京都御苑から 三条通りへ

今日は 京都の最後の日。  2件投稿しています。  同志社大学で建物の写真を撮った後、御所の「 乾御門 」から入り「 一條邸跡 」を歩いて、「 京都御苑 中立売休憩所 」で食事の後、「 建礼門 」を見ながら「 九條邸跡 」、「 堺町御門 」を出て、目的地 三条通りに向かいました。

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「 乾御門 」から「 朔平門 」に向かって右手の「 一條邸跡 」に大きな 銀杏の木があります。  近くの 幼稚園児が 銀杏の葉を拾っていました。
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皇后門、清所門へと続きます。
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「 一條邸跡 」を歩いて「 京都御苑 中立売休憩所 」で昼食です。 
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かっちゃんは「 彩菜御膳 麺・御飯 」を
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山ちゃんは「 御所車御膳 」を頼みました。
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御所車1段目は京のおばんざいが2段目は となっています。
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目の前に「 比叡山 」が見えます。
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この後「 建礼門 」に向かって歩きます。
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「 葵祭 」や「 時代祭 」開催時、この辺りで 進行をアナウンスする 櫓が 組まれます。
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この後「 建礼門 」を後に「 九条邸跡 」へ向かいます。   「 建礼門 」は、御所の正門で南面にある唯一の御門で、中央にあります。御所の承明門に面し、以前は御即位大礼などの儀式にのみ開かれており、現在では外国元首などの国賓来訪などの際にも開かれます。
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九條邸跡
京都御苑の一番南側にあり、江戸時代に後期に造られた 数寄屋風建築と池泉回遊式庭園である「 九條池 」の 遺構 を見ることが出来ます。  
九條家は、平安時代後期に栄華を誇った 藤原氏 をルーツに持ち、代々摂政・関白 楽仙楼 朝廷の 重要色務めた 公家「 五摂家( ごせっけ )の一つです。  その娘の多くは 天皇 の妃となりました。  大正天皇の 皇后「 節子 」さんもその一人です。

江戸時代末期、米総領事ハリスの「 通商条約締結要請 」に対し、幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の「 孝明天皇 」は反対でした。  折しも 京都市内では 幕府と朝廷の間では 様々な交渉が行われ、時の関白「 九条尚忠( くじょうひさただ )」
の邸もその一つになりました。

広大な屋敷も、主屋などの建物の多くは、明治時代に東京への移住にともない移築され、今では 池の畔の茶道の「 拾翠亭( しゅうすいてい )」と、九條家の鎮守だった「 厳島神社 」が中島に残るのみとなっています。
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この後「 堺町御門 」を出て 三条通りの方に向かいました。  この門は「 蛤御門の変 」の際、新撰組はいち早く御門に駆けつけ、近隣の宮家に潜む長州藩兵を追い払い御門を守りました。
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三条通り の件に就いては 来週月曜日に 報告します。

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