時代祭を見学しました【其の参(江戸時代)】

今日は「 江戸時代 」です。  行列は 最初「 徳川城使上洛列 」で、次ぎに「 江戸時代婦人列 」へと続きます。

【 徳川城使上洛列( 参列者 : 平安講社第六社(下京区・南区))】
徳川幕府は、朝廷の大礼などの大切な儀式や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。  城使には親藩・譜代の諸侯が選ばれ、ことに即位の大礼には将軍家名代が多数の従者を従え、その服装器具などは非常に華美なものでした。  本列は普通の場合を模したもので、城使は乗物( 本列では騎馬になっています )、目附頭以上の者は騎馬。乗物の駕籠は幕末当時の形式をとったものです。  先頭の槍持、傘持、挾箱持の「 ヒーサー 」の掛け声や動作は当時の面影を偲ばせています。
img111.jpg
img112.jpg
img113.jpg
img114.jpg
img115.jpg

下の写真は「 城使 」の姿です。
img138.jpg
DSC_1464.jpg
DSC_1466.jpg
DSC_1467.jpg
DSC_1468.jpg
DSC_1469.jpg
DSC_1470.jpg
DSC_1471.jpg
DSC_1473.jpg
DSC_1474.jpg
DSC_1475.jpg
DSC_1477.jpg
DSC_1478.jpg
DSC_1480.jpg
DSC_1481.jpg
DSC_1482.jpg
DSC_1483.jpg


【 江戸時代婦人列( 参列者 : 京都市地域女性連合会 )】
往事の婦人七名の行列です。
img116.jpg
img117.jpg

・和宮( かずのみや )
ご祭神孝明天皇の妹君で仁孝天皇の第八皇女です。  公武合体の為、江戸幕府第14代将軍徳川家茂に嫁ぎました。  日本史を通じて、皇女が武家に降嫁し関東下向した唯一の例です。  ここでは、女嬬( お供の人 )達を従え、近世女御装束( 十二単 )を身にまとった宮廷内での姿を現しています。
DSC_1484.jpg
DSC_1485.jpg
DSC_1486.jpg

・太田垣蓮月(おおたがきれんげつ )
江戸末期の女流歌人で、文筆のみならず、陶芸にも秀でていました。  後に尼となり「 連月 」と称しました。
DSC_1488.jpg

・玉瀾( ぎょくらん )
画家池大雅の妻。  画人としても知られ、和歌にも秀でた女性でした。
DSC_1489.jpg

・中村内蔵助の妻( なかむらくらのすけのつま )
中村内藏助の妻( 京都銀座で巨万の富を築いた妻 )。  衣装比べの逸話で有名です。  婦人達は色鮮やかな衣装を身にまとい競いましたが、内蔵助の妻は白無垢に最上級の黒羽二重の打掛けという姿で現れました。  かわりに侍女たちには他の婦人にも劣らない豪華絢爛な衣装をまとわせ、いっそう内蔵助の妻女を引き立てる演出をしています。
DSC_1490.jpg

・梶
玉瀾の祖母で祇園に水茶屋を営んでいました。  女流歌人でもあり、歌集「 梶の葉 」を編みました。
DSC_1491.jpg

・吉野太夫
寛永の頃、京都六条三筋町の名妓です。  美貌に加え、和歌や俳諧、琴、書道、茶道など数々の諸芸に優れており、人々を惹きつけて離さなかったとされています。  又、常照寺に山門を寄進しました。  後に豪商灰屋紹益の妻となりました。
DSC_1495.jpg
DSC_1496.jpg

・出雲阿国
出雲大社の巫女。  京都四條河原で「 やや子踊り 」や「 かぶき踊り 」演じ、歌舞伎の創始者といわれています。  四条大橋の東側に銅像がありますね。
DSC_1497.jpg


明日は「 安土・桃山時代 」です。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 7

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント