「入江泰吉記念奈良市写真美術館」に行って来ました。

以前 一度 訪れた事がある「 奈良市写真美術館 」に行って来ました。  「 山ちゃん 」が「 古刹 や 仏像 」の写真を撮る切っ掛けになったのは、「 入江泰吉 」の撮った写真集「 奈良大和路 」の本を購入して、その素晴らしさに 魅了されたからです。
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明治38年( 1905 )、奈良市に生まれ。  兄から「 イーストマン社のコダックカメラ 」を譲り受けたのが切っ掛けで、写真を生涯の仕事として打ち込む様になりました。

余談ですが「 山ちゃん 」の祖父「 賀誠( よしのぶ )」も写真が好きで、同じ コダック社 のカメラで、巨椋池やその近辺、又 村の人達をカメラで撮り 自分で現像していました。  この写真は 当時をする知る貴重な光景が写っており、結構 役にたっています。  祖父は 結婚するのが嫌で、親にせがんで「 カメラを買ってくれたら結婚する 」と言って買って貰ったらしいです。    そう言った意味では「 放蕩息子 」だったみたいです。  妻曰く「あなた 」は、性格までそっくりだと。  そのお相手は 滋賀県醒ヶ井出身の 祖母「 みゆき 」です。

昭和6年( 1931 )文楽人形を撮影した「 春の文楽 」で、世界移動写真展一等賞を受賞しました。  昭和20年( 1945 )空襲で大阪の自宅を失い、生まれ育った 故郷奈良へ引き揚げることになりました。  同年「 東大寺 法華堂四天王像 」を写真に撮り、以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念することになりました。  平成4年( 1992 )1月 死去、享年86歳でした。  同年4月「 入江泰吉記念奈良市写真美術館 」が開館しました。  入江泰吉の全ての作品 約8万点 が所蔵されています。
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【 使用カメラに就いて 】
  ・ライカ 3F
  ・ライカ M3
  ・ローライコード( ブローニー版 6x6 )
  ・ローライフレックス( ブローニー版 6x6 )
  ・リンホウテクニカ( 6x9 )
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【 エピソード( ウィキペディアから )】
・圧縮効果の強い望遠レンズや、歪みの出る広角レンズは好まなかった。 手持ちでスナップ写真を撮ることも多かったが、風景写真や仏像を撮る時には三脚を使用していた。

・終戦後、仏像を撮り始めた頃、秋篠寺の技芸天像を撮影に行くと、住職が、竹竿の先に蝋燭をさし、照明を手伝ってくれた。蝋燭のあかりが動くにつれ、技芸天の表情は、微笑を浮かべたり、憂い顔になったりと微妙に変化した。入江は信仰はなかったが、これによって仏像に畏敬の念を抱き、それ以来、仏像を撮影するときは技巧を凝らさず、できるだけ忠実に再現することを心がけるようになったという。

・入江の風景写真には、雨、雪、霧、雲などが効果的に写し込まれることが多く、しっとりとした情感にあふれているので、親友・杉本健吉にミスター・ウエット・イリエと評された。  それを裏付けるように、弟子の写真家・矢野建彦も入江が特に雨や雪の日を好んで撮影していたことを証言する。  ふだんは来客を大切にする入江であったが、雪が降り出すと来客がいても撮影に飛び出すことがあった。  また、有名な「 二上山暮色 」を撮影したときには夕方になると毎日同じ場所に通い詰めた。  11日目、撮影を終えかけていたとき、黒い雲が沸き始めると急に撮影を再開し、その雲が二上山の上に来たときにシャッターを切った。  大津皇子の悲劇が念頭にあった入江にとって、ただの美しい夕焼けでは納得が行かなかったのだという。  薬師寺管長だった高田好胤はこうした入江の表現を入江節と呼んだ。

・入江はなかなかシャッターを切らなかった。  土門拳が非常に多くシャッターを切るのと対照的であったという。  例えば仏像を撮る場合でも、四時間でも五時間でも納得の行くまで仏像と相対し、「 よし 」、と思ったとき、たった一度シャッターを押すだけで写真を撮り終わったという。

・小林秀雄の紹介で、写真集「 大和路( 東京創元社 )」の校正手伝いに「 白洲正子 」が来ていた。  白洲は椿の花が散っている写真を見て何となく落ち着かなく、不自然なものを感じた。白洲は何も言わなかったが、入江は「 バレましたか 」と一言いって白洲を驚かせた。  それは入江がわざと散らせた椿だったという。  入江は即座にその写真を差し替えた。

・入江は「お水取り 」が有名な行事になる以前から毎年撮影に通いつめており、十二人目の練行衆の異名をとっていた。  1951年ごろ、当時産経新聞京都支局の記者だった司馬遼太郎がお水取りの取材に来ていたとき、アマチュアカメラマンたちが練行衆に向かって一斉にフラッシュを焚いた。すると小型カメラを構えていた白髪痩身の男が急に振り向いて「 あっちに行けっ! 」と低く叫んだ。  アマチュアカメラマンたちは、その気迫に圧されてカメラをおろしてしまった。  それが、司馬の入江との初対面だった。  後に入江と親しくなった司馬は、その穏やかで恥ずかしがりな人柄と、あの夜の厳しい叱咤がどうにも結びつかなかったという。  薬師寺の高田好胤もふだんの入江と、撮影に取り組む入江の違いを見て「 あんたはジキルとハイドみたいなみたいな二重面相の男やなぁ 」とひやかしたという。

【 アクセス 】
「 近鉄奈良駅 」から、奈良交通バス1番乗り場「 市内循環外回 ( 先払い210円 )」に乗車。  約10分程度「 破石町( わりいしちょう )」で下車。  徒歩約10分程度の距離です。  途中 古い家並みがあり歩いても楽しいです。
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奈良市写真美術館の外・内部です。
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【 その他 】
詳細に就いては「 奈良市写真美術館 」のホームページをご覧下さい。  地下一階が受付と展示室になっています。  人は多く無く ゆっくりと「 入江泰吉 」の写真を味わう事が出来ます。
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【 作品 】
展示室は 撮影禁止です。  購入した「 大和路を愛した巨匠 土門拳・入江泰吉 」二人展 の写真集から 少しコピーをさして戴き紹介します。
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動画 」もご覧下さい。

この後 奈良駅まで「 かっちゃん 」と話をしながら、途中「 旧 志賀直哉邸 」を見学しました。
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