日本国歌「 君が代 」

随分と前になりますが、明治時代以降 橫浜に入って来た「 西洋文化 」を中心に 以下を 投稿しました。

横浜に入って来た西洋文化 記念碑 巡り 其の壱
横浜に入って来た西洋文化 記念碑 巡り 其の弐
横浜に入って来た西洋文化 記念碑 巡り 其の参
横浜に入って来た西洋文化 記念碑 巡り 其の四
横浜に入って来た西洋文化 記念碑 巡り 其の五

その中「 其の壱 」で、「 日本初の洋式公園( 山手公園 )」に就いて書きました。  

先達て 神奈川県のローカルテレビ局「 テレビ神奈川( TVK )」で 毎週 土曜日に放送されている「 ハマナビ 」で、「 橫浜 山手地区 」の特集で、国歌「 君が代 」が、日本で始めてこの「 山手公園 」で演奏されたとの紹介がありました。

発祥の地「 山手公園 」の近くに 古刹「 妙香寺 」があります。  この辺り一帯は明治に「 外国人の居留地 」となる迄は「 妙香寺の境内 」だったそうです。
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では 何故 日本初の洋式庭園「 山手公園 」が出来たか( 明治3年( 1870 )造営 )と言うと、 文久2年( 1862 )に起きた「 生麦事件 」です。  この事が 切っ掛けとなって 居留地に住む 外国人を震撼させ「 安心して散歩やピクニックが出来るレジャーの場が欲しい 」との事で、外国人の代表が 日本政府と交渉して造られたのが「 山手公園 」なのです。  

「 生麦事件 」に就いては 以前投稿した 記事をお読み下さい。

「生麦事件」の地を訪ねました【 其の壱 】
「生麦事件」の地を訪ねました【 其の弐 】
「生麦事件」の地を訪ねました【 其の参 】

「 君が代 」発祥の地が横浜? と思われますが、横浜生まれだったとは意外な気がします。
 
この地は、国歌「 君が代 」発祥の地だけで無く「 日本吹奏楽発祥の地 」でもあるそうです。
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明治2年( 1869 )、鹿児島湾に停泊していたイギリスの軍艦から聞こえる軍楽隊の音楽に、薩摩藩主「 島津久光 」が感銘を受け、薩摩藩に軍楽隊を作ることを決意したことから、日本の吹奏楽の歴史が 始まりました。
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薩摩藩は、指導をイギリス軍に要請し、指導者に選ばれたのが、当時 横浜に駐留していた 軍楽長の「 ジョン・ウィリアム・フェントン 」で、薩摩藩は藩士32名を「 薩摩藩洋楽伝習生 」として横浜に派遣することになり、イギリス軍の駐留地に近い「 妙香寺 」が、洋楽伝習生達の宿泊所 兼 練習場所 となりました。
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薩摩藩洋楽伝習生は 明治3年( 1870 )フェントンの指揮で、「 妙香寺 」の隣にある「 山手公園 」で演奏を披露しました。  当時の 外国人向けの新聞「 ザ・ファー・イースト 」で 薩摩藩洋楽伝習生の写真を「 薩摩バンド 」として紹介しました。

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現在の「 山手公園 」です。
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又 当時「 フェントン 」は日本に「 国歌 」が無かったので、薩摩藩洋楽伝習生の「 穎川吉次郎( えがわきちじろう )」が、当時 薩摩藩の砲兵隊長であった「 大山巌( おおやまいわお )」に伝えたことから、「 君が代 」が誕生したとされています。

「 大山巌 」は西郷隆盛の従兄弟で、明治の元老でした。  折しも、イギリスの王子「 エジンバラ公 」の来日があり、儀礼に演奏する日本の国歌の必要性が高まった時でもあったのです。

「 大山巌 」を代表とする薩摩藩士達は、日本にも国歌を作ろうと検討を始め、 古今和歌集に記載され、おめでたい歌として小唄、長唄から浄瑠璃でも幅広く親しまれている「 君が代 」を歌詞として選びました。  「 君が代 」は薩摩琵琶歌でもあり、彼の愛唱歌だったとも伝えられています。

この歌詞に合わせた作曲を依頼された「 フェントン 」は、讃美歌風のメロディを作成し、明治3年( 1870 )に始めて 彼の指揮で「 山手公園 」にて演奏しました。  しかし、この初代「 君が代 」は歌詞とは合わ無い事、歌いにくかった事、西洋音楽がまだ一般的ではなかったことから、日本人には馴染めず、作曲し直されることとなるのです。

新しい曲は 当時の「 宮内省 」により雅楽調に作曲し直され、「 フェントン 」の後任でドイツ人の「 エッケルト 」が吹奏楽用に 明治13年( 1880 )に編曲を行ないました。  これが現在の「 君が代 」となったのです。  こうして「 フェントン 」が作曲した初代の「 君が代 」は姿を消す事になりました。

さて では 以前の「 君が代 」がどの様なメロディだったのか。   番組で ほんの少し「 フェントン 」の作曲した「 君が代 」を聴かしてくれました。
  

妙香寺では毎年、体育の日にフェントン作曲の「 君が代 」が聴ける演奏会を行っているそうです。
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個々に「 君が代 」をリンクしましたので 聞き比べて下さい。  カラヤンは 世界で最も美しい国歌だと賞賛しています。

・ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー


・カール・ベーム指揮、ウィーンフィルハーモニー


・シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団


・宇宿允人指揮、フロイデフィルハーモニー


・国歌独唱 野々村綾乃、第82回選抜高校野球大会にて


追記 )敢えて ウィキペディアの「 君が代 」の説明から「 歌詞 」の説明を抜き出しました。
歌詞である「 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで 」は、10世紀に編纂された勅撰和歌集「 古今和歌集 」巻七「 賀歌 」巻頭に「 読人知らず 」として「 我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで 」とある短歌を初出としている。  これが「 私撰( 紀貫之撰集 )」の「 新撰和歌 」や朗詠のために藤原公任が撰した「 和漢朗詠集( 11世紀成立 )」などにも収められ、祝賀の歌とされ、朗詠にも供され、酒宴の際に歌われる歌ともされたものである。  9世紀にあって光孝天皇が僧正遍昭の長寿を祝って「 君が八千代 」としているように、「 君 」は広く用いる言葉であって天皇を指すとは限らなかった。  すなわち、「 我が君 」とは祝賀を受ける人を指しており、「 君が代 」は天皇にあっては「 天皇の治世 」を意味しているが、一般にあってはこの歌を受ける者の長寿を祝う意味であった。  この歌が利用された範囲は、歴史的にみれば、物語、御伽草子、謡曲、小唄、浄瑠璃から歌舞伎、浮世草子、狂歌など多岐にわたり、また箏曲、長唄、常磐津、さらには碓挽歌、舟歌、盆踊り唄、祭礼歌、琵琶歌から乞食の門付など、きわめて広範囲に及んでいる。  「 君が代は千代に八千代に 」の歌が、安土桃山時代の隆達にあっては恋の小唄であることは広く知られるところである。

追記 )山手公園 の手前に テニスコートとテニス発祥記念館 の周りには 巨大な「 ヒマラヤ杉 」が何本も植わっています。  これは明治12年( 1879 )にイギリスのブルック氏が インド カルカッタからからヒマラヤ杉の種を持ち込んで植えたのが始まりで、その後 日本全国に広まったそうです。
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暖かくなって、緊急事態宣言が解除されたら、一度「 妙香寺 」を訪ねたいと思います。

参考資料 )ハマレポ、ウィキペディア、妙香寺ホームページ、山ちゃんの徒然日記 等

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