二条城を見学【 其の四 】

本日の「 国宝 二の丸御殿 」で二条城見学のシリーズは終わりとなります。
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二の丸御殿は全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式で、書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構です。  江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されました。
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内部は、日本絵画史上最大の画派である「 狩野派 」による障壁画【 寛永期の障壁画を含む約3600面の障壁画 )が残されています。  昭和57年( 1982 )には、その内1016面が国の重要文化財に指定されました。  寛永期の障壁画は、寛永3年( 1626 )の後水尾天皇の行幸のために大改築された際、幕府御用絵師であった狩野派の若き棟梁「 狩野探幽 」が一門の総力を挙げて制作したものです 】と、多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾されており、将軍の御殿にふさわしい豪華絢燗な空間となっています。  廊下を歩くと鳥の鳴き声のような音がなることから、「 鴬( うぐいす )張り 」と呼ばれています。( 音は目かすがいと釘のこすれによって生じます )  目を引くのは「 唐門 」と同じく、屋根に施された「 欄間彫刻 」で、色鮮やかな彩色は現在も残っています。  5羽の鸞鳥( らんちょう  中国の伝説に登場する想像上の鳥で、5色の羽に5音の声を持つとされ、君主が正しい政治を行っている時に現れると言われています )、松、牡丹が、上には雲、下には笹があしらわれています。  檜皮葺きの入母屋造りです。
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パンフレットの「 二の丸御殿 略図 」を参考に 個々の間の説明をしますが
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二の丸御殿は 車寄( 天皇や公家の牛車が横付け出来る事から 車寄と呼ばれた )と呼ばれる入り口から 内部は全て「 撮影禁止 」となっています。  以下の写真は「 ネット 」からダウンロード、又は「 テレビ放送のハードコピー 」をしたものです。  

① 遠侍 一の間、二の間、三の間
「 遠侍 」は来客の控え室にあたる部屋で、御殿内で最大の床面積となっています。  城に参上した大名達は、まずはこの部屋で受付を行い、将軍や老中などとの面会を待ちました。  広い部屋はその中でも 又 幾つかの間に仕切られており、身分毎に通される場所も異なっています。  一の間から三の間は「 勇壮な虎 と 豹の絵 」が描かれていることから「 虎の間 」とも呼ばれています。  檸猛な虎の絵( 座ると目線の先に虎が見える )や壮大な空間は徳川家の権力の大きさを 公家や諸大名に実感させたと思われます。  将軍が朝廷の使者を迎える時は、勅使が上段、将軍が下段に座りました。  本瓦葺きの入母屋造りです。
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② 式台 式台の間
式台の間は、老中と大名が挨拶をし、将軍への取次ぎが行われた部屋です。  「 式台の間 」と裏の「 老中の間 」からなります。  障壁画には、永遠に続く徳川家の繁栄を表すお目出度い植物として「 巨大な松 」が描かれています。  長押( なげし )の上にも松が描かれているのは 絵が途中で切れ無い様 一つの枠の中で描かれており、沈黙のメッセージの象徴でもあります。  それ迄は 長押の上は 壁 が多かった様です。  探幽 がこの技法を採用した事で、これ以降 諸大名の 障壁画 はこの方法を採用する様になりました。  本瓦葺きの入母屋造りです。
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③ 大広間 三の間
廊下が 途中何度も曲がっているのは 奥に居る将軍の権力を知らしめる工夫と 防衛上の観点からなされています。  三の間は大名の控え室で、唐門と同じく 厚さ35cmの檜の板で「 両面透かし彫り 」した欄間の彫刻がありますが、「 矧手( はぎて )」の手法により 伝説の鳥「 鳳凰 」が浮かび上がっています。
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又 大広間や黒書院の柱に取り付く花慰斗形( はなのしがた )の長押金具は大変豪華で見応えがあります。  大広間の4つの間は本瓦葺きの入母屋造りです。
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④ 大広間 一の間、二の間
将軍と大名や公卿衆との公式の対面所で、92畳ある二の丸御殿で最も格式の高い部屋す。  大広間の主室であり、一の間( 上段の間 )、二の間( 下段の間 )からなります。  家康の時代には 上段、中段、下段がありましたが、家光が改修する際に 2段となっています。
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一の間は,書院造りの特徴である床の間,、楓付書院、帳台構を備えています。  対面の際には、将軍は一の間で南を向いて座し、床の間に三幅対の掛軸を掛け、違棚や付書院には工芸品などを飾ったとされています。  障壁画は狩野探幽筆です。  史実としてこの間で「 大政奉還 」が表明されました。  松は手前から奥に張り出す形で描かれて奥行きを表し 上座に座る将軍を遠くの存在に見える工夫がされており、畳一枚で大名の座る位置が位や石高により定められているのです。  又天井は「 二重折格天井 」となっています。
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「 其の壱 」で書いた通り、この間で最後の将軍「 15代 徳川慶喜 」が「 大政奉還 」の意思を伝えたのですが、「 邨田丹陵( むらたたんりょう ) 」が昭和15年に描いた作品は間が黒書院となっています。
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史実と異なるわけですが、その前日「 黒書院 」にて近しい身内にその事を伝えた( 資料より )のが描かれたのでは無いかとの説もあります。  詳細は不明です。
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⑤ 黒書院
江戸時代の名称は「 小広間 」で、大広間に次ぐ公式の場です。  将軍と徳川家に近い大名や高位の公家などが対面しました。  一の間と二の間は、早春をイメージし満開の桜が目を惹くことから「 桜の間 」と呼ばれ、将軍が背にする障壁画には、かすかに雪をのせた松の枝に加え、梅の花や桜を交えることで、季節の流れを感じさせます。  襖絵は探幽の弟・尚信筆です。  先程迄の仰々しい部屋の絵と異なり柔和で繊細な絵が描かれているのが特徴です。 本瓦葺きの入母屋造りです。
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下の写真は庭から見た「 黒書院 」です。
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⑥ 白書院
江戸時代には「 御座の間 」と呼ばれることから、将軍の居間と寝室であったと考えられています。  寝室で有ったと推測されるのは、部屋の柱に「 蚊帳 」を釣る 金具 が現存しています。
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水墨画に包まれる空間は他の棟と趣が異なり、落ち着いた印象を与えます。  中国由来の題材が選ばれ、一の間と二の間は名勝・西湖が、三の間には伝説や歴史上の人物が描かれています。  作品は 探幽の養父 又は 大叔父 といわれています。  訪れた時「 収蔵館 」にて「 原画 」が見られました。  本瓦葺きの入母屋造りです。
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下の写真は庭から見た「 白書院 」です。
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⑦ 大広問 四の間
将軍の上洛の時に武器を納めた場所だといわれています。  障壁画の「 松鷹図 」は、二の丸御殿の中でも最も有名なもので、桃山時代の様式を取り入れた巨大な松と勇壮な鷹が描かれています。
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⑧ 式台 老中の間
3部屋からなり、老中が控えていた部屋です。  一の間と二の間は「 芦雁( ろがん )図 」で、三の間は「 柳鷺( りゅうろ )図 」です。  長:押( なげし )上は白壁のままで質素な造りです。  写真は「 杉戸絵 」です。
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⑨ 遠侍 勅使の間
遠侍の部屋の一つで、朝廷からの使者( 勅使 )を迎えた対面所とされています。  障壁画には、優美な檜や青楓などが描かれています。
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⑩ 遠侍 柳の間
障壁画は、「 勅使の間 」や隣接する「 若松の間 」や「 芙蓉の間 」と同様に植物を題材としており、公家向けの趣を持っています。

雑学
「 二の丸御殿 」の廊下を歩きますと「 キュッキュッ 」と音がします。  通常「 鶯張り 」とも呼ばれ 敵の侵入を感知する為とも言われていますが、二条城の廊下は「 老朽化 」の為との説もあります。

二条城一口募金
本格修理の為「 募金 」を募っています。  100万円以上は一日城主で「 大広間 」の殿様の席に座ることが出来るらしいです。

以上 4つのシリーズでアップしました。  つくづく「 徳川幕府 」の権力の大きさが判ります。  明日以降は 二条城 界隈を散策したのをアップします。

参考資料
   ・ウィキペディア
   ・パンフレット 世界遺産 元離宮 二条城、その他
   ・NHK「 平成の絵師 幻の色に挑む 」
   ・NHK「 二条城 戦国から太平へ 」
   ・NTV「 京都二条城 ホームページ 」
   ・川面美術研究所 ホームページ
   ・二条城 ホームページ
   ・京都観光案内 二条城
   ・ブラブラ美術・博物館
   ・その他

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