました。  通常時は船舶が通行するために開放していますが、高潮や津波時には、周りの月島川水門、浜前水門等と共に閉鎖され、佃・月島等の防波堤で囲まれた地域の住民の 生命・財産 を守ります。  「 住吉水門 ・ 月島川水門 」は建設局が、「 浜前水門 ・ 朝潮水門 ・ 佃水門 」は港湾局が管理しています。  ここで「 住吉小橋 」を渡ります。
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・佃島渡船場跡
佃島は隅田川河口に出来た自然の寄洲でした。  江戸時代 初代将軍徳川家康の招きによって摂津国佃村( 現在の大阪市市史淀川区佃 )から呼び寄せられた漁師達は、鉄砲洲東の干潟百間四方を埋め立て「 佃島 」を築きました。  そしてこの島と、対岸の船松街( 現在の佃大橋西詰め付近 )との間に通された渡し船が「 佃の渡し 」です。  渡しは佃島住民だけでは無く、住吉神社への参詣や花見見物などの人々に利用されました。  明治時代には 渡し賃が一人五厘であったことから「 五厘の渡し 」とも呼ばれました。  大正15年( 1926 )に渡し船の運営が東京市に移ってからは定期的に運行されるようになり、昭和2年( 1927 )以降は有料の手漕ぎ渡船から無料の曳舟渡船となりました。  同年、渡船場の諸施設が整ったことを記念して 佃一丁目と湊三丁目に各々「 記念の石碑 」が建てられました。  昭和31年( 1956 )には 一日平均60往復、1万6千人もの利用者がありましたが、昭和39年( 1964 )に下流に 佃大橋が完成したため、佃島の渡船は廃止されました。  佃島渡船跡は、渡船の歴史を記念する区民史跡として中央区民文化財に登録されました。
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写真は 昭和30年代の佃島の渡船。
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・佃小橋( つくだこばし )
「 佃島 」に就いては前述の通りで、江戸幕府の意向で移住した漁夫達が島を築き、開府期以来 魚漁 などを生業にした人々が住んだ町で、「 佃煮 」の発祥地としても知られています。  「 佃小橋 」は、佃川支川に架かる橋( 橋長 12m )で、外観は朱塗となっており欄干の柱の上には「 擬宝珠( ぎぼし )が設けられています。  「 佃小橋 」の下の「 佃川支川 」の川底には、3年に1度行われる「 住吉神社 」の例大祭に立てられる「 大幟( のぼり )の柱 」が、腐食を防止するために埋設されており、例大祭の際には掘り起こされるのです。  このことを知らせる案内板が設置されています。
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この辺りは戦災の難を免れた為に昔の佇まいが今でも残っています。  大川端リバーシティ21の超高層マンション群を併せもつ 新旧取り混ぜた風景が見られます。
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この橋は 映画のロケとしても使われ 伊丹十三監督の「 あげまん 」では、芸者 ナヨコ( 宮本信子 )がこの橋の袂で拾われたのから物語がスタートしています。
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又 川縁には 住吉神社の大祭式の時に担がれる大神輿「 千貫神輿( せんがんみこし )」が「 佃まちかど展示館 」内に保存され、近くには「 老舗の佃煮屋( 3軒 )」さんがあります。  結構なお値段です。
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※ 住吉神社 江戸時代初期 初代将軍徳川家康の招きによって摂津国佃村から移住した後、大坂の 住吉神社 を分社し、下ってきた漁師達は、正保3年( 1646 )に現在地に創建した佃島の鎮守社です。  以来 佃の人々、水運関係の人々から厚い信仰を受けています。  正面鳥居に掲げられた 陶製変額( 区 有形文化財 )は、有栖川宮幟仁( ありすがわのみやたかひと )親王の揮毫( きごう )によるものです。
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元の隅田川 左岸に戻り「 佃大橋 」へと歩きます。  文字数制限の都合で 明日「 其の五 」として「 佃大橋 」と「 勝鬨橋 」に就いて書きます。

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