湖東三山巡り【其の四(百済寺)】

今日は「 湖東三山 」の内 三番目に訪れた「 百済寺( ひゃくさいじ )」に就いて投稿しました。
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山号は「 釈迦山 」で、本尊は「 十一面観音 」、開基は「 聖徳太子 」とされていますが 珍しいです。  神仏霊場巡拝の道第143番札所です。  

奈良と大阪にある「 百済寺 」は「 くだらじ 」と読みます。

【 百済寺の歴史 】
寺伝によれば、推古天皇14年( 606 )、聖徳太子の建立と伝えられています。  聖徳太子は当時来朝していた「 高句麗 」の僧「 恵慈 」と共にこの地に至った時、山中に不思議な光を見ました。  その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉で、太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで「 十一面観音像 」を作り その像を囲むように堂を建てました。  これが「 百済寺 」の始まりであると伝えられています。  「 百済( くだら )」の「 龍雲寺 」に習らって寺を建てたことで「 百済寺 」と号しました。

「 百済寺 」の史料上の初見は11世紀の「 寛治3年( 1089 )」で、「 聖徳太子 」創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明です。  「 百済寺 」という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高いとされています。  平安時代、比叡山延暦寺の勢力下に入り「 天台宗 」の寺院となりました。 

平安時代から中世に掛けて、1,000近い坊を持つ大規模な寺院でしたが、明応7年( 1498 )の火災で本堂とその近辺が焼け、その数年後の 文亀3年( 1503 )、近江守護「 六角高頼 」と守護代「 伊庭貞隆 」との争いに巻き込まれ大半の建物は焼失してしまいました。  この二度に亘る火災で創建以来の建物と共に、仏像、寺宝、記録類なども焼失しました。

元亀4年( 1573 )4月、「 織田信長 」に抵抗を続けていた「 六角承禎 」が「 百済寺 」の近くにあった鯰江城に籠城しました。  百済寺は「 六角氏 」の味方をし 兵糧を運び入れ、六角軍の妻子を匿うなどをしたため 同月11日に信長による「 焼き討ちに 」遭い、また全焼しました。  この時、本尊の「 植木観音 」は 運び出され 焼失を免れました。

戦国時代の 天正12年( 1584 )、堀秀政によって仮本堂が建立され、慶長7年( 1602 )には寺領146石5斗を「 安堵 」され、元和3年( 1617 )には 徳川秀忠より寺領100石を安堵されました。

寛永11年( 1634 )に「 天海大僧正 」の弟子亮算が入山して塔頭の千手坊の名を喜見院に変更し、当地は彦根藩の飛び地でもあったために彦根藩からの支援も得て復興が行われ、慶安3年( 1650 )に本堂・仁王門・赤門が完成しました。  このことから本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再建です。

「 喜見院 」は 元は別の場所にありましたが、元文元年( 1736 )に焼失し、翌元文2年( 1737 )に仁王門下の左方に移転し、昭和15年( 1940 )現在地に移転して本坊となっています。  

ここから「 境内 」を 歩いた順番に案内します。
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【 通用門 】
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右手に「 総門 」が見えます。
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【 本坊喜見院( ほんぼうきけんいん )と庭園 】
阿弥陀如来が祀られています。  昭和15年( 1940 )に仁王門南側から現在の位置に移築され、それに伴い庭園も旧本坊のものを拡張改造されました。  寺社庭園としては、県内最大級の巨石群で配置されています。  建物の前にあるのが「 本坊庭園( ほんぼうていえん )」です。  東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した「 池泉廻遊式 」 です。  特に「 聖徳太子 」の願文に「 一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る 」とありますが、これに因み この庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しています。  別名「 天下遠望の名園 」と称されています。
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ここから 石段の 参道 を上り「 仁王門 」へ向かいます。
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途中 琵琶湖、比叡山 が パノラマで眺望出来る素晴らしい場所がありました。
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「 仁王門 」が見えてきます。
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参道途中で フランス人 のカメラマン と出会いました。  陽気な方達で「 仁王門 」の動画を撮られていました。
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【 仁王門
長い参道を上った 本堂の近くに立つ「 仁王門 」は、本堂( 江戸戸時代 慶安年間 )と同じ年代に建立されました。  三間二間で一対の「 金剛力士像 」が向きあっています。  この仁王様はお寺を守る守護神です。  

その仁王様が履かれる「 藁草履 」があります。  昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度でしたが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が「 健脚・長寿 」の願いを掛けるようになり、触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると言い伝えられ、草履が大きい程ご利益も大きいと 信じられ どんどん大きくなり、今では3m 程になって仕舞いました。  地元の方々が、約10年毎に新調します。
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「 仁王様 」は 両足に草鞋を履き、日中 仕事を終えて、夜間は草鞋を「 仁王門 」脇に脱いで立ちながら休まられるそうです。  

【 弁天堂 】
慶安3年( 1650 )本堂と共に建立された弁天堂は、昭和の豪雪で倒壊し、平成8年( 1996 )に新築した「 御堂 」が平成24年( 2012 )の春の旋風で再び倒壊し、現在は平成25年に再建され、七転び八起きの弁天様が祀られています。
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【 本堂( 重要文化財 )】
「 本堂 」は、室町時代の「 明応7年( 1498 )、火災にあい、文亀3年( 1503 )に兵火をうけ、さらに「 織田信長 」により「 天正元年( 1573 )」全山焼失しました。  天正12年( 1584 )に「 堀秀政( ほりひでまさ )」により仮本堂が建立されました。  その後「 天海僧正 」の高弟亮算が入寺し諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年( 1650 )現在の本堂が竣工しました。  かつての本堂は現在より少し山手の広大な台地に建てられており、金堂と五重の塔がありました。  現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられています。  内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の「 十一面観音立像( 奈良時代 )」が安置されています。
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【 鐘楼 】
現在の梵鐘は3代目で1955年(昭和30年( 1955 )の鋳造です。  初代は信長焼討ちの際に持ち去られ、江戸時代に 鋳造された2代目は 太平洋戦争の際 国に 提出されました。
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この後「 総門 」に向かって 境内を散策。
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ここでも「 不断桜 」が咲いていました。
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【 弥勒半跏石像( みろくはんかせきぞう )】
「 弥勒菩薩半跏思惟像 」は、座高1.75m( 全高3.3m )の石像で、当山寺宝の「 金銅製弥勒像( 像高27cm )」を 参拝用として拡大したものです。
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参道 】
駐車場 近くから 見た 紅葉した「 参道 」。  撮った場所から「 総門 」に至る 参道は 立ち入り禁止ですが、その分 落ち葉が 積もって 素晴らしい雰囲気を 醸し出していました。
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この後「 八日市駅 」から「 近江八幡駅 」経由で 京都に移動しました。 

今回は 時間の都合で「 赤門 」等は 訪れていません。  又 撮り残しも 多数有り もう一度 訪ねて見たいです。

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