寄贈した「巨椋池の古地図」がNHKで紹介されました

京都の 実家は 平成25年( 2013 )7月19日( 大安 )、京都久御山町の役場にて、実家( 有形登録文化財 3点)と、往時の「 巨椋池 」を描いた 古絵図 を町に寄贈する式典が行われました。

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この複数ある「 巨椋池の古地図 」の一つを ブログ で紹介しました。
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ブログを見られて 多数の方から 問い合わせ 等を戴きました。

今回 NHKの大河ドラマ「 第37回 麒麟がくる( 20日放送 )」の中で紹介される「 紀行 」のスタッフの方が 巨椋池の地図を使いたいとの 問い合わせがありました。  最終 寄贈先の「 久御山町 」の名前で紹介されました。  「 紀行 」の内容は 大雑把に纏めると下記の通りです。

かつて 干拓されるまで、京都南山城に「 巨椋池 」があり、その中の「 槇島 」は小さな島でした。
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この地には「 真木島氏( 槇島氏、槇嶋氏、真木嶋氏、牧島氏など様々な表記があります )」という豪族が 槇島城を築いていました。 

元亀4年( 1573 )7月3日、「 室町幕府 第15代将軍 足利義昭 」は「 織田信長 」に対して兵を挙げ、幕府奉公衆であった「 真木島昭光 」を頼り、槇島城に籠城しました。  信長は即座に城を包囲して義昭を屈服( 槇島城の戦い )させました。  その後、義昭は河内若江城へ退去させられ、足利幕府は事実上終焉を迎えることになります。  義昭退去後、塙直政、井戸良弘らが城将となりましたが、伏見城築城後はその戦略的価値を低下させ廃城となりました。  

現在は 住宅地となり、石碑を残すのみとなっています。
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石碑近くの「 宇治市教育委員会 」の説明パネルによると 以下のことが書かれています。  

槙嶋城は室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠としていた城で、この付近にあったと伝えられています。  槙嶋城が日本史の舞台に登場するのは、元亀4年(1573)のこと。織田信長に追われた室町幕府第15代将軍足利義昭は、京都から真木島昭光がいるこの槙嶋城に居を移します。しかし、7月18日に、追ってきた信長軍勢の豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家らからは川下の五ヶ庄より、また稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃走しました。これにより、城は開城するとともに、室町幕府はこの地で滅びました。この戦いを槙嶋合戦と呼んでいます。  その後、信長・秀吉によって城は管理されますが、文禄3年(1594)頃廃城になったと考えられています。  この付近は秀吉による堤の築造や宇治川の改修などにより景観がすっかり変わり、槙嶋城の位置はもちろん、存在そのものも忘れ去られようとしています。そこで、ここより少し北の槙島公園に槙島城記念碑が建てられました。  槙島城石碑&解説板 平成16年8月1日 宇治市教育委員会

地図 そのものは たった 数秒 でしたが、何より 地元が紹介されたのは 喜ばしいことです。

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この記事へのコメント

SEKIA
2020年12月21日 08:03
巨椋池の古地図、どこかで見たような!?
旧山田家の長屋門内の展示で見たような!?
と思っていましたが、出所はやはり山ちゃんさんでしたか

麒麟がくるを見て、槙島城の名前が出て驚きました
実際に槙島城址を訪れましたが案内を読みこの場所が歴史の分岐点となる重要な地だったのかと鮮明に覚えていました
紀行で紹介された城陽の枇杷庄天満宮社にも訪れたいと思いました
山田賀繼
2020年12月21日 08:22
お早う御座います。
書かれた通り、この地図は オリジナルは 町で保管されててました。 一時期 宇治の歴史資料館 で 展示された事もありました。 これ以外に 巨椋池の 漁業権 の範囲を描いた古地図等 数多くありましたが、皆さんに見て戴いた方が良いと 寄贈させて貰いました。 槇島の地名は 聞いた事はありますが、まさか こんな歴史的背景があるとは 思いませんでした。 是非関連の地を訪ねてみて下さい。