京都 歴史的建造物群と町屋 を見学

京都で最後の日 同志社大学 から 京都御苑 を通り 最後の目的地 三条通り に向かいました。  三条通りには 歴史的建造物 が数多く残されており一度訪ねてみたいと思っていました。

その切っ掛けとなったのは、「 山ちゃんの徒然日記 」のリンク先でもある 画家の「 岸本信夫 」さんは、「 ブログ 」以外に、「 FaceBook 」にも ご自身の描かれた絵を投稿されています。  その中で「 京阪電車に乗って 三条シリーズ 」で 数多くの 建造物 を紹介されており、その魅力から 一度訪ねて見たいと思っていました。

最初 2泊の予定でしたが、折角なので3泊に予定を変更し、親友「 かっちゃん 」に 同行をでお願いしました。  一応「 京都市内地図 」を購入して見たいポイントを書き込みました。

目的地は「 御池通り 」を下った所にあります。  御苑を出て「 丸太町通り 」から「 御池通り 」へ。  途中 以前 訪れた「 京都ハリストス正教会 」と 同期生の蕎麦屋「 本家尾張屋本店 」を通りました。
002.jpg
003.jpg
004.jpg
006.jpg
これは関係ありません。
005.jpg
007.jpg

京都の三条大橋の西側にある「 弥次さん・喜夛さん 」の像があります。  像がある様に、三条大橋は「 東海道の西の起点 」として その周辺は大層賑わっており、明治時代 郵便局・銀行・保険会社 等 近代的なビルディングが 建てられ賑わいました。  しかし明治45年( 1912 )に「 四条通り と 烏丸通り 」が拡張されたのが 切っ掛けとなり、次第に 賑わいは 四条通り に移り、それにより 三条通り にあった建物は 再開発されず「 三条通り界隈景観整備地区 」に指定され「 歴史的建造物 」として残ることとなりました。
tokaido.jpg
YAJIKITA.jpg
MAP.jpg

写真には「 歴史的建造物 」以外の 町屋 等の建物も含まれています。

・亀末廣( かめすえひろ )
伏見醍醐の釜師であった初代「 亀屋源助 」は、文化元年(1 804 )、京の街に出て「 亀末廣 」を創業しました。  江戸時代には徳川家が宿とした二条城や、都が東京に遷都 される迄は 御所にも菓子を納める老舗となりました。  

御所や二条城からの菓子の注文は、新たに特別注文されるのが通例で、そのたびに木型師が専用の木型を作っていました。  一回だけ使って用済みとなった木型が 沢山 残っていたことから、これを額の部分に用いたのが、老舗が並ぶ姉小路通の中でも一際目を引く「 御菓子司亀末廣 」の看板です。  

四季折々の草花を巧みにデザイン化し、風味と色彩豊かな「 干菓子 」で表現する手法を創案したのは、三代目当主であるといわれています。  同店の代表菓子である干菓子の姿形や色彩は、そのまま俳句や和歌の素材にもなるような、風流を感じさせるものばかりです。  季節に応じて内容が変わるため、常連客は心をときめかせながら店を訪れると言われています。  支店や百貨店、ネットでの販売はせず、本店のみで「 一対一の商い 」にこだわっています。  

写真を撮らせて下さいと云ったら、お店の方は 気取らず どうぞと!  店内の暖簾と 右奥にある 引き出しの古さに感心しました。
009.jpg
010.jpg
011.jpg
012.jpg
013.jpg
014.jpg
この店の角に立つ お婆ちゃん 美味しそうに タバコ を吸っていました。  赤色の服と郵便ポストの赤色が 妙に マッチしていました。  前にあるの 灰皿かな!?
008.jpg

・新風館( しんぷうかん )
「 元京都中央電話局 」のレンガ作りの複合商業施設です。  エースホテル、ミニシアターのアップリンク京都などが入居しています。  原形となる鉄筋コンクリート造りの洋館は、逓信省営繕課技師の吉田鉄郎による設計、清水建設の施工で 大正15年( 1926)に竣工し、昭和6年( 1931 )に増築された 「 元京都中央電話局 」です。  建設当初は電話交換施設として使用され、後に電電公社( NTT西日本 )の京都電電ビル西館となました。  京都市登録有形文化財第1号に登録されました。
XOA.jpg
建物は改築された後、商業施設「 新風館 」として平成13年( 2001 )から平成28年( 2016 )まで営業が行われ、再度改築されて令和2年( 2020 )6月に開業しました。
015.jpg
016.jpg
017.jpg
018.jpg
019.jpg
020.jpg

・みずほ銀行京都中央支店
明治39年( 1906 )、東京駅や日本銀行を設計した「 辰野金吾 」と「 葛西萬司 」によって建造された辰野式建築の一つです。  一見すると当時から建っている古い洋館に見えますが、現在の建物は 平成15年( 2003 )に復元再建されたものです。
021.jpg
022.jpg

・頂法寺( 六角堂 )
天台宗系単立の寺院です。  山号は紫雲山。  本尊の「 如意輪観世音菩薩 」秘仏となっています。  西国三十三所第18番札所。  寺号は頂法寺ですが、本堂が平面六角形であることから、一般には「 六角堂 」で呼ばれ 慕われています。  本堂である六角堂は「 寺内塔頭 」で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理に当たって来ました。  聖徳太子の命により「 小野妹子 」が入道し仏前に花を供えたことが華道の由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「 池坊 」と呼ばれています。
024.jpg
025.jpg
026.jpg
028.jpg
029.jpg
030.jpg
031.jpg

・旧辻森自転車商会
辻森自転車商会 」の建物は、看板代わりに自転車を揚げていのが特徴です。  明治の時代から営業をされており、そのシンボルとして 自転車 を掲げておられるそうです。  現在は 遠縁である方が 三代目で 後を継がれているそうで、その時に コーヒー店とコラボになったそうです。  岸本さんが描かれた時は その改装前だったので、貴重な絵となります。
033.jpg
034.jpg

・旧京都郵便電信局( 中京郵便局 )
「 中京郵便局局 」は、明治4年( 1871)の 郵便制度発足時に、東京、大阪と共に設けられた郵便役所を前身としており、日本で最も歴史のある郵便局の一つです。  明治35年( 1902 )に建てられた、ネオルネサンス様式で赤煉瓦造りの「 旧京都郵便電信局 」は今も現役の郵便局となっています。  日本で歴史のある郵便局の一つで、外壁を残して内部だけを新築する「 ファサード保存( 日本で最初 )」で、昭和53年( 1978 )にリニューアルされました。  京都市登録有形文化財。
036.jpg
035.jpg

当局の面している三条通のこの一帯は、京都文化博物館別館や日本生命京都三条ビルなど、明治期以来の近代建築が多く残っていることで、京都市から「 歴史的界隈景観地区 」に指定されています。
041.jpg
040.jpg

・京都府京都文化博物館( 旧日本銀行京都支店 )
「 京都文化博物館 」は、京都の歴史と文化の紹介を目的とし「 平安建都1200年記念事業 」として創立されました。  建物は京都府が建設し、運営は財団法人京都文化財団が行っており 昭和63年( 1988 )に開館しました。  

前身は平安博物館と称し「 財団法人 古代学協会 」の施設として昭和43年( 1968 )に建てられた私立博物館でした。  平安博物館の建物の元は「 旧日本銀行京都支店( 重要文化財 )」でしたが、京都文化博物館を創設するにあたり「 古代学協会 」から京都府に寄贈されました。  設計は「 辰野金吾 と 長野宇平治 」の二人です。  竣工は 明治39年( 1906 )で重要文化財に指定されています。
047-1.jpg
047-2.jpg
042.jpg
037.jpg
038.jpg
039.jpg
043.jpg
045.jpg
046.jpg
047.jpg

・分銅屋( 足袋屋 )
足袋の語源は、皮から作られた「 単皮( たんぴ )」が変化したものだそうです。  明暦3年( 1657 )。江戸で起きた「 明暦の大火 」)によって、素材の皮が不足し価値がはねあがった為、木綿を使った足袋が急速に普及していきました。  

「 分銅屋 」さんは、創業が文久3年-4年( 1864 )年の 江戸時代から続く老舗足袋専門店です。  足袋の営業始める前は、漢方薬を扱う店を営んでいたそうで、漢方薬の目方を量る際に「 分銅 」という計りから店の名前が付けられました。

黒塗り土蔵の店構えは、三条通で際だっています。  品質の良さが有名で、分銅屋さんの足袋を愛用している役者や狂言役者が多いそうです。  白足袋のほか、京友禅の足袋などもあるそうです。
048.jpg
049.jpg

・にほひ袋専門店 石黒香舗
創業 安政2年( 1855 )、全国唯一のにほひ袋専門店です。  定番の巾着タイプはじめ、ストラップ・箪笥用など形も様々なものが店頭に飾られていました。
051.jpg
050.jpg

・日本生命保険京都三条ビル(旧日本生命京都支店 )
先程紹介した「 京都府京都文化博物館 」と同じ「 辰野金吾 」の設計で、明治45年( 1914 )に着工されました。  彼の設計に見られる 赤煉瓦 では無く、日本銀行本店 と小梨「 石張り 」となっています。  
日本生命京都支店ビル旧棟とも呼ばれています。  現在の建物は昭和58年( 1983 )に改築されましたが、「 ファサード保存 」されています。  有形文化財に指定されています。
053.jpg
054.jpg
057.jpg

・家邊徳時計店( やべとく )
明治4年( 1871 )初代「 家邊徳之助 」が創業し、当主が代々徳之助を襲名する日本唯一で最古の時計貴金属商で、現在の当主は4代目です。  三条通りに面した建物は 明治23年( 1890 )築造した煉瓦石造店舗です。  煉瓦風洋風店舗としては日本最古です。  建物は典型的な純和風の京町家となっています。  有形文化財に指定されています。
058.jpg
059.jpg
061.jpg
062.jpg

・老舗宿の「 京都三大旅館 」
「 俵屋旅館( たわらやりょかん )」
創業は300年以上前に遡ります。  最初は呉服業を営み、その後「 宿 」となったそうです。  幕末時、「 蛤御門の変 」にて焼失した後、明治の始めに建て直されたのが現在の本館です。  映画監督の S・スピルバーグや APPLE社の創始者の一人 S・ジョブズ 氏等 著名人も宿泊されています。
072 俵屋.jpg

「 炭屋旅館( すみやりょかん )」
大正時代、茶人や謡いの同好者が集まる拠点で、その後「 宿 」となったそうです。  敷地の中には数寄屋造りの茶室が設けられています。  日頃からお茶によって客をもてなしています。  食事は旬の京料理が並ぶ茶懐石で、昼食、夕食のみの利用も可能です。
063 炭屋.jpg

「 柊家( ひいらぎや )」
文久3-4年( 1864 、運送業から転じて宿泊業を開始。  150年の歴史の中で数々の文豪や皇族をもてなして来ました。  川端康成は「 柊家ほど思い出の多い宿はない 」と言って柊家をこよなく愛していたそうです。  「 柊 」は昔から邪気を祓うと伝えられています。  

ヒイラギの葉の模様の入った座布団や、ヒイラギの葉の形の部屋の鍵など、アメニティには「 柊 」の葉の模様が施されているそうです。

自宅の隣のご主人が 随分前「 柊家 」に泊まったと自慢されていました。  その後引っ越されましたが。
071 柊屋.jpg

・総本家 河道屋( 生そばと蕎麦ほうるの老舗 )
先祖は、元「 桓武天皇 」の平安京遷都と共に随って移り住み、元禄の頃には上京の小川通上長者町上る処に店を構えて菓子を商う旁ら河漏( そば )を商っていましたが、度重なる火災に遭い現在の場所に移転しました。  現在のご主人は 16代目だそうです。
066.jpg
067.jpg
068.jpg

・彩雲堂
彩雲堂は,明治初期に創業し,京都画壇など多くの日本画家達を支えた日本画画材店です。  看板は「 富岡鉄斎 」によるものです。  

建物は,木造平入桟瓦葺で,明治期の建築と推定される厨子2階の町家と総2階の町家が繋がった構造となっています。  店舗入口にある4枚の建具には施主の思いが強く,近年の改修では,腰板部分を補強・化粧を施し残されました。銅製の樋も経年すれば生業にふさわしい味わいが期待される。町家景観で有名な姉小路界隈を代表する建物で、町家が軒を連ねる景観を支える重要な存在となっています。
069.jpg
070.jpg

・鳩居堂
「 鳩居堂 」は、書画用品・香の老舗専門店です。  寛文2年- 寛文3年( 1663 )に薬種商として創業し、蛇頂石などの民間療法薬を販売していましたが、その後業態を転換し、香や文房具を扱うようになりました。  京都に本店、東京に銀座本店を置いています。
073.jpg

・本能寺
法華宗本門流の大本山です。  本能寺は、当初は「 本応寺 」という寺号で、応永22年( 1415 )、京都油小路高辻と五条坊門の間に、「 日隆 」によって創建されました。  

本能寺は、早くから種子島に布教していたことから「 鉄砲・火薬 」の入手に就いて戦国大名との関係が深かったのです。  

天文年間( 天文16( 1537 )-天文17年( 1538 )頃 の戦国時代上洛し、日承上人( 伏見宮第5代邦高親王の子 )が入寺して本能寺8世となりました。  「 織田信長 」は日承に帰依して、この寺を上洛中の宿所としていました。  

しかし、天正10年6月2日( 1582年6月21日 )、明智光秀の率いる軍勢に包囲され、襲われる、所謂「 本能寺の変 」で、堂宇が焼失してしまいます。  天正19年( 1591 )、豊臣秀吉の命で現在の地「 中京区下本能寺前町 」へ移転しました。
074.jpg
079.jpg
本能寺の「 能 」の字は「 能 」と言う字が使われています。  これは「 度重なって焼き討ちに遭っているため、匕( 火 )を嫌い「 能 」の字に替えたものです。

・嶋臺( しまだい )
御池通りに面した「 嶋臺 」さんは、慶長13年( 1608 )今の地にて糸割符商として創業。  江戸中期からは銘酒「 嶋臺 」を扱う酒問屋も兼業し、繁栄を続けました。  現存の建物は、明治16 年( 1883 )建築で、かつて東は東洞院通、西は車屋町通に及ぶ大規模なものであり、伝統的町家建築の頂点に建つものとされました。  有形文化財に指定されています。
079.jpg
080.jpg

この後「 かっちゃん 」と別れて、京都駅へ。  予約を変更して少し早い新幹線で帰りました。  新横浜迄 隣の席は 誰も来られず ゆったり・まったり と過ごせました。

今回 「 かっちゃん 」が同行してくれたことを 書きましたが、地図だけを 参考に歩いても 京都出身ですが 分かっている様で 分かってない のが「 山ちゃん 」です。  随分と 効率良く 見学出来ました。  改めて 感謝 申し上げます。  

それにしても このエリアの面白いこと!  伝統ある古い物と新しい物とが 混在しているのには驚きです。 

帰ってから 調べると まだ 撮り残しが結構あるので 次回 再度訪れてみます。  その時は「 広角レンズ 」を持って。  その時は 又「 かっちゃん 」宜敷くお願いします。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 13

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

SEKIA
2020年12月18日 07:47
三条通は古い趣きがある建物が多いですね
僕もこの通りが好きで良く歩きます
足袋屋さんの建物も看板も良いですね
旧日本銀行も用事が無いのに高い天井のホールに入って造りなど見入ってしまいます
久しぶりの帰京を楽しまれたようで記事からワクワク感が読み取れます
山ちゃん
2020年12月18日 08:00
SEKIA様 何時もコメント有り難う御座います。 正直 この様な所が有るの つい最近まで 知りませんでした。 古刹を見て回るのも良いのですが、趣の有る 明治時代の建物を見るのも良いですね。
来年 暖かくなったら もう一度 訪ねたい地です。
富華
2020年12月20日 13:10
三条通り、YMCAによく行くので、おなじみの通りです。
こうして映像で見ると改めていい通りだなーとおもいます。
文化博物の中に前田コーヒーが入っていて古い建物の喫茶店で気に入っていて皆んなとよくランチに行きます。
次回来られる時、どうぞ前田コーヒーでお茶をどうぞ❗️
山ちゃん
2020年12月20日 14:25
富華さん コメント有り難う御座いました。 次回 訪ねた時 訪ねてみます。