築地本願寺( 改版 )

「 築地本願寺 」を訪ねた記事を「 今月14日( 金 )」に紹介しました。  昨日書きました「 NIKON銀座サービスセンター 」の後、取り残した写真を撮ろうと、再度「 築地本願寺 」を訪ねました。

一度 アップし「 気持ち玉 」も戴きました。  前と比べ 大筋 文章はほぼ同じないようですが、更に写真を入れ替え、加筆、項目の追加などをしたので「 改版 」として本日アップしました。  

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「 築地本願寺 」は、京都市内にある「 西本願寺 」の直轄寺院で、浄土真宗の寺院です。  本尊は聖徳太子手彫と伝承される「 阿弥陀如来立像 」です。
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元和3年( 1617 )、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町( 現在の日本橋横山町 )に創建されましたが、明暦3年( 1657 )江戸市中で起きた「 明暦の大火( 振り袖火事 )」で本堂を焼失してしまいました。  その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付されたが現在の場所です。  当時は海だったのですが、佃島( つくだじま 現在の中央区佃 )の門徒達が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き上げました。  以前にも書いた通り、海を埋め立てたのが「 築地 」の名称の由来になっています。  そして延宝7年( 1679 )年に本堂が再建されました。
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その後、大正12年( 1923 )には関東大震災に伴う 倒壊と火災により本堂を焼失しましたが、
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昭和9年( 1934 )に再建し現在の本堂の姿となりました。
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詳細は以下に記しましたのでお読み下さい。  又平成24年( 2012 )には、従来の「 本願寺築地別院 」から「 築地本願寺 」と変わり、これにより 築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となりました。

「 関東大震災 」により 崩壊・焼失した本堂は、復旧事業として昭和6年( 1931 )に起工、昭和9年に竣工しました。  設計は当時の浄土真宗本願寺派法主「 大谷光瑞( 浄土真宗本願寺派 第22世法主 )」と親交のあった東京帝国大学工学部「 伊東忠太名誉教授 」によるものです。
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築地本願寺 境内の風景
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右手にある「 親鸞上人像 」
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日本の仏教は中国から伝来されて来ました。  従って、日本の寺院は初めから中国の建築様式を模倣してきました。  世界最古の木造建築といわれる「 法隆寺 」を初めとして、全ての日本の寺院は中国の建物を参考に建てられていますが、その中国を飛び越していきなりインドの建築をお手本としたのは、ここ「 築地本願寺 」が唯一の例です。  

本堂は、古代インド様式をモチーフとした建物で、当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造りの2階建てで、大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳な建物で、重要文化財に指定されています。
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本尊を安置する中央部と北翼部( 向かって左 )、南翼部( 向かって右 )から構成されています。  屋根は「 陸屋根( ろくやね )」で、屋上中央に半筒形の「 ヴォールト屋根 」を上げ、その正面は蓮華をモチーフとしたインドの石窟寺院風のデザインになっています。  北翼と南翼の屋上にはそれぞれインドの仏塔( ストゥーパ )風の塔屋があり、前者は鐘楼、後者は鼓楼をモチーフとしています。
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本尊を安置する内陣と参拝者のため外陣は階段を上った2階に位置し、1階は基壇( 建物への水の浸入を防いだり、水はけを良くするために平地の上に石を組み高くした部分箇所。 )風の扱いとなっています。  外観は1階が石張り、2階はモルタルに目地を刻んで石張り風に見せ、柱形を造り出し、陸屋根の周囲にはパラペット( 建物の屋上、屋根等バルコニーの外周部の先端に設けられた低い立ち上がり部分の壁。  屋根の防水において、重要な役割を持っています。 )が設けられています。
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本堂1階右手入り口
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本堂1階左手入り口
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柱頭やパラペットのデザインはインド風である一方、2階の窓は日本の仏教寺院にみられる「 花頭窓( かとうまど )」をモチーフにしています。  

大階段を上がると「 広間 」と呼ばれる前室を経て外陣があり、その奥が本尊を安置する内陣となっています。  二回目に訪れた時は 九州の「 敬徳高等学校 」の生徒さんが 数珠を持って お詣りに来ていました。  調べると「 龍谷総合学園加盟校 」の一つでした。
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正面に飾られているのが「 阿弥陀如来立像 」
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右手が「 親鸞聖人像 」
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左手は「 築地本願寺の貫首 」の方の掛け軸。
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本堂に置かれている「 お賽銭箱 」、側面を見るとこの寺と縁のある「 佃島 」の名前が彫られていました。
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又 外陣の後ろには、仏教寺院としては珍しい「 パイプオルガン 」が設置されています。  時折 コンサートが催されます。
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この本堂はインド、西洋、イスラム、日本などの異なるモチーフを融合させた独自の様式を示すと共に、礼拝、説教、会議、事務など、仏教寺院のさまざまな機能を1棟で果たせるような合理的な設計になっているのが特徴です。

大階段の左右にある翼の生えた獅子。  後ろ姿を見ると、たてがみがあり、尾が細く先だけフサフサしていますが、ギリシャ神話に登場するグリフォンや、インドの神鳥とされる「 カルラ( ガルーダ )といった鳥をモチーフとした幻獣とは違い、獅子そのものをモチーフとしたなんとも不思議な「 幻獣 」です。    2体の獅子の口は「 阿吽 」となっています。  人生の最初の「 阿 」と最後の「 吽 」、すなわち「 異次元 」の世界へ入ると言う意味なのでしょうか。  

以下「 阿 」の獅子です。
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以下「 吽 」の獅子像です。
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大階段を上がった所にある「 獅子? 」
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又設計者の伊藤忠太は妖怪好きだったそうで、数多くの動物像がいることも有名です。  大階段の左右に見られます。
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話は 少し戻りますが「 大谷光瑞 」は、活動としてインドに渡り、仏教遺跡の発掘調査、資料収集のため、大規模な探検隊を出し、自らその先頭に立って奥地に分け入っています。 時折 NHKで放送される「 シルクロード 」等の遺跡発掘で「 大谷探検隊 」として 発掘に惜しみない努力をした人としても有名です。
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この記事へのコメント

せきあ
2020年02月21日 07:52
狛獅子、動物達、素晴らしいですね
西本願寺の総門手前の伝道院も不思議な動物の石像で囲まれています
伊藤忠太の作品です
毎回掘り下げて記事にして頂いているので分かり易く、勉強になります
山ちゃん
2020年02月21日 10:21
コメント 有り難う御座います。 古今ところ ウィルスの影響で、余り人の多い場所には出掛け無い様にしています。 本来は 神社仏閣を中心に書きたいのですが、京都の様に 古刹があるわけでも無いので、時として苦慮しています。 桜が咲く頃に 京都に帰る予定ですが、ウィルスがどえなることやら。 今後共宜敷くお願いします。