「 川崎市立 日本民家園 」を見学しました【 其の五 】

今日は「 神奈川の村 」7棟を紹介します。
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エリア「 関東の村 」から「 神奈川の村 」に移動します。
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■ 北村家住宅( 国指定重要文化財 )
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・概  要:貞享四年の墨書が残る古民家
 ( 神奈川県秦野市堀山下 )
・建築年代:墨書により江戸時代 貞享4年( 1687 )
・構造形式:寄棟造、茅葺
・見  所
江戸時代初期の民家としては、非常に明るく開放的な造りです。  竹簀子床には厚いムシロを敷いて生活していました。  広間と台所( 土間 )の間の柱の鱗模様は「」があります。これは釿( ちょうな )で削った跡です。

旧所在地は大住郡鍛冶谷村( 秦野市堀山下 )で、名主の分家と伝えられています。  解体移築の際に柱枘より墨書銘が発見され、貞享4年の建築であることが判明しました。  これは、建立年時の明らかな民家としては、東日本では茨城県出島村の椎名家住宅延宝2年( 1674 )に次いで古い建物です。  また建築を手掛けたのも同村及び近在の大工であり、こうした面からも当地方民家の代表例とするに相応しい物です。
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■ 棟持柱( むなもちばしら )の木小屋
 ( 川崎市重要歴史記念物 )

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・概  要:堀立ての棟持柱を持つ薪小屋
 ( 神奈川県川崎市多摩区生田 )
・建築年代:大正13年( 1924 )
・構造形式:切妻造・杉皮葺・妻入、1面下屋付
・見  所
柱が屋根を直接支え、屋根の骨組みと一体化しています。  柱は地面に直接埋める掘立式です。  これが掘立て小屋の語源となっています。

この建物は「 クズ小屋 」と呼ばれ、薪や堆肥用の落葉を貯めておく小屋でした。  多摩区内で農家を営む家の納屋脇に建っていたものです。  昭和25年頃に屋根が改修され、桁以上は新材に替えられています。  木小屋は3.6mx2.7mで、正面に向かって左手に下屋を付けた簡素な建物です。  その建築的な特徴は、棟持柱をもつ垂木構造であること、しかも柱を全て丸太の堀建柱とすることです。  この構造は、軸部と小屋が一体であり、木造建築の最も原始的な形態を示しています。  この建物は民家の原形を示す小屋の構造をよく伝えており、また多摩丘陵の農家に伝わる付属屋の遺構として参考になります。
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■ 旧清宮家住宅( 神奈川県指定重要文化財 )
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・概  要:棟に花が咲く古い様式の民家
 ( 神奈川県川崎市多摩区登戸 )
・建築年代:江戸時代初期
・構造形式:寄棟造、茅葺
・特記事項:来年3月迄屋根の葺き替え工事
      や外構整備を行う為立ち寄れません。
・見  所
屋根の棟にはイチハツという花が植えてあり、5月には花が咲きます。  園内で最も古いと考えられる家で、非常に閉鎖的な造りです。

旧清宮家住宅は神奈川県内では屈指の古民家です。  江戸初期まで溯るのではないかとされているが、後代の改造が激しく、旧状の不明な箇所がかなりあるのが惜しまれます。  全体の造り及び外観上の大きな特徴は、きわめて閉鎖的で開口部が極端に少ないこと、そして近世民家特有の縁側がないことです。
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防火訓練の様子。
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■ 旧伊藤家住宅( 国指定重要文化財 )
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・概  要:民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家
      ( 神奈川県川崎市麻生区金程 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:入母屋造、茅葺
・見  所
正面の格子窓は 猪窓・猪除け窓などと呼ばれます。  流しはしゃがんで作業する「すわり流し」という形式です

伊藤家住宅は橘樹郡金程村( 川崎市麻生区金程 )の農家で、江戸時代には名主を勤めたと伝えられています。  江戸時代中期の中層農家の標準的な遺構として貴重です。  県内では多摩丘陵地方に多く分布する入母屋造の草葺屋根で、古民家特有の閉鎖的な佇まいを見せています。  窓には格子が入り、こうした形式を当地方では猪窓と呼んでいたようで、県下の江戸中期以前の民家に共通してみられるものです。  又、客座敷は前面と側面に縁側を持つが、その奥行きは浅く、縁台を固定したような形です。  民家に於ける縁側の発生期の姿を示しているのだと思われます。  そして客座敷と外部との仕切りは板戸だけで障子はありません。 間取りは江戸中期の当地方民家に一般的な広間型三間取となっています。
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■ 蚕影山祠堂( こかげさんしどう、川崎市重要歴史記念物 )
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・概  要:養蚕信仰を今に伝えるお堂
      ( 川崎市麻生区岡上 東光院内 )
・建築年代:宮殿 江戸時代 文久3年( 1863 )
       覆殿 江戸時代 元治2年( 1865 )
・構造形式:宮殿 一間社春日造、向唐破風造、こけら葺
       覆堂 正面入母屋造、背面寄棟造、茅葺、
・見  所
内部の宮殿の両側面には養蚕の神様である金色姫の苦難の物語、獅子・鷹・舟・庭の4場面が彫刻されています。  

この祠堂は養蚕の神「蚕影大権現」を祀る宮殿と、それを安置する覆殿より構成される。  元、川崎市麻生区岡上の東光院境内に祀られ、人々の信仰を集めていましたが、養蚕の衰退と共にお堂の維持が困難になった為、岡上の養蚕講中より昭和44年( 1946 )に川崎市に寄贈されました。  翌45年、祠堂を日本民家園に移築し、それを機に覆殿は復原修理された。
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■ 岩澤家住宅( 神奈川県指定重要文化財 )
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・概  要:茶畑に囲まれた山間の農家
      ( 神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:入母屋造、茅葺
・見  所: 客座敷にある押板は床の間の前身といわれ、古い家の特徴の一つです。  入口右手の道具は「 ホイロ 」といい、お茶作りに使われます。

岩澤家は 相模川の支流 小鮎川 の段丘上に位置し、名主も勤めた家柄です。  屋根は移築前は寄棟造でしたが、入母屋造に復原されています。  間取りは神奈川の古民家の主流である広間型3間取で、土間( 台所 )と床上3室から構成されています。  生活の中心である 座敷は桁行2.5間が通例ですが、当家は3間で、これは上層農家の格式を示すものです。  座敷の前面2間を格子窓とするのはこの時代の関東の古民家に共通する形式です。  柱が全て斧仕上となっています。
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■ 菅( すげ )の船頭小屋( 川崎市重要歴史記念物 )
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・概  要:多摩川の「 菅の渡し 」にあった
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・建築年代:昭和4年( 1929 )
・構造形式:切妻造、杉皮葺
・見  所
出水時に小屋が移動出来る様、四隅の柱には丸太を通し担ぐための鉄の輪が取り付けられています。  中は狭いながら畳が敷かれ、小さな囲炉裏も設けられています。

この船頭小屋は、船頭が客を待ち、川の見張りや休憩するのに用いていました。  菅の渡しは、多摩川右岸の菅と対岸の調布を結ぶ渡し場で、商品作物の輸送、肥料や日用品の仕入れ、親戚や寺への往来など、生活圏を共通する流域の人々が、その交流のために設けたものである。  柱の外側に取り付けてある鉄の輪は、出水の際に、そこに丸太を通して小屋を担ぎ、移動させるためのものです。  道標は出水の際に度々移されたことから、当所の位置を定めるための傍示的な意味もあり、併せて、銘文からも菅の渡船場の存在を窺わせる関連資料として重要です。
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余談ですが、「 山ちゃん 」が生まれ育った 久御山町から最寄りの 京阪電車「 淀駅 」に出るには「 渡し船 」を利用していた時期がありました。  同じく「 船頭小屋 」が有りましたが、「 藁葺き屋根 」だった記憶があります。

来週月曜日は「 東北の村 」2棟を紹介します。

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