隅田川テラス散策【 其の五 】

昨日は「 佃大橋 」の手前 住吉水門の所まで書きました。  今日は シリーズ最後【 其の五 】として「 佃大橋 」、「 勝鬨橋 」と「 築地大橋 」に就いて書きました。
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【 佃大橋 】
「 佃大橋 」は隅田川最後の渡船場( とせんば )として300年以上の歴史を持つ「 佃の渡し 」が廃止され 上流に平行している永代橋、下流の 勝鬨橋 の交通量の増加、及び 昭和39年( 1964 )の東京オリンピック開催に備えた関連道路の一部として、戦後初めて隅田川に架橋された橋です。  当時佃島と月島を隔てていた佃川は、佃大橋の取付道路建設のために埋め立てられ、島であった佃島は地続きとなり、同時に佃川に架かっていた佃橋は廃橋となりました。  橋長:476.3m、幅:25.2m、構造:3径間連続鋼床鈑箱桁橋  当時としては珍しい大ブロック一括架設工法で架けられ、隅田川橋梁の新しい時代を感じさせる物です。
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橋を潜って左岸を歩くと 対岸に「 聖路加タワー」と「 勝鬨橋 」そして 僅かに「 築地大橋 」が見えて来ます。
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振り向くと「 聖路加タワー 」、「 佃大橋 」、「 中央大橋 」と「 東京スカイツリー 」が見えます。
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そして「 月島川水門 」の手前に辿り着きます。  

・月島水門
月島川は、月島と勝鬨の間を流れる川で、夏から秋にかけてハゼが良く釣れます。  「 月島川水門 」は、月島川が隅田川に合流する地点にあり、昭和39年( 1964 )に完成しました。  通常時は 船舶が通行する為に開放していますが、高潮 あるいは津波時には 周りの住吉水門、浜前水門などと共に閉鎖され、月島、勝鬨等の防波堤で囲まれた地域の住民の 生命・財産 を守ります。  「 月島川水門 ・ 住吉水門 」は建設局が、「 浜前水門 ・ 朝潮水門 ・ 佃水門 」は港湾局が管理しています。
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少し寄り道をすると もんじゃ通り へと出ます。  

・もんじゃ通り
400m続く西仲通商店街は、通称「 月島 もんじゃ通り 」と呼ばれています。  昭和29年( 1954 )に飲食店として もんじゃ店 を開いたのを筆頭に、10年に数件の割合で増え始め、90年代始めには情報誌らの影響で一大ブームが到来し、以後も大変な賑わいを見せています。  戦前からの商店が次々と もんじゃ店 に変わるなど、個性的な「 もんじゃ屋 」の世界が展開されています。
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他の水門と同じように 今回も「 西仲橋 」を渡って迂回し 元の 隅田川 左岸のテラスに移動します。
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もう目の前に 最終地点である「 勝鬨橋 」の全容が見えます。
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【 勝鬨橋 】
「 勝鬨橋 」の話の前に「 勝鬨の渡し 」に就いてふれます。  明治25年( 1893 )、銀座・月島方面との間には「 月島の渡し 」が開設されましたが、月島側の発展にともない、両地の交通はこれのみではさばけない状態でした。  明治38年( 1905 )、日露戦争の旅順要塞陥落を契機に、京橋区民の勇士が、「 勝鬨の渡し 」と名付けて渡船場を設置し、東京市に寄附しました。  当地にある石碑は、この時に建てられた 記念碑 です。  石碑の正面に「 かちときのわたし 」とあり、側面には 明治38年1月 京橋區祝捷會挙行之日建之京橋區同志會 」と陰刻されています。  設置された「 勝鬨の渡し 」の渡船場は この地から約150m西の「 築地 波除稲荷神社 」の辺りにありました。  対岸に有る月島側の渡船場は 月島西河岸通九丁目( 現在の勝どき 一・三丁目の境 )の辺りにあって、この区間を渡船が行き来していました。  「 勝鬨の渡し 」は、住民や月島の工場に通う人々の重要な交通機関として大いに利用されていました。  特に月島への労働人口の集中を容易にさせることになり、月島が工業地帯へと発展する基になりました。  大正12年( 1923 )の関東大震災後、架橋運動が起こり、船が通過する際に跳ね上がる 可動橋が架せられることになりました。  「 勝鬨の渡し 」は橋の架橋まで運行され、昭和15年( 1940 )6月「 勝鬨橋 」の開通とともに廃止されました。  「 勝鬨の渡し 」の名は、橋名に受け継がれて今もその名を残しています。 ( 以上 平成16年3月 東京都教育委員会 )の説明パネルより。
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さて本来の「 勝鬨橋 」に就いて書きます。
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橋長:246m、幅:22m、構造:可動部( シカゴ型双葉跳開橋 )、固定部 ( 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋 )で、日本で現存する数少ない可動橋( 跳開橋 )です。  「 勝鬨橋 」の工事は昭和7年( 1933 )に着工し、昭和15年( 1940 )に完成しました。  当初から路面電車用のレールが敷設されており 昭和22年( 1947 )から 昭和43年( 1968 )迄都電が運行されていました。  設置当初は1日に5回、1回につき約20分程度跳開していました。
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この頻度は昭和28年( 1953 )頃まで続きましたが、船舶運航量の減少と高度経済成長の進展で橋を渡る車が増大したことで次第に跳開回数は減少し、又 上流に開閉機構を待たない「 佃大橋 」が建設された 昭和39年( 1964 )以降は、船舶運航の需要は佃大橋下流の乾倉庫( いぬいそうこ )に限定され、開閉回数は年間100回を下回る様になりました。  昭和42年( 1967 )に運航のための最後の跳開が行われ、その後は年に1回ほどの試験のための跳開が行われていましたが、航行する大型船舶が少なくなったことや陸上交通量の著しい増加などの理由から、昭和45年( 1970 )11月29日を最後に開閉が停止となり、昭和55年( 1980 )年には電力供給も停止され、可動部もロックされており跳開することはありません。  平成19年6月に「 国の重要文化財 」に登録されました。
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この写真は 昭和45年( 1970 )11月29日「 勝鬨橋 」最後の 跳開 時のものです。
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中央区が作った「 勝鬨橋~その歴史と思い出~ 」の動画もご覧下さい。
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尚「 勝鬨橋 」の下流 右岸は「 築地市場 」となっているので 歩道は有りません。
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「 勝鬨橋 」を渡る前に左岸を少し歩きましたが、まだ通行できない「 築地大橋 」が大きく見えます。
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「 勝鬨橋 」の歩道を歩くと 結構揺れます。
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そして真ん中には跳開する橋の末端が見えます。
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  渡って直ぐ左側に「 かちどき橋の資料館 」と「 碑 」が立っています。
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渡った所の 車止めに ステンレスで出来た雀が。  以前 江ノ島駅で見かけたのと同じ物です。
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【 築地大橋 】
「 築地大橋 」は、東京都が整備を進めている東京都市計画道路環状第2号線のうち、隅田川に架かる橋で、当初は 平成28年( 2016 )開通の予定だったのですが。  橋長:245m、幅:32.3m、構造:鋼3径間連続中路式アーチ橋 です。  この写真は 築地場内 から撮影。
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これで「 隅田川テラス散策 」は終わりです。   この後 「 築地市場 」へと自然に足が動きました。  それは明日です。

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