九品仏浄真寺の紅葉を見てきました

平成28年( 2016 )から12月に入ると 見に行く「 九品仏浄真寺 」のモミジ。  昨年は時間が無く見に行けませんでした。  最寄りの「 菊名駅 」から 自由が丘駅 で 大井町線 に乗り換えて 次の「 九品仏駅 」迄 20分程度で行けます。  コロナ渦ですが 多摩川を 越境して 行って来ました。  

訪ねたのは 今月14日ですので、景色は随分変わったと思われます。

正式には「 九山 唯在念仏院 浄眞寺 」といい、本尊は「 釈迦牟尼如来 」で浄土宗のお寺です。  一般に「 九品仏( くほんぶつ )」として呼ばれています。  

創建の由来のパネルを見ますと 開山は江戸時代初期の高僧で、越後国村上泰叟寺の「 珂碩上人( かせきしょうにん )」、徳川四代将軍 家綱公の治世 延宝6年( 1678 )に、奥沢城跡地( 豊臣秀吉の北条攻めの頃に造られた城で今でも 奥沢 の地名は残っています )であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である「 観無量寿経( かんむりょうじゅきょう )」の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建され、「 江戸名所図会( えどめいしょずえ ) 」にも描かれている堂塔と現状は殆ど変わり無いが、昭和40年に本堂・仁王門共に「 茅葺き 」を「 銅板葺き 」に改修したと記されていました。
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総門、焔魔堂、開山堂、仁王門、鐘楼堂、本堂、三仏堂を合わせて「 七堂伽藍 」と呼びます。  以下 参道から 境内へ 歩いて順番に 主に「 堂宇 」と「 紅葉 」を中心にアップしました。

【 九品往生とは 】
本堂の対面に3つの【 阿弥陀堂 ( 左側から「 下品堂 」、中央に「 上品堂 」、右側に「 中品堂 」】があり、各々の堂に3躰、合計9躰の「 印相 」の異なった「 阿弥陀如来像 」が安置されています。これは「 観無量寿経( かんむりょうじゅきょう )」が説く「 九品往生( くほんおうじょう )の思想に基づくもので、極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「 上品上生 」から始まって「 上品中生 」、「 上品下生 」、「 中品上生 」、「 中品中生 」、「 中品下生 」、「 下品上生 」「 下品中生 」、「 下品下生 」と 浄土宗に於ける「 極楽往生の9つの階層 」を表しており、合わせて「 九品( 又は九品往生 )」と呼ばれます。
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九品仏浄真時の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「 上生印 」、説法印を「 中生印 」、来迎印を「 下生印 」とし、親指と人差し指( 中指、薬指 )を接するものを各々「 上品 」、「 中品 」、「下品」に充てます。  人の素行を表す あの人は「 上品 」だとか「 下品 」とか言うのは これが基になっています。  この様な「 九体阿弥陀 」は、他に京都 南に位置し以前行った「 浄瑠璃寺 」にも見られます。
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創建の由来のパネルを見ますと 開山は江戸時代初期の高僧で、越後国村上泰叟寺の「 珂碩上人( かせきしょうにん )」、徳川四代将軍 家綱公の治世 延宝6年( 1678 )に、奥沢城跡地( 豊臣秀吉の北条攻めの頃に造られた城で今でも 奥沢 の地名は残っています )であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である「 観無量寿経 」の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建され、「 江戸名所図会( えどめいしょずえ ) 」にも描かれている堂塔と現状は殆ど変わり無いが、昭和40年に本堂・仁王門共に「 茅葺き 」を「 銅板葺き 」に改修したと記されていました。
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総門、焔魔堂、開山堂、仁王門、鐘楼堂、本堂、三仏堂を合わせて「 七堂伽藍 」と呼びます。  

以下 参道から 境内へ 歩いて順番に 主に「 堂宇 」と「 紅葉 」を中心にアップしました。

【 参道 と 総門 】
入り口の参道は「 二河白道( にがびゃくどう )」を表されています。火の河と荒れ狂う河に挟まれた白い細い道である白道は浄土往生を願う信心の道で一心不乱に念仏を唱えて極楽浄土へ渡ろうということを意味しています。
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【 閻魔堂 】
山門を潜ると 本堂に続く 参道がありますが、2年前に訪れた時は 基礎工事だけでしたが、今回訪れた時は 新しく「 閻魔堂 」が建てられていました。  以前は 参道の右手にありました。  閻魔様( えんまさま )が祀られた「 閻魔殿 」があります。  閻魔大王の横に「 葬頭河婆( そうずかば )= 奪衣婆( だつえば )」が控えています。
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昔の閻魔堂。
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【 境内( 参道 )】
九品仏の庭園で、この辺りのモミジが 一番赤く染まって美しく見えます。
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【 開山堂 】
歩いて 左に曲がると 右手に「 開山堂 」が見えて来ます。  前述した「 珂碩上人 」の像が安置されています。  この像は、文化財に指定されており、毎月7日に開扉 されるらしいです。
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【 仁応門周辺 と 仁王様 】
寛政5年( 1793 )に造られ、「 紫雲楼 」とも呼ばれています。  楼上には「 阿弥陀如来 」と「 二十五の菩薩像 」が安置されています。  門にの左右には「 仁王像 」が飾られています。
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【 鐘楼 】
仁王門の横には、大きな鐘が吊られている鐘楼があります。  宝永5年( 1708 )に建てられ、鐘は同年 世田谷領の深沢、谷岡又左衛門の寄進で、作は、神田鍛冶町の河合兵部郷藤原周徳とされています。  堂屋も欅造りで欄間には十二支がはられ、北に子、南に午が彫られており、梵鐘は文化財に指定されています。
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【 仁王門 から 本堂へ 】
この辺りは モミジ も綺麗ですが、大きな銀杏の木と落ち葉が 綺麗です。
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【 本堂 】
堂の説明によると「 本尊には、珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来( 文化財 )を安置し、当山第二世珂憶上人代、元禄11年( 1698 )三仏堂ともども上棟されました。  世に珂憶造りと称され、雄大荘厳重なる茅葺きの大殿です。  近時、往昔の面影をそのまま銅板葺に大修築を 昭和42年( 1967 )完了しました。  本堂はまた「 龍護殿 」とも呼ばれ、浄土( 彼岸 )を表象する三仏堂に対比し、西面にして穢土を表わしています。  当山独特の「 おめんかぶり( 江戸時代より3年毎に奉修される「 阿弥陀如来二十五菩薩来迎会 」のことで、無形文化財に指定されています )」
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は、本堂( 此岸 しがん )と三仏堂中央の上品堂 ( 彼岸 ひがん )との間に橋を掛け、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来と3回橋を行道するものである 」と記されています。   

本堂には「 上人 」の彫り上げた「 釈迦牟尼仏 」を中心に、右に「 善導大師 」、左に「 法然上人 」の像が安置されています。   中でも右側にある「 珂碩上人像 」は乾漆製の芸術価値の高いものと評価されています。  本堂は総欅造りとなっています。
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【 三仏堂 】
本堂を背に「 九品仏 」という名前の由来にもなっている3つの堂が配されています。   左より「 下品堂 」、真ん中が「 上品堂 」、右手が「 中品堂 」です。  現在 元禄時代以来の大修繕が行われています。  以前「 中品上生 」の仏像が修復に出されていましたが、今年は「 下品堂 」の仏像が修繕に出されていました。  順次修繕が 終わるのは 2034年だそうです。

・下品堂
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・上品堂
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・中品堂
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【 三仏堂周辺 】
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写真 や 動画 を撮っている時 私も含め 撮り終わるのを待つか、避けて通るのがマナーですが、一人の一眼レフを持った女性は 平気で 前を通る事が数回ありました。  注意はしませんでしたが、マナー違反です。  OUTです。

今回 訪れた後 参道左脇にある「 手打ちそは 庵( いおり )」で 蕎麦を戴こうと 思っていましたが、何時か分かりませんが この2年の間に「 廃業 」されたみたいでした。

この後「 等々力渓谷 」に行きました。

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