「 川崎市立 日本民家園 」を見学しました【 其の参 】

今日は エリア「 宿場 」から次の「 信越の村 」に移動し6棟を紹介します。
03-06.jpg
01_stitch.jpg

【 信越の村へ 】
10-02.jpg

■ 水車小屋( 川崎市重要歴史記念物 )
10-05.jpg
水車小屋.jpg
・概  要:19世紀の巧みな動力源( 長野県長野市大字上ケ屋 )
・建築年代:江戸時代末期
・構造形式:寄棟造・茅葺・妻入
・見  所
水車に水を導くための「 樋( とい )」があり、粉挽き、米つき、藁打ちの3つの機能が備わっています。

建物は4.5m × 4.2m程です。  桁行を4間に割り、前3間の部屋は水路に迫って造った石積の基壇上に建て、背面1間に基壇下の高さを利用して直径3.6mの大型の水車が取り付いています。  小屋の内部には水車の動力を伝える木製の歯車が取り付いており、それを利用して製粉や精米を行う挽臼や石臼も揃っていました。
10-03.jpg
10-04.jpg
10-06.jpg
10-08.jpg
11-01.jpg
動画も併せてご覧下さい。

■ 旧佐々木家住宅( 国指定重要文化財 )
11-02.jpg
11-03.jpg
旧佐々木家住宅.jpg
・概  要:建築工事の古記録が残る名主の家
      ( 長野県南佐久郡佐久穂町畑 )
・建築年代:江戸時代 享保16年( 1731 )、延享4年( 1747 )
      に座敷普請
・構造形式: 寄棟造、茅葺(一部石置板葺)、一部中二階
・見  所
長野県南佐久郡八千穂村は山あいの高冷地で、決して豊かな土地柄では無く、佐々木家は旧上畑村の名主を交替で勤める有力農家でした。  「 佐々木家 」が普請をしたことが古文書に残っているのは 極めて珍しい例です。  享保16年( 1731 )、代官所宛に家屋が破損したので古材を用いて新築したい旨を記した「 普請願書 」が提出されました。  ところが新築10年後の寛保2年( 1742 )、千曲川の大氾濫によって上畑村は大きな被害を受け、その結果村をあげて山寄りの高台に移転することになりました。  佐々木家は幸い流出を免れたのですが、翌年他の村民と共に新しい土地へと移転しました。  この時、主屋は解体して移築した様です。  延享4年( 1747 )に座敷の妻側に2室続きの客座敷を増築しました。  現在民家園で見られるのは、延享4年の状態に復原されています。
11-05.jpg
11-04.jpg
11-07.jpg
11-10.jpg
11-14.jpg
11-11.jpg
11-12.jpg
11-13.jpg
11-18.jpg
11-19.jpg
11-15.jpg
昔 懐かしい「 脱穀機 」が展示されています。
11-17.jpg
11-21.jpg
母屋 客座敷に付属する形で便所や風呂場が設けられているのは、当家が名主という立場上、代官所の役人などを接客する機会が多かったことだと推測されます。  家族( 男性 )が用を足す( 小用 )便所が家の入り口にありましたが、土足のまま使えるようになっていました。  大と女性用は不明です。
11-08.jpg
風呂場は行水用で浴槽はありません。  使ったお湯は 外に流れ出る様になっています。
11-09.jpg
ポランティアの方が トイレを 桶で汲む説明をしていましたが、見学に来た 小学校の生徒さんは 一応に 不思議な顔をしていました。  多分「 ぼっとん便所 」と言っても分からないでしょう。

■ 旧江向家住宅( 国指定重要文化財 )
12-01.jpg
12-02.jpg
旧江向家住宅.jpg
・概  要: 田の字型の間取りを持つ合掌造りの家
      ( 富山県南砺市上平細島 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:切妻造、茅葺、一重三階
・見  所
急勾配の大屋根は、手を合わせた形から合掌造と呼ばれます。  2階3階は養蚕などに使われました。  囲炉裏の上の大きな棚は、火の粉が上がるのを防ぐと共に、濡れたものの乾燥などに使いました。

庄川沿いに位置する五箇山の一村、上平村( 富山県東礪波郡 )の合掌造民家です。  五箇山地方の合掌造は岐阜県白川村のそれとは違って、純粋な切妻造ではない点で共通します。  しかし同じ五箇山でも利賀谷の野原家では構造的にも入母屋造に近いのに対し、上平村の江向家では、土間妻側の屋根は構造的にも形態的にも切妻造の妻側に庇を取り付けた形になっています。  座敷側の妻には板葺の小さな庇が付くだけだから、これは切妻造を原形としたその発展形であることが分かります。  又、口の位置も野原家の平入に対し、こちらは妻側から入る妻入です。  上平村の古い民家はみな妻入であったらしいです。
12-06.jpg
12-09.jpg
火災の際に使われる消火ホース。
12-05.jpg
12-10.jpg
12-11.jpg
12-12.jpg
12-13.jpg
12-14.jpg
12-15.jpg
12-16.jpg
12-17.jpg
12-18.jpg
12-19.jpg
12-20.jpg
建物の横に植えられていた 蚕のの餌「 桑 」や 和紙の元になる「 こうぞ 」等の「 草木 」が植えられていました。
・こうぞ
12-21.jpg
・みつまた
12-22.jpg
・綿
12-23.jpg
・桑
12-24.jpg

■ 旧山田家住宅( 神奈川県指定文化財 )
13-01.jpg
旧山田家住宅.jpg
・概  要:蓮如上人が泊まったという言い伝えのある古い合掌造り
      ( 富山県南砺市桂 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:切妻造、茅葺、一重三階
・見  所
床下が高いのは、火薬の原料となる塩硝を作っていたためと考えられています。  左手にある小さな合掌造りは、肥料小屋を兼ねた便所です。

旧所在地は富山県庄川の最上流、東礪波郡上平村桂で、庄川の支流の奥、岐阜県境に近い戸数5、6戸の秘境でした。  全体の規模は約8間×約5間( 14.8m×9.5m )で、合掌造によく見られる張り出し部分もなく、長方形平面の簡明な姿を示す、純粋な切妻造で、いわゆる合掌造の古い例です。
13-08.jpg
13-04.jpg
13-03.jpg
13-05.jpg
13-06.jpg
13-09.jpg
13-10.jpg
13-11.jpg
13-12.jpg

■ 旧野原家住宅( 神奈川県指定文化財 )
15-01.jpg
旧野原家住宅.jpg
・概  要:迫力満点の梁がみられる合掌造の家
・建築年代:江戸時代後期
・構造形式:東面入母屋造、西面切妻造、茅葺、一重三階
・見  所
富山湾に注ぐ庄川を溯行( そこう )すると、一帯は合掌造民家の故郷です。  合掌造は飛騨白川村のものが有名ですが、更に上流の荘川村や、下流の富山県五箇山地方にも広く分布しています。  合掌造の特徴は急峻で大きな屋根や、棟の近くに かんざし の様に横木を刺し、これを手掛かりにして棟を押さえる「 笄棟( こうがいむね )」など、見る人に強い印象を与えます。  しかし良く見ると各土地の特徴を反映して、間取りや構造は 各々異なっています。  野原家住宅の旧所在地は庄川が東に分岐した利賀川の流域( 富山県東礪波郡利賀村 )に位置しますが、同じ五箇山でも庄川本流に沿って山ひとつ隔てた平村や上平村の合掌造とはかなり趣を異にしています。  利賀谷の合掌造は白川村の切妻造とは違って、妻飾の大きな入母屋造です。  これは基本的には五箇山全域の合掌造に共通しますが、一方入口は土間の平側につくいわゆる平入で、これは同じ五箇山の平村や上平村の妻入( 妻側に入口がつく )とは異なっています。  間取りも、土間沿いの部屋を前後2室に分ける上平村の民家に対して、利賀村では仕切りのない大きな一室としています。  屋根の形式こそ似てはいるものの、両者はむしろ別系統の民家と推測されます。
15-03.jpg
15-04.jpg
15-05.jpg
15-06.jpg
15-10.jpg
15-07.jpg
15-08.jpg
15-09.jpg

■ 旧山下家住宅( 神奈川県指定重要文化財 )
14-01.jpg
旧山下家住宅.jpg
・概  要:民家園唯一の白川郷の合掌造民家
・建築年代:江戸時代後期
・構造形式:切妻造、茅葺、一重三階
・見  所
五箇山の合掌造と異なり、石をのせた板葺きの 廂( ひさし )があります。

かつては飛騨白川村全域に分布していた合掌造も、集落としての景観を留めるのは僅かに荻町地区だけとなってしまいました。  山下家は白川村字御母衣にありましたが、御母衣ダム建設のため水没することになり、川崎市の千葉建三氏が入手し、川崎に移築し一時期料亭として使われていました。  昭和44年に民家園に移築されましたが、全面的な復原は行われておらず、当初の形態が不明な箇所もあります。
 
白川村の合掌造は一般にきわめて規模が大きく、部屋数も多いのが特徴です。  そこでは家父長を頂点とする大家族の生活が営まれていました。  耕地が限定され、山仕事と養蚕が主たる収入源でした。  次男、三男が成長して一人前の大人になっても分家独立して一軒の家を構えることは経済的に難しく、何時しか多くの家族の生活を一つ屋根の下で暮らす大きな合掌造りの生活形態が生まれました。  急勾配の屋根裏には何層にも床が張られ、2階3階が造られています。  しかしこの部分は居住空間ではなく、養蚕のための換気と採光が行われます。  特徴ある合掌造の外観は、このように養蚕の便のために生み出された形なのです。  又、農耕地が少ない為に、農家特有の、農作業の為の広い土間というものはありません。
14-06.jpg
14-02.jpg
14-03.jpg
14-05.jpg
14-08.jpg
14-09.jpg
14-10.jpg
14-11.jpg
14-13.jpg
14-14.jpg

【 その他 食事処 白川郷 】
この建物は 一時期 料亭として使われたこともあるので、利用して建物内で食事が出来る「 そば処 白川郷 」があります。  メニューは「 蕎麦 」と「 甘味 」で、特に蕎麦は山梨県の忍野村の湧き水を使って製麺をしています。  丁度 昼時間の前で 空いていそうなので 食事をすることにしました。
14-15.jpg
14-16.jpg
14-17.jpg
14-18.jpg
奥に行くと 廊下に席が用意されており、目の前に「 旧佐々木家住宅 」が見える 特等席が空いていました。  目の前に「 旧佐々木家 」が見えます。  「 温かいトロロ蕎麦 」と「 モツ煮 」をお願いしました。  こういった所は 正直 お腹を満たすことはあっても 美味しいと思った事はありませんが、コシのある蕎麦に、少し甘めの出汁とトロロ がマッチして 大変美味しく戴く事が出来ました。  「 モツ煮 」は お酒のためだと思いますが、味が薄目で これも絶品でした。
16-02.jpg
16-09.jpg
蕎麦を戴いている最中に 目の前に「 水彩画 」の先生と生徒さんが 絵を描き始められました。  先生の描かれているスピードが早く、感心していました。  途中 振り返りながら「 蕎麦の良い臭いがしますね 」と!   昼食はここにしましょうと。
16-10.jpg
16-11.jpg
16-12.jpg
以下の写真で 建物の前の石垣の上に「 茶色の-の部分」が、食事をした特等席の机です。
16-07~1.jpg

明日は「 関東の村 」3棟を紹介します。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 8

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント