山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 奈良 斑鳩の里「法隆寺」を訪ねました【其の参】

<<   作成日時 : 2019/05/15 05:00   >>

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今日は「 其の参 」として、法隆寺の もう一つの伽藍「 東院伽藍 」からのスタートです。
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『 東院伽藍 』
「 東院伽藍 」は聖徳太子一族の住居であった「 斑鳩宮 」の跡に建立されました。  回廊で囲まれた中に八角円堂の「 夢殿 」が建ち、回廊南面には「 礼堂 」、北面には「 絵殿 及び 舎利殿 」があり、絵殿及び舎利殿の北に接して「 伝法堂 」が建っています。

【 夢殿( 国宝 )】
奈良時代建立の八角円堂です。  堂内に聖徳太子の等身像とされる「 救世観音像 」が安置されています。  法隆寺 東院創立を記す「 法隆寺東院縁起 」によると「 夢殿 」は天平11年( 739 )、「 斑鳩宮 」が荒廃しているのを見て嘆いた僧 「 行信 」が創建したとされ、8世紀末頃には「 夢殿 」と呼称される様になりました。  基壇は二重で、最大径が11.3m。  堂内は石敷です。  堂内の八角仏壇も二重で、その周囲に8本の入側柱が立ち、入側柱と側柱の間には繋虹梁を渡しています。  観音菩薩立像 等の国宝と重要文化財の仏像が安置されています。
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・観音菩薩像( 観世音菩薩立像、救世観音 、国宝 )
飛鳥時代の作。  楠の一木造りで 漆箔が施され、夢殿中央の厨子に安置されています。  人々の苦しむことを聞き助ける仏は、聖徳太子の在世中の姿を映した等身大( 約180cm )の似姿とされています。  昨日紹介した 金堂にある「 釈迦三尊像 」も同じ等身大でした。  長年秘仏として白布に包まれていましたが、明治初期「 岡倉天心 」と「 フェノロサ 」が初めて白布を取り素晴らしいこの像が発見されました。  現在も春・秋の一定期間しか開扉されない「 秘仏 」で、白布に包まれていたのが幸いして 保存状態が良く当初の物と思われる金箔が多く残っています。  この観音様の背後に「 聖観音立像( 重要文化財 )」が立っています。
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・行信僧都坐像( 国宝 )
奈良時代の乾漆像。  行信は東院の建立に尽力した人物です。
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・道詮律師坐像( 国宝 )
平安時代初期の作。  この時代の仏像はほとんどが木彫ですが、本像は珍しい「 塑造 」です。  道詮は、荒廃していた東院の復興に尽力した人物です。
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【 伝法堂( 国宝 )】
切妻造、本瓦葺き、桁行七間、梁間四間の建物で、当時のお堂としては珍しく板張りの床となっています。  昭和の大修理時の調査の結果、この仏堂は他所にあった「 橘夫人( 聖武天皇夫人 )」の住居をこの地に移築した物と考えられています。  堂内には多数の仏像が安置されていますが一般公開はされておりません。  内陣は中の間、東の間、西の間に各々分かれ、乾漆造阿弥陀三尊像( 奈良時代、重要文化財 )が安置されています。  他に梵天・帝釈天立像、四天王立像、薬師如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒仏坐像、阿弥陀如来坐像( 各木造、平安時代、重要文化財 )も安置されています。
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【 東院鐘楼( 国宝 )】
袴腰( はかまごし )と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「 中宮寺 」と陰刻された 奈良時代の梵鐘があります。
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【 絵殿及び舎利殿( 重要文化財 )】
この建物の東側を「 舎利殿 」と言います。  聖徳太子が2歳の春に東に向かって合掌された時、掌中から出現したと伝えられる「 舎利 」を安置する建物です。  又西側を「 絵殿 」と呼び、聖徳太子 一代の事跡を描いた 障子絵 が収められています。
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『 大宝蔵院 』
「 百済観音堂 」及び 「 東宝殿 」、「 西宝殿 」からなる建物で 平成10年( 1998 )に完成しました。  多数の国宝を見学することが出来ます。
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【 観音菩薩立像( 百済観音 、国宝 )】
飛鳥時代の作品。  細身で九頭身の木造で 像高 約2mあります。  柔和な尊顔が華麗な光背に映え、見る人の心を引き付けます。 金堂内陣の裏側に安置されていました。  和辻哲郎の「 古寺巡礼 」を始め、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像ですが、その伝来や造像の経緯などは不明です。  「 百済観音 」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「 虚空蔵菩薩像 」と呼ばれていました。
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【 観音菩薩立像( 九面観音、 国宝 )】
唐から渡来して来た像。  香木を用い、彩色を施さず白木で仕上げた、所謂「 檀像( 白檀や栴 ( せん ) 檀などの香木を彫刻した仏像。  檀木は材質が堅緻で緻密な彫技に適し,独特の木目の美しさを表現でき,彩色の必要もないなどの長所がある )」と呼ばれる像です。  細かい装身具、体部から遊離している耳飾りや天衣まで完全に一木で彫り上げた技巧的な像です。
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【 観音菩薩立像( 夢違観音、 国宝 )】
飛鳥時代後期( 白鳳期 )の銅造の像。  元は東院絵殿の本尊でした。  この像に祈ると悪夢を良夢に替えてくれるという言い伝えからこの名が付けられました。
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【 地蔵菩薩立像( 国宝 )】
平安時代の像で木造。  桜井市の大神神社の神宮寺である「 大御輪寺( だいごりんじ )」にありましたが、明治の「 神仏分離 」で法隆寺に移されました。  頭から台座の蓮肉部まで一木で造られています。
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【 玉虫厨子( 国宝 )】
飛鳥時代の作。  元は「 金堂 」に安置されていた「 仏堂形の厨子 」で、推古天皇の愛用品でした。  厨子とは、仏像,仏画,舎利,経典などを安置する屋根付きの入れ物をいいます。  建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸の遺品として重要です。  透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名が付けられました。  現在、玉虫の羽は一部に見る事が出来ます。  厨子の扉や壁面の装飾画も著名で下部の台座には正面に舎利供養図、側面には釈迦の前世物語である「 捨身飼虎図( しゃしんしこず )」、又「 施身聞偈図( せしんもんげず )」は特によく知られています。
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【 阿弥陀三尊像及び厨子( 橘夫人厨子、 国宝 )】
飛鳥時代後期( 白鳳期 )の作品。  金堂に安置されていました。  藤原不比等の夫人で、光明皇后の母である「 橘三千代 」の念仏とされる厨子入りの阿弥陀三尊像です。  厨子内の「 阿弥陀三尊像 」は飛鳥時代後期( 白鳳期 )の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表されています。
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その他に「 六観音像( 重要文化財 )」、「 梵天・帝釈天立像、四天王立像( 重要文化財 )」、「 金堂小壁画( 重要文化財、天人の壁画20面 )」の他に、仏画、仏具、舞楽面、経典なども随時展示替えを公開されます。

『 聖霊院( しょうりょういん 、国宝 )』
西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂で、鎌倉時代に建立されました。  聖徳太子の像( 平安時代作 )を安置する為に、東室の南端部を改造したのが「 聖霊院 」です。  この建物は本来 東室の一部でしたが、これを再建する時に南半を改造して「 聖霊院 」とし、聖徳太子像を祀りました。  現在の聖霊院は 弘安7年( 1284 )に改築されたものです。  内部には3つの厨子があり、中央には 本尊の「 聖徳太子像 」、左の厨子には太子の 長氏「 山背大兄王 」や、兄弟皇子の「 殖栗王 」の像、右の厨子には 太子の兄弟皇子「 卒末呂王 」 や 高句麗僧「 恵慈法師 」が祀られています。
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【 聖徳太子 及び 眷属像( 国宝 )】
「 聖霊院 」の内陣、奥の「 唐破風( からはふ )」を付けた厨子に、折衝像 あるいは 勝鬘講讃像( しょうまんぎょうこうさんず、聖徳太子が35歳の時に勝鬘経を講讃した様子を描いた図のこと )と言われる聖徳太子像が安置されています。  笏を両手で持ち豪華な冠を付けた正装の姿です。  日頃この厨子の扉は閉ざされていますが、太子の命日である3月22日から3日間の「 お会式( 御命日法要 )」の時に扉が開かれます。
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他に「 如意輪観音半跏像( 重要文化財 )、地蔵菩薩立像( 重要文化財 )が安置されています。

明日は シリーズ最後として「 東室 」からのスタートとなります。

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