「 川崎市立 日本民家園 」を見学しました【 其の四 】

今日は エリア「 信越の村 」から次の「 関東の村 」に移動し3棟を紹介します。
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トンネルを潜ると その先が「 関東エリア 」となります。
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■ 旧作田家住宅( 国指定重要文化財 )
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・概  要:イワシの地引網漁で栄えた網元の家
      ( 千葉県山武郡九十九里町作田 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:寄棟造、茅葺、風呂場及び便所付属
・見  所
居間の梁は松の曲材を巧みに組み合わせており、見事な造形美を見せています。

旧作田家は「 佐久田村( 千葉県山武郡九十九里町作田 )」の名主で、同時に鰯漁の網元を勤めた家柄でした。  網元としての財力を反映して当時の民家としては相当大規模なものです。  移築前は周辺の農家と同じく、ひとつ屋根の 所謂 直屋の形式でしたが、その後 分棟型 であったことが判明し、その様に復原されています。  直屋に改造した時期は江戸中期頃だったらしく、その時に土間棟はすっかり建て替えられ、材料も全て新材に替えられました。  しかし発掘調査によって土間の規模は当初から変化の無いことが判明したので、建て替え時の柱や梁を再用して、土間を別棟の形式に復原しています。  又、この地方には既に分棟型の民家形式は全く残されていなかったので、主屋と土間との取り合わせ部分の雨水の処理法などは「 旧太田家住宅 」など 茨城県の分棟型民家を参考に整備されました。  作田家の間取りは、漁家とはいっても農家のそれとなんら変わるところが見当たりません。  客用の風呂や上便所は幕末期の嘉永4年( 1851 )頃のものです。  下から見渡せる梁組は豪壮で、やや細身ながら曲がりくねった梁を自在に組み上げた大工の腕は見事で見応えがあります。
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この家の前にベンチや自販機、トイレ等があり 休憩することが出来ます。  又 売店「 三吉野( 民家園の休園日と水曜日は休み )」さんがあります。  当日 つきたての 大福、草餅、白餅や団子( みたらし、あんこ、のり )と「 マツコの知らない世界 」で紹介された 抹茶とあずきのアイスバー が売られています。  美味しそうだったので 先にお金を払い餅や団子を買いました。  持ち帰り当日戴きましたが、草餅は柔らかく 焼かずに戴けます。  アイスも絶品でした。  超お薦め店です。
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■ 旧広瀬家住宅( 神奈川県指定重要文化財 )
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・概  要:芝棟と土座のある甲州民家
      ( 山梨県甲州市塩山上萩原 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:切妻造、茅葺
・見  所
風の強い山の斜面にあった為に軒が低くなっています。  居間には床板を張らず、地面の上に茅束とむしろを敷いて暮らしていました。  見学時 多分建築学科の生徒さんだと思われる方が測定中でした。  確かに 軒が低く 2回ぶつかりました。

旧広瀬家住宅は山梨県塩山市北方の大菩薩峠付近を源流とする、笛吹川の支流の東岸・上萩原中小沢で、かつて付近の甲府盆地東部一帯には切妻造の草葺屋根( 地元では切破風造と呼ぶ )の民家が散在していました。  草葺屋根のごく一般的な屋根の形は寄棟造で、入母屋造がこれに次いで多いです。  切妻造は形としては最も単純だが、草葺屋根としては圧倒的少数派です。こうした屋根形式が分布するのは全国的にみても奈良・大阪・岐阜・富山そして山梨のみです。  奈良・大阪における切妻草葺の出現は江戸後期だから、それほど古い歴史を持っているわけでは無く、こうしたなかで山梨県の切妻造は既に江戸中期前半には一般化しているから、飛騨の合掌造と並んでその成立はかなり早かったのです。
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■ 旧太田家住宅( 国指定重要文化財 )
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・概  要:家の中に雨樋のある二つ屋根の家
      ( 茨城県笠間市片庭 )
・建築年代:江戸時代中期
・構造形式:寄棟造、茅葺
・見  所
屋根が二つあり、間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋が見られる分棟型民家です。  樋が詰まると家の中に雨水があふれました。

太田家住宅の大きな特徴は、棟方向を別にする二つの屋根を接続して一軒の家を構成していることです。  この様な煮炊きをする竈を置く釜屋( 土間 )と居住部分に、別々に屋根をかける形式は分棟型または釜屋建などと呼ばれ、八丈島や南西諸島などに多く分布することから、かつては南方系の住居形式と考えられてきました。  しかし太田家の茨城県中西部、あるいは栃木県宇都宮市の周辺にも昔はこうした家が存在したことが確認されるに及んで、このような解釈は再考を迫られることになりました。  外観は、ひとつの屋根の下に土間も居住部も含む周辺の農家とは大きく相違しているが、間取りは基本的にはそれらとなんら変わるところがありません。  広間型3間取の一種です。  土間がかなり広いですが、これは土間部分だけ一度建て替えられているからで、解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものでした。
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主屋部は土壁だが、土間廻りは板壁で、主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷が出来ますが、ここには大きな樋を設けて雨水を処理しています。
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明日は「 神奈川の村 」7棟を紹介します。

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