橫浜 野毛から伊勢佐木町へ

折角だからと 妻 が伊勢佐木町の「 文明堂 」へ行こうとのことで、センターグリルのある「 野毛 」から「 伊勢佐木町 」まで腹ごなしも含めて歩きました。

野毛は このセンターグリル 以外に、「 新横浜 」にも支店を出している「 洋食 キムラ 野毛店 」があります。
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名物は「 とろけるハンバーグ 」です。
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「 野毛 花咲町の繁華街 」の横を流れる「 大岡川 」に出て「 都橋 」の手前に「 都橋商店街 」があります。  「 商店街 」と言えば、食料品や日用品が売られているのを想像しますが、この辺りは 夜になると活気付く「 都橋商店街 」があります。  「 商店街 」と言っても「 飲み屋 」全てが「 一つの建物に集約 」された「 飲み屋街 」なのです。
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歴史は古く、昭和39年( 1964 )「 東京オリンピック 」開催時に「 野毛本通り 」を綺麗に見せるため、通りに並んでいた「 露店 や 屋台 」を収容する為に建てられました。  半世紀を経た建物は補修を繰り返しており、別名「 ハーモニカ横丁 」とも言われる扇型の建物で、一階と二階に「 約60店舗 」が営業しています。
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左折して「 大岡川 」に架かる「 都橋 」を渡ります。
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ここから「 野毛町 」と「 伊勢佐木町 」を繋ぐ「 吉田町 」に入ります。
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この「 吉田町 」を含む一帯は江戸時代初期迄「 入り江 」となっていました。
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「 吉田勘兵衛 」によって開墾された新田で( 現在の横浜市中区、南区に跨がる地域 )後に「 吉田新田( よしだしんでん )」と呼ばれる様になりました。   現在の吉田町はその東北端に位置します。

この辺りは、北に「 野毛山 」、南に「 山手 」の「 洪積台地 」に挟まれた谷戸状の地形で「 入江( 青色の線の内側 )」となっていました。
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以下の写真は 反時計方向に90度 回してご覧下さい。
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この入江の湾口に横に長い砂浜が伸びて、そこに村落( 横浜村 )が形成されていました。   これが 現在の「 横浜( 地図の通り 浜が横に長く続いていたので 横浜 となったのです )」の名前の由来となっているのです。    この入江の沿岸では、「 横浜村 」や「 野毛村 」等の村民が、少ない田畑を耕したり、入江に塩田を開いて生活していました。  この「 入江 」が埋立てに適していることに目をつけた江戸の材木商である「 吉田勘兵衛 」が江戸幕府から、「 埋立て ・ 新田開発 」の許可を得、又村民達は広い田地が手に入ることで賛同し、明暦2年7月17日 ( 1656年9月5日 )から工事が開始されました。    
海水の流入を防ぐ「 潮除堤( しおよけつづみ )」を築くことから始められ、土は「 天神山( 今の日ノ出町駅裏 )」と「 中村大丸山( 今の市大病院裏 )」を崩して 運び埋め立てたのです。  最初の2枚の図も反時計方向に90度回して下さい。
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堤は、横浜村の砂洲よりやや内陸側の、現在の「 JR関内駅 」付近に築かれたと考えられています。  工事の途中 幾多の災難に見回れたのですが。寛文7年( 1667 )に完成し、新田は 当初「 野毛新田 」と名付けられた後、新田開発成功を知った「 第4代将軍 徳川家綱 」は、寛文9年( 1669 )に、彼の功績を称えて「 吉田新田 」と改称し、吉田に「 苗字帯刀 」を許しました。
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神奈川県の小学校では 教科書に「 吉田新田」のことが書かれており、「 横浜発展の基礎 」になった事を学びます。   

その後「 横浜港 」が出来、新橋 - 横浜( 現在の桜木町 )に鉄道が敷かれ、同時に県庁の建物等も造られていったのですが、「 みなとみらい21 」のプロジェクトで、徐々に その賑わい( 特に若者達 )は 「 みなとみらい地区 」へ移ってしまうのです。  

「 吉田町本通りの街並み 」の特徴として、「 赤く塗られたビル 」があります。    戦災復興にあたり、吉田町通り沿いは、昭和27年( 1952 )に施行された「 耐火建築促進法 」に基づき、鉄筋コンクリート造り4階建ての防火帯建築の共同ビルが建てられました。    上層部は集合住宅、下層部は店舗として使われ、老舗の店などの他に画廊やバー、喫茶店などが軒を連ねており、朱色の壁が印象的です。    この色は、塗装店に廉価な材料を依頼したところ「 船底用の防錆塗料 」を提案されたことによるものです。
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道路の反対側から見ると良く分かります。
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橫浜で有名な 老舗うなぎ屋「 八十八 」が見えます。  何時も前を通り過ぎるだけです。
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この先が「 伊勢佐木町 」です。
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「 伊勢佐木町 」を全国に知らしめたのは、昭和43年( 1968 )に「 青江三奈 」が唄って大ヒットした「 伊勢佐木町ブルース 」です。又 最近では「 横浜松坂屋本館前 」で 地元出身の「 ゆず 」が唄っていたのが有名です。
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「 伊勢佐木町 」の名前の由来は諸説有りますが、当地の道路建設費用を寄付した三名「 伊勢屋中川次郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎 」に因むとか、伊勢佐木町起立前に興行場を開場した「 伊勢文蔵、佐々木次年 」の両名に因むとも言われています。  この付近も 前述と同じく「 吉田新田 」の一部で「 沼地 」で、「 寛文11年( 1671 )」迄に埋め立てられ、耕地となりました。  一時期「 遊郭 」もありましたが、区画整理後、「 明治7年( 1874 )」に町名が「 伊勢佐木町 」となりました。   地名としては「 伊勢佐木町字1丁目~7丁目 」から成り、その真ん中を「 伊勢佐木町通り 」が有り、北東 - 南西方向に約1.5kmと続きます。

現在「 イセザキモール( 1丁目~2丁目 )」、伊勢佐木町商店街( 3丁目~7丁目 )」から成っています。  明治時代から商店などが集中した為、現在でも明治創業の「 有隣堂本店、不二家横浜センター店( 元町で創業し、此所は2番店 )、文明堂( 横濱文明堂の本店 )等があります。   今はありませんが「 横浜松坂屋 」、「 松屋 」等もありました。  写真は「 有隣堂 」です。
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最寄りの「 関内駅 」に近い「 伊勢佐木町商店街 」の 一丁目から 本通り真っ直ぐ歩くと四丁目にある「 伊勢佐木町ブルース 歌碑 」があります。  ボタンを押すと「 メロディー 」が流れます。
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昼といっても「 変なおじさん( 一見 住所不定 )達 」が 屯しているのですが、面白いことに7丁目に近付く( 奥に行く )程 変なおじさん多くなるのです。  会社時代の同期の友達は、パチンコで勝った「 タバコ 」を1カート持って歩いていたら 脅かされて盗られてしまったそうです。  「 山ちゃん 」も時折行きますが、「 文明堂 」で一休みしたら そのまま帰ります。

明日は「 文明堂 」に就いて投稿します。

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