新橋演舞場 大歌舞伎1月 夜の部

夜の部は「 ひらがな盛衰記 逆櫓 」、「 仮名手本忠臣蔵 七段目 一力茶屋 」、「 釣女 」の3つです。
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いゃ~、久し振りに 観劇して「 大変疲れました 」。  最初の2つの出し物で 約3時間半、途中で休憩時間も入りましたし、「 逆櫓 」では「 荒事 」もありましたが、延々と 役者の台詞を聴いたのと、中味が複雑( 本ブログを読んだ後で観劇される方は是非 イヤホンガイド を借りられた方が良いと思います )なのと、「 市川團十郎 」が病気で急遽「 松本幸四郎 」に変わり、ずっと同じ役者を観るので 疲れてしまいました。  公演する側は 新年で、豪華に人が出入りする芝居を目指したと思うのですが。  とうとう2階の外人さんは途中で帰ってしまいました。 私の右に座ってられた 女性3人は、もう帰ろうか!! とも。  前の席の方は 終始下を向いたままでした。

「 ひらかな盛衰記 通称 / 逆櫓 」
文耕堂・三好松洛 他の合作で、元文四年( 1739 )、大坂竹本座初演。 同年京都辰之助座にて歌舞伎化初演となっている。 題の意味は『源平盛衰記』をやさしく仮名書きしたことに由来します。 源平合戦の背景に、義経の「 木曽攻めから一谷の合戦 」迄を描いた物語の内く「 逆櫓 」は三段目に当たります。

「 逆櫓 」とは、源氏が屋島の平氏を攻める際、梶原景時が船を自在に操れるよう、本来、船尾につける舵を舳にも付けた物で 船を自在に前後に進める様になっている。 これを付けるよう進言したのに対し、戦を始める前から逃げる準備をするようなものと義経が反論して争った。この時の遺恨が、景時が義経を議言するに至った一因となったとも言われています。

あらすじ  「 若君駒若丸 」を連れて木曽に逃れる義仲の奥方山吹御前は、大津の宿屋で梶原の家来番場忠太に襲われる。 山吹は最期をとげるが、駒若丸は、相宿の船頭権四郎( 松本 錦吾 )の孫槌松ととり違えられ、誤って槌松が殺され、権四郎は駒若丸と知らずに連れ去る。  「 芝居はここから始まります 」その権四郎の家では娘およし( 市川高麗蔵 )の婿松右衛門の三回忌を営んでいる。再婚した婿もやはり松右衛門( 松本幸四郎 )を名乗っている。 その二代目が帰宅し、今日は梶原景時の召し出しにより、逆櫓(舟の櫓を前部にもつけて後ろへも自在に漕げるようにした航法)を問われ、義経の召し船の船頭にとりたてられたと話す。そこへ、槌松の笈摺( おいずる : 巡礼が着る袖なし羽織に似た上衣 )をたよりに腰元のお筆( 中村福助 )が尋ねてくる。 駒若丸を返してくれというのを怒る権四郎。いきり立つのを制した松右衛門が、自分は実は木曽義仲四天王の一人「 樋口次郎 」なりと名のる。樋口は、義経を船に乗せて主君義仲の仇を討つ計画だった。 駒若丸を樋口に託してお筆が帰ったあと、逆櫓の稽古に来た三人の船頭仲間が、すでに正体を知っていて樋口を捕らえんとする。  樋口は大奮戦するが、そこへ権四郎の訴人で畠山重忠( 中村梅玉 )があらわれ、樋口はおおいに怒るが、それは駒若丸を槌松として命乞いをするためとわかり、その恩を謝して潔く縄にかかる。

見どころ 権四郎の家に伝わる「逆櫓」の技を習得していることを梶原景時に買われ、源義経の船頭に命じられて家に戻ります。その一部始終を語る松右衛門の時代と世話を交えた長台詞は「 聞きどころ、見どころ 」の一つです。 
「権四郎、頭が高い」に始まる松右衛門の名乗りと共に、事の真相と経緯が明らかとなる件は、この作品の最大の眼目。船頭から智勇を備えた武将へと変貌する松右衛門。この変わり目も見逃せぬ見どころです。 又後半の大勢の船頭が作る 船の形、錨を持ち上げたり、縄を花道まで引っ張ったり、船頭を相手に松右衛門が繰り広げる擢を用いた立廻りが大きな見どころです。  これだけは「 イヤホンガイド 」で説明を聞いた方が良かったと後悔です。  以前 友達経由で紹介してくれた「 歌舞伎俳優( 屋号 明石屋 ) 」が船頭役で出ていました。


「 仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋 」
寛延元年( 1748 ) 大坂竹本座初演。同年12月、大坂嵐座にて歌舞伎化初演。翌年には江戸の三座( 森田座、市村座、中村座 )でも上演された。 昔から、劇場起死回生の特効薬)といわれてきた程の、日本人にもっとも親しまれてきた人気狂言です。  有名な赤穂浪士の仇討事件を幕府の干渉のため足利時代の「太平記」の世界に仮託して描かれた作品です。 上演回数においても、歌舞伎の全戯曲中最高の記録をもっています。  昔 年末の劇場映画は 必ずと言って良いほど「 忠臣蔵 」でしたね。   何故「 仮名手本 」と付くのかご存知ですか?  ご存知無い方は「 私のブログ 」をお読み下さい。 
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あらすじ  由良之助( 松本幸四郎 )は、仇討ちの本心を隠して敵の目をくらますため、祇園の一力茶屋へ通いつめています。  今は師直方の間者となった九太夫( 市村家橘 )が現れて酒宴となり、主君の逮夜( 命日の前日 )と知りつつ 生ぐさものの「 蛸 」を勧める。 由良之助は、それを平気で食べ、又油断させるべくわざと自分の帯刀が錆びていることを知らせ、仇討ちする心がないと悟らせる。  由良之助の息子力弥( 大谷廣松 )が、塩冶判官の妻顔世御前から敵高師直の動勢を知らせる密書を持参し、それを二階からはお軽( 中村芝雀 )が、床下では九太夫が盗み読む。由良之助が、お軽に身請けすると喜ばせて退場した後、お軽の兄平右衛門( 中村吉衛門 )が来て、お軽に父親や夫勘平の死を知らせる。身請けの話を聞いた平右衛門は、秘密を知ったお軽を身請けして殺そうという由良之助の底意を察して、お軽を斬ろうとする。  そこへ由良之助が現れ、お軽の手に刀を持ち添えて、縁の下に潜む九太夫を刺し殺して手柄を立てさせ、平右衛門に一味への参加を許すのです。

見どころ 七段目の通称茶屋場では、まず、由良之助の遊蕩ぶり、酔態が見ものです。 力弥から、花道の七三の木戸で密書を受けとるとき、由良之助の性根をみせるところも見逃せません。 密書を読む由良之助と二階のお軽、縁の下の九太夫の三人の構図は、みごとな絵画美を生んでいます。 また、お軽と、その兄平右衛門とのやりとりなど、各々の下りが全て見どころとなっています。


「 釣 女 」
「松羽目物」の一つで、狂言の「 釣針 」を素材として、明治十六年( 1883 )に初演されました。 河竹黙阿弥の作詞、六世岸澤式佐の作曲によるこの作品は、それまで二十四年の間、不和であった常磐津、岸澤両派の和解の披露曲として演じられたものでも有名です。
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あらすじ  妻を持とうと考えた大名( 中村橋之助 )、これに仕える太郎冠者( 中村又五郞 )が、縁結びの神と名高い西宮の恵比須神社に参詣します。 そして、夢のお告げに従い、釣竿を用いて、大名は美女( 中村七之助 )、太郎冠者は醜女( 板東三津五郎 )を釣り上げるという、屈託のない物語です。 釣ろうよ釣ろうよ」という滑稽味溢れる常磐津に合わせて、大名が美しい上臈( じょうろう : 江戸時代の大奥の女中の役職名のひとつ )を釣り上げるのは、狂言を素材としたこの作品の持ち味が発揮されるところです。 これに続き、大名は目出度く祝言を挙げます。一方、主人の婚儀を祝って太郎冠者が舞う舞、さらに、上臈が披露する艶やかな舞も見どころです。続いて、太郎冠者が大名に倣い、釣竿を用いて妻となる女性を釣り上げようとします。この件がこの作品の最大の見どころとなります。 釣り上げた女性が、二目と見られぬ醜女であることに困惑する太郎冠者。そんな太郎冠者に言い寄る醜女の滑稽なクドキは見ところの一つです。  何と言っても「 三津五郎 」の醜女に化粧した顔と踊りは見どころです。

「 忠臣蔵と釣女写真 」は、雰囲気を知って戴くためで、当日演じられた物とは関係ありません。

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