「虎ノ門大坂砂場」で蕎麦を!
友達の「パステル画展」を見に行く前に、少し寄り道して「 虎ノ門大阪砂場 」に蕎麦を食べに行きました。 東京メトロ 銀座線「 虎ノ門 」で下車、新橋方面へと直進し 西新橋一丁目の交差点を右折。 駅の出口から歩いて 約5分程度です。 周囲には高層ビルが立ち並んでいる中、交差点の一角に「 震災・戦災 」を免れた大正時代からの風情ある三階建ての建物が佇んでいます。 何かこの一角だけが「 タイムスリップ 」した感じです。以前「 砂場 」の蕎麦の事で「 室町砂場 本店 」と 「 室町砂場 赤坂店 」の事を書きました。
【 江戸三大蕎麦( 藪・更科・砂場 )「 砂場 」のルーツは大阪 】
大阪の中心地「 船場 」から南西の方向に向かうと「 新町南公園 」があり、その公園の片隅に「ここに砂場ありき」 と掘られた「 石碑 」があります。その裏側に「 本邦麺類発祥の地 大阪築城史跡・新町砂場 」と書かれています。 1583年( 天正11年 )9月「 豊臣秀吉 」が大阪城の築城を始め、日本全国各地から集められた「 砂 」の集積場としたこの辺り一帯が「 砂場 」と呼ばれたらしいです。 「 大阪城 築城 」に際して 多くの工事関係者の人達の「 お腹を満たす 」食べ物の一つ麺類がありました。 そこで 登場したのが、我が国初の「 うどん と 蕎麦 」を商いしていた「 和泉屋 」と「 津国屋( つのくにや )」の2軒です。 この店は1757年に出版された「 大坂新町細見之図澪標 」の中に見られ、「 和泉屋 」に就いては 1730年に出版された別文献にも、店頭風景が掲載されており、遅くともこの年までに成立していることが判ります。 そしてこの2軒の店を、場所名で呼ぶことが定着し、「 砂場 」の屋号が生まれたものと考えられます。 1799年( 寛政11年 )の「 摂津名所図会 」という本の「 大坂部四下の巻 新町傾城郭の項に「 砂場いづみや 」の図があります。 その店の暖簾には「す奈場」と染め抜かれ、たいそう繁盛している往来の様子と立派な店構えが描かれています。二枚目には店内の様子も描かれていて、そばを食べる客を始め、蕎麦を打ち・茹で・盛り・運ぶなどの百名を超える人々と、店の切り盛りの様子が克明に描写され、臼部屋の石臼の数などから 大規模であったことが窺えます。しかし浪速の新町で江戸期を通じて繁盛した名店であったものの明治に入って十年程の後に姿を消してしまいました。 話は 遡りますが、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に江戸に進出しますが、時期に就いて明確な記録は無いのですが、1751年( 寛延4年 )に出版された「 蕎麦全書 」に「 薬研堀 大和屋 大坂砂場そば 」の名称が、1781年(安永10年 )~1789年に出版された「 江戸見物道知辺 」に「 浅草黒舟町角砂場蕎麦 」の名称が、各一そ見られます。 但し大坂の砂場との関係は明らかにはなっていません。 江戸末期の1848年( 弘化5年 )に出版された「 江戸名物酒飯手引草 」には「 6軒の砂場 」が紹介されています。
江戸に進出した蕎麦屋の内 現在迄続いているのは、2店で 一つは「 糀町七丁目砂場藤吉( 現・南千住砂場 、 砂場本家 )」で、慶応年間にここから暖簾分けして独立したのが「 室町砂場( 以前 天もり を考案した店として紹介しました )」。 「 赤坂砂場 」はここ「 室町砂場 」の三代目の弟「 村松亀次郎 」が昭和39年に暖簾分けして出店したお店です。 「 虎ノ門砂場 」も「 糀町七丁目砂場 」から暖簾分けしたお店です。 もう一つは「 巴町砂場 」で上記の系譜とは違い、東京(江戸)でもっとも古いそば屋ということになっているらしい。 以前、江戸時代の「 名物商人ひやうばん( 1815年刊 )」では「 久保町すなば 」と称したが、 明治に入り西久保巴町に町名変更され、それ以降「 巴町砂場 」として今に至っています。 場所が 東京メトロ「 神谷町駅 」に近いので 一度行ってみたいと思います。 纏めると こんなところですかね。少し 元に戻って、「 大坂・新町 」というのは、江戸時代には江戸の吉原、京都の島原と並ぶ「日本三大遊郭」の1つとして有名で、これも大阪城築城と関係しています。 日本全国各地から土木工事に従事する若者が集められ、彼らは築城の仕事でお金は手に入るが遊ぶところがない。 発散するところが必要になってくるので、それで作られたのが「日本最大の花街・新町」だった。昼は仕事で城を作って、夜は「傾城( けいせい )」と遊ぶ。 人間の欲求を二つも満たしてくれる場所だったのですね。
【 虎ノ門大坂屋砂場 】
この店は 上述の通りで、創業は1872年( 明治5年 )に暖簾分けで「 虎ノ門大坂屋砂場 」として創業しました。
初代の女将ヨソは、徳川家康と縁の深い武家、刈谷家の娘で、父は鍋島半の剣術指南役でした。 東京の砂場本家とも言える「 糀町七丁目砂場 」に養女として預けられ、1872年に「 虎ノ門大坂屋砂場 」として現在の地に店を構えました。 江戸城無血開城の立役者の1人である「 山岡鐡舟 」、「 勝海舟 」の他に 戦前・戦後を通じて「 山本五十六 」や「 鳩山一郎 」、「 田中角栄 」等らも この店に足繁く通った老舗で、現在の店舗は大正十二年、関東大震災直前に建てられたものです。
店 名 : 虎ノ門大坂屋砂場
電話番号 : 03-3501-9807
住 所 : 港区虎ノ門1-10-6
営業時間 : 平日 11:00~20:00
土曜 11:00~15:00
定 休 日: 毎週日曜日 祝日
写真を撮りたかったので、昼過ぎに入りましたが、周りは オフィス街。 待ちはしなかったのですが、結構 混雑していました。 2階も含め 約80席あるらしい。 一階奥に通されましたが、建物の中も昔のままです。 「 もり」を頼むのは決めていたのですが、量が判らないので聞きましたら「 大盛り 」で丁度良いのではとの「 花番 」さんのアドバイスで「 もり の 大盛り 」をお願いしました。蕎麦は非常にコシがあり、汁は「 薮の辛つゆ 」、「更科の甘いつゆ 」そして「砂場はその中間」とも言われる通りで、甘くて濃いめの「 蕎麦汁 」です。 後の「 そば湯 」と良く合います。今回、酒は頂きませんでしたが、メニューを拝見すると肴は定番の玉子焼き、焼き鳥に始まり、アスパラ豆腐、穴子サラダなどの他に季節物が頂けるみたいです。 酒は田酒、磯自慢 愛山、手取川など18種類。( 摘まみと酒のメニューを撮すのを忘れました ) 今度 友人の「かっちゃん 」が来た時に 再度行って 酒を味わいたいと思います。 隣のお嬢さんは 蕎麦と丼のセットメニュー を美味しそうに戴いていましたが、友達と「 蕎麦屋 」の写真を見せ合いしていました。 奥の初老の男性は 顔を真っ赤にして 最後「 ざる 」を頼んでおられましたが、20年近く通っておられるみたいで「 花番」さんをからかった後、今日は 酔っ払ったから もう帰ろうかと、良いご身分です。 今度は「 ごぜんそば( 蕎麦の実の中心部分のみを挽いて作られたもの )」を食したいと思います。 「 蕎麦猪口( そばちょこ )」や「 箸袋 」を広げると「 摂津名所図会 」に記載されていた「 砂場いづみや 」の絵が。 「 箸袋 」は記念に持って帰りました。 お勘定の時の「 女将さん 」の印象が大変良く、店の名刺を2枚戴きました。一枚は 蕎麦大好きな「 かっちゃん 」の分です。 同じ砂場の名前が付いていますが 当然ですが 三者三様でした。
帰りに又 虎ノ門の駅まで 歩きましたが、目の前に「 霞が関ビル 」が見えました。この後 東西線「 西葛西駅 」に行くべく「 日本橋 」に出ましたが、夜 同期の友達と 今度は「 へき蕎麦 」を頂くことになりました。
【 参考資料 】
・ALL ABOUT 江戸三大そば「砂場」の発祥地を発見!
・北東製粉(株) 江戸そばの三大系譜
・東京紅團 砂場を歩く
・大阪 上方の蕎麦
・ウィキペディア 砂場 (蕎麦屋)
・藪・砂場・更科
・そば「木鉢会」
・虎ノ門大坂屋砂場(そば/虎ノ門/創業1872年)
・国立国会図書館
・その他
【 江戸三大蕎麦( 藪・更科・砂場 )「 砂場 」のルーツは大阪 】
大阪の中心地「 船場 」から南西の方向に向かうと「 新町南公園 」があり、その公園の片隅に「ここに砂場ありき」 と掘られた「 石碑 」があります。その裏側に「 本邦麺類発祥の地 大阪築城史跡・新町砂場 」と書かれています。 1583年( 天正11年 )9月「 豊臣秀吉 」が大阪城の築城を始め、日本全国各地から集められた「 砂 」の集積場としたこの辺り一帯が「 砂場 」と呼ばれたらしいです。 「 大阪城 築城 」に際して 多くの工事関係者の人達の「 お腹を満たす 」食べ物の一つ麺類がありました。 そこで 登場したのが、我が国初の「 うどん と 蕎麦 」を商いしていた「 和泉屋 」と「 津国屋( つのくにや )」の2軒です。 この店は1757年に出版された「 大坂新町細見之図澪標 」の中に見られ、「 和泉屋 」に就いては 1730年に出版された別文献にも、店頭風景が掲載されており、遅くともこの年までに成立していることが判ります。 そしてこの2軒の店を、場所名で呼ぶことが定着し、「 砂場 」の屋号が生まれたものと考えられます。 1799年( 寛政11年 )の「 摂津名所図会 」という本の「 大坂部四下の巻 新町傾城郭の項に「 砂場いづみや 」の図があります。 その店の暖簾には「す奈場」と染め抜かれ、たいそう繁盛している往来の様子と立派な店構えが描かれています。二枚目には店内の様子も描かれていて、そばを食べる客を始め、蕎麦を打ち・茹で・盛り・運ぶなどの百名を超える人々と、店の切り盛りの様子が克明に描写され、臼部屋の石臼の数などから 大規模であったことが窺えます。しかし浪速の新町で江戸期を通じて繁盛した名店であったものの明治に入って十年程の後に姿を消してしまいました。 話は 遡りますが、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に江戸に進出しますが、時期に就いて明確な記録は無いのですが、1751年( 寛延4年 )に出版された「 蕎麦全書 」に「 薬研堀 大和屋 大坂砂場そば 」の名称が、1781年(安永10年 )~1789年に出版された「 江戸見物道知辺 」に「 浅草黒舟町角砂場蕎麦 」の名称が、各一そ見られます。 但し大坂の砂場との関係は明らかにはなっていません。 江戸末期の1848年( 弘化5年 )に出版された「 江戸名物酒飯手引草 」には「 6軒の砂場 」が紹介されています。
江戸に進出した蕎麦屋の内 現在迄続いているのは、2店で 一つは「 糀町七丁目砂場藤吉( 現・南千住砂場 、 砂場本家 )」で、慶応年間にここから暖簾分けして独立したのが「 室町砂場( 以前 天もり を考案した店として紹介しました )」。 「 赤坂砂場 」はここ「 室町砂場 」の三代目の弟「 村松亀次郎 」が昭和39年に暖簾分けして出店したお店です。 「 虎ノ門砂場 」も「 糀町七丁目砂場 」から暖簾分けしたお店です。 もう一つは「 巴町砂場 」で上記の系譜とは違い、東京(江戸)でもっとも古いそば屋ということになっているらしい。 以前、江戸時代の「 名物商人ひやうばん( 1815年刊 )」では「 久保町すなば 」と称したが、 明治に入り西久保巴町に町名変更され、それ以降「 巴町砂場 」として今に至っています。 場所が 東京メトロ「 神谷町駅 」に近いので 一度行ってみたいと思います。 纏めると こんなところですかね。少し 元に戻って、「 大坂・新町 」というのは、江戸時代には江戸の吉原、京都の島原と並ぶ「日本三大遊郭」の1つとして有名で、これも大阪城築城と関係しています。 日本全国各地から土木工事に従事する若者が集められ、彼らは築城の仕事でお金は手に入るが遊ぶところがない。 発散するところが必要になってくるので、それで作られたのが「日本最大の花街・新町」だった。昼は仕事で城を作って、夜は「傾城( けいせい )」と遊ぶ。 人間の欲求を二つも満たしてくれる場所だったのですね。
【 虎ノ門大坂屋砂場 】
この店は 上述の通りで、創業は1872年( 明治5年 )に暖簾分けで「 虎ノ門大坂屋砂場 」として創業しました。
初代の女将ヨソは、徳川家康と縁の深い武家、刈谷家の娘で、父は鍋島半の剣術指南役でした。 東京の砂場本家とも言える「 糀町七丁目砂場 」に養女として預けられ、1872年に「 虎ノ門大坂屋砂場 」として現在の地に店を構えました。 江戸城無血開城の立役者の1人である「 山岡鐡舟 」、「 勝海舟 」の他に 戦前・戦後を通じて「 山本五十六 」や「 鳩山一郎 」、「 田中角栄 」等らも この店に足繁く通った老舗で、現在の店舗は大正十二年、関東大震災直前に建てられたものです。
店 名 : 虎ノ門大坂屋砂場
電話番号 : 03-3501-9807
住 所 : 港区虎ノ門1-10-6
営業時間 : 平日 11:00~20:00
土曜 11:00~15:00
定 休 日: 毎週日曜日 祝日
写真を撮りたかったので、昼過ぎに入りましたが、周りは オフィス街。 待ちはしなかったのですが、結構 混雑していました。 2階も含め 約80席あるらしい。 一階奥に通されましたが、建物の中も昔のままです。 「 もり」を頼むのは決めていたのですが、量が判らないので聞きましたら「 大盛り 」で丁度良いのではとの「 花番 」さんのアドバイスで「 もり の 大盛り 」をお願いしました。蕎麦は非常にコシがあり、汁は「 薮の辛つゆ 」、「更科の甘いつゆ 」そして「砂場はその中間」とも言われる通りで、甘くて濃いめの「 蕎麦汁 」です。 後の「 そば湯 」と良く合います。今回、酒は頂きませんでしたが、メニューを拝見すると肴は定番の玉子焼き、焼き鳥に始まり、アスパラ豆腐、穴子サラダなどの他に季節物が頂けるみたいです。 酒は田酒、磯自慢 愛山、手取川など18種類。( 摘まみと酒のメニューを撮すのを忘れました ) 今度 友人の「かっちゃん 」が来た時に 再度行って 酒を味わいたいと思います。 隣のお嬢さんは 蕎麦と丼のセットメニュー を美味しそうに戴いていましたが、友達と「 蕎麦屋 」の写真を見せ合いしていました。 奥の初老の男性は 顔を真っ赤にして 最後「 ざる 」を頼んでおられましたが、20年近く通っておられるみたいで「 花番」さんをからかった後、今日は 酔っ払ったから もう帰ろうかと、良いご身分です。 今度は「 ごぜんそば( 蕎麦の実の中心部分のみを挽いて作られたもの )」を食したいと思います。 「 蕎麦猪口( そばちょこ )」や「 箸袋 」を広げると「 摂津名所図会 」に記載されていた「 砂場いづみや 」の絵が。 「 箸袋 」は記念に持って帰りました。 お勘定の時の「 女将さん 」の印象が大変良く、店の名刺を2枚戴きました。一枚は 蕎麦大好きな「 かっちゃん 」の分です。 同じ砂場の名前が付いていますが 当然ですが 三者三様でした。
帰りに又 虎ノ門の駅まで 歩きましたが、目の前に「 霞が関ビル 」が見えました。この後 東西線「 西葛西駅 」に行くべく「 日本橋 」に出ましたが、夜 同期の友達と 今度は「 へき蕎麦 」を頂くことになりました。
【 参考資料 】
・ALL ABOUT 江戸三大そば「砂場」の発祥地を発見!
・北東製粉(株) 江戸そばの三大系譜
・東京紅團 砂場を歩く
・大阪 上方の蕎麦
・ウィキペディア 砂場 (蕎麦屋)
・藪・砂場・更科
・そば「木鉢会」
・虎ノ門大坂屋砂場(そば/虎ノ門/創業1872年)
・国立国会図書館
・その他








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