小机城趾を見学しました【其の弐】

昨日は「 小机城趾 」に行く 階段の手前迄を書きました。  今日は「 小机城趾 」に就いて書きました。  城趾内の見学の道は整備されているものの「 見学ルート 」が明記されておらず、一応下調べをして行ったのですが、帰って調べると 見落とした箇所もあり、仕方無く再訪し、城趾内を「 行ったりに来たり 」と 非常に効率が悪い見学となりました。  1回のみでは理解は困難だと思います。  まぁ それも楽しいのですが。
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城跡の地図は、分かりやすい物が無く、現地で撮った説明パネルを加工し見易くしました。  以下見学した順番に、城に関係した説明を個々に付け加え、写真と共に説明します。  地図でお分かりの通り、現在「 小机城趾 」には、南北に「 第三京浜道路( 高速道路 )」が走っており、分断されています。
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西側にある「 富士仙元 」は 訪れておりません。

【 曲輪( くるわ )と、縄張( なわばり )】
曲輪 」は、この字以外に「 郭 」や「 廓 」の字を用いますが全て「 くるわ 」と読みます。  城を構成するパーツの中で、基本となるのが「 曲輪 」で、土塁、堀や石垣で囲って区画した城内の平坦地を指し、各々 防備地帯、兵営の場、館が立地される場所を言います。

縄張 」とは、目的が定まった地を決定した後、その広さを決定し、 曲輪の配地、道のつけ方、門の開き方、水の便などを定めることです。  この地取と縄張を総称して「 城取 」と言い 武士が行いました。   

【小机城の縄張り 】
半島形の突出た丘陵の上部を大きく平に削り、一列に三つ程度の曲輪を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰・帯曲輪を築いています。  又、城郭全体を二重の土塁を空堀でぐるりと巡らす縄張で、北条氏特有の築城法です。  

【 竹藪 】
始めて行く時、商店街の方が、あそこは「 竹藪 」が凄いですよと 言っておられました。  確かに「 城跡 」全体が「 孟宗竹 」で覆われていました。  両側の「 竹藪 」を見ながら緩やかな坂を上がります。
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【 根古谷 】
「 根古谷( ねこや )」とは、城の麓に 置された 城主の館や、家来の屋敷跡です。  城主は平時には麓に居住し、いざ 戦闘時には城に詰めます。  山城で良く見られるスタイルです。  「 其の壱 」で、「 笠原信為 」が、小机城を中心に付近の村に僧侶を招いて寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいました。  と記しましたが それらしき 館 は見当たりませんでした。  廃城となった時に誰もいなくなったのか分かりません。  只、竹藪の中に「 ねこやひろば 」と書かれたポールとトイレはありましたが。
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【 空堀 】
「 竹林 」の続く上り坂を ジグザグに上がります。
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上がり詰めると 眼下に「 空堀( 横堀 )」が見えます。  堀の大きさは 上部の幅が12.7m、堀底の幅が5.0m、深さが12.0mです。
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以下「 堀( 濠 )」に就いての説明です。  ここでは 濠では無く「 堀 」を使います。

「 堀 」は、敵の侵入を防ぐ為のもので、簡単に越えられない様、土を掘って高低差を設け、攻め寄せて来る敵を遮断する、攻撃よりも防御を主とした工夫がされています。  大雑把に言って「 中世城郭( 山城、平山城 )」では大半が「 空堀 」となっており、「 近中世城郭( 平城 )」になると、水を引き込む「 水堀 」の技法が取り入れられます。  河川や湖、海水を引き込んでいることが多く、有事の際には飲料水として使うことも想定していました。  堀は下記の2種に分類出来ます。

形態による分類では
・堀切( ほりきり )
尾根( おね )を直線的に、仕切るように作られたもの。
・横堀( よこぼり )
曲輪( 平坦部 )を取り巻く様に掘られたもので、このタイプの堀は近世城郭でも一般的で、空堀だけでなく水堀もあります。我々が目にするのは殆どこの」これに当たります。
・竪堀( たてぼり )
横堀に対して、斜面に対し山の上から下へ並行に掘られたもの。  斜面を伝った移動を阻みます。

堀の底の形による分類では
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・箱掘( はこぼり )
堀の底が平らになっているのが特徴で、両側が高く、断面が箱型になることが名前の由来です。
・毛抜掘( けぬきぼり )
堀の底を半円形のように丸く掘ったもの。  毛抜きの先のようにU字型であることから、この名前が付いています。
・薬研堀( やげんぼり )
堀の底がV字型になっているのが特徴。  落ちると登るのは一苦労します。
・片薬研堀( かたやげんぼり )
薬研堀の片側を切り立った形にして、レの字型にしたもの。  薬研堀より登りにくく、防御力が高い反面、崩れやすいという欠点もあります。
・諸薬研堀( もろやげんぼり )
側が急斜面になっているもの。

これ等各種の堀を、如何に効果的に配置するかが、城の防御力を大きく左右します。  以前 友達と彦根城に行った際に撮った「 空堀 」です。
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「 空堀 」の手前で ルートは 左右 二つに分かれています。  左に行くと「 本丸広場 」へと続きます。  右に行くと、「 櫓跡 」を通じて「 二の丸 」へと行けます。  右に行って「 櫓跡 」迄 行って 引き返しました。
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左の「 二の丸広場 」に行く途中で 又 左右に分かれています。  左の階段を下りて 第三京浜の下を潜ると「 富士仙元 」に行けますが、ここも 途中で引き返しました。  右に行くと「 土橋 」に向かいます。
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【 土橋 】
城に設けられた「 土橋 」は橋ではなく「 堤 」で、堀を巡らす中で、出入りの為の通路を、細い土手として残したものです。  城の設計では、堀の通行に木橋を設けるか土橋を設けるかの選択がありました。  土橋は戦闘中に攻撃側にも防御側にも破壊出来ないので、土橋は守る側にとっては不利に働きます。  木橋では守る側が橋を落として封鎖することも容易です。
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彦根城を訪ねた時に撮った「 木橋 」です。
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【 本丸広場( 西郭 )】
土橋の先が「 本丸広場 」です。  「 本丸 」とは、日本の城の中核となる「 曲輪 」の名称です。  城の中心と考えれば良いと思います。  一の曲輪、本曲輪、一の丸とも称され、日本の中世考古学においては「 主郭( しゅかく )」とか「 郭 」とも呼ばれます。  呼び方に対し統一した決まりがあるわけでは無く、昔から呼び慣わされてきた呼称だったり、明治以降に便宜的に付けられたものだったりと様々です。  中世の山城では、本丸に当たる主郭に大将が居する陣屋を置き、戦時や城に立て篭もる時は麓の館から主郭の陣屋に入って指揮を執りました。 

土橋を渡り「 冠木門( かぶきもん : 柱と貫(横木)だけで造られた屋根の無い門の事 )を潜ると「 本丸広場 」です。  見た目 結構広いです。  城址の調査等実績の少ない小机城については、説明パネルに「 城趾の調査等実績の少ない小机城については、現在地が本丸跡とは断定できません 」と記されています。  ここで始めて人に出会いました。  ご夫婦でお弁当を食べておられました。
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【 本丸広場 から 二の丸広場 へ 】
本丸広場 から 二の丸広場 に行くのに、「 竹林 」を左右に見ながら、一度 階段を下りて「 空堀 」の底に出、そこから 階段を上り「 二の丸広場 」へ移ります。  この降り立った所は「 小机城趾 」の中の「 見所の一つ 」で、本丸・二の丸・井楼( せいろ )の三箇所へ行く分岐点です。  左右と前 三箇所に崖が聳え立ち 敵が簡単に攻める事が出来ないのが分かります。  ましてや 土塁等から 弓矢が飛んでくれば 全滅です。
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【 二の丸広場の周り 】
階段を上がると「 二の丸広場 」に行きますが、上がらずに直進すると 二の丸広場 の周辺をグルッと下から回れます。
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【 二の丸広場( 東郭 )】
城を見に行くと、本丸、二の丸、三の丸、更に色々な名称の「 曲輪 」と書いてある 説明パネルが目に入ります。  更に、本丸にあった御殿は本丸御殿、二の丸にあった御殿は二の丸御殿ということもありますね。  中世の山城では、小規模な曲輪を幾つも造り、特にどれが主という役割はありません。  戦国時代以降は「 一郭 」を主とし、「 二郭以降 」を従とする構成が一般的となり、更に江戸時代になると本丸を中心に、二の丸、三の丸を配置し、後は必要に応じて補佐的な「 小曲輪 」を配置します。
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因みに、四ノ丸という名称は存在せず、三の丸より 更に 曲輪を造った場合は、特定の名称で呼ばれるのが通常です。  一説には「 四=死 」を連想させるものだからとも考えられています。  二の丸は、本丸を直接守備する役割があり、縄張りのとき、本丸の守備や防備にも主点が注がれます。  以下「 空堀 」から階段を上がって「 二の丸広場 」へ移動します。
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【 土塁 】
堀と共に城の防備や攻撃に重要な施設で、堀を掘った土で築き上げた防備壁を指します。  土塁の規定幅は5m、上底幅2.5m、高さ2mです。  一般には中世初期に築かれた城の土塁は、塁線に屈曲がなく、塁の上もしくは、外のりには 必要に応じて 棚・堀・逆茂木( さかもぎ )を設けています。  城兵が上に乗って戦ったり、城内に矢玉が飛びこむのを防ぐ役目をしています。
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【 櫓台跡 】
この櫓台跡もその一つで土塁と連続して作られています。  城郭内に防御や物見のために建てられた仮設 又は 常設の建築物が数カ所設けられています。  日本では、石垣や土塁の上に木造の建築を建てて、攻め手への攻撃と防御を有利に働かせました。
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【 井楼跡( せいろうあと )】
丸太や材木を井桁状に組んでつくった櫓。  盆踊りの会場に立っているものと同じだが、あり合わせの材料で簡単につくれるので、見張り用として重宝します。  盆踊りの時の「 櫓 」だと思ってください。
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【 二の丸広場 から 最初の空堀へ 】
井楼跡 から 最初見た「 空堀 」の所に 戻ってきました。  出来る限り 歩いた順に書きましたが お分かりになったでしょうか?  この後「 ニッサンスタジアム 」、「 新横浜駅 」経由で歩いて帰りました。

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