團菊祭五月大歌舞伎「 夜の部 」に行ってきました

夜の部は「 慶安太平記 丸橋忠弥 」、歌舞伎十八番の内「 蛇柳 」、そして「 神明恵和合取組 め組の喧嘩 」の三つです。  お題の通り 團十郎( 成田屋 )、菊五郎( 音羽屋 )を中心とした 芝居で、海老蔵、左團次、菊五郎、菊之助、時蔵、松禄、梅玉等 そうそうたる役者が顔を出しています。   特に「 め組の喧嘩 」は音羽屋の十八番みたいなもので、主役の辰五郎を演じる 菊五郎は この役だけでも 8回演じています。   以前 NHKの正月番組で まだ歌舞伎座が工事中の時、新橋演舞場で演じられた役者は、今回 ほぼ同じ役者達でした。
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【 慶安太平記( けいあんたいへいき ) 由井正雪 】
由井正雪の歴史的な事件を、実録本によって脚色。   初演は「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはんみのまくはり)」と言い、丸橋忠弥は「 鞠ケ瀬秋夜( まりがせしゅうや )と言ったが、再演から実名になった。  「 河竹黙阿弥 」が「 初代市川左團次 」にはめて書き、これにより左團次は一躍スターになった。   初演は明治3年 守田座。   由井正雪は、丸橋忠弥をはじめ多くの浪人を集めて江戸幕府転覆を計った。   忠弥は中間に化けて江戸城の堀端で、犬を追うとみせて石を堀に投げ込みとがみ、堀の水深を測る。それを見咎めたのは老中松平伊豆守であった。   一方忠弥の浪宅では、妻おせつの父弓師(弓の細工人)藤四郎が忠弥に貸した二百両の金を催促にきて、酔払っている忠弥におせつの離縁を要求する。   困った忠弥は、ついうっかり藤四郎に幕府転覆の計画を打ちあけてしまう。驚いた藤四郎は、松平伊豆守に訴人。  丸橋忠弥は大立廻りの末に逮捕される。
みどころ  2幕3場で、最初は有名なシーンである 丸橋忠弥が 江戸城の堀端での忠弥の酔態から石を投げて堀の深さを測るところで、右手に煙管を立てて持った見得は錦絵の画題にもなる有名なところである。   その後ろへ裃姿の伊豆守が傘をスーッとさしかける。雨が自分の体にかからないのを不審に思った忠弥が振りかえって伊豆守に気がつくまでは、忠弥の役者と伊豆守の役者の芸の気味合いが見ものである。   そしてもう一つの見せ場は、浪宅の裏手での立廻り。    歌舞伎の中でももっとも有名な立廻りの一つである。  最後は荒事がふんだんに取り入れられ、松禄が全身 井戸水を被る場面、そしてハイライトだった「 戸板倒し 」等 存分に楽しめました。
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【 蛇柳( じゃやなぎ )】
歌舞伎十八番に登録されている「 蛇柳 」が何故選ばれたのか、良く解らないらしい。   「 蛇柳 」は高野山に有った「 柳の木 」の事で、その昔「 弘法大師 空海 」が法力を以って蛇を柳の木に変えたのだというが、諸説あって定まらないようである。   この「 蛇柳 」は宝暦13年(1763年)、江戸中村座の「 百千鳥大磯流通( ももちどりおおいそがよい )」に、四代目 市川團十郎によって初演されました。   これは当時定例の曽我物の三番目に当たり、同年2月から興行された同名の芝居の続き物として、5月になってから出されたものでが、その後再演はされなかった。   嘉永5年(1852年)、三代目歌川豊国は歌舞伎十八番の芝居絵を出している。その中の「 蛇柳 」の絵は、一向に要領を得ない絵であるが、とにかく当時すでに四代目團十郎の演じた「 蛇柳 」の内容が詳らかでなくなっていたことは間違いなく、歌舞伎十八番が制定された時も、四代目が大当りを取ったらしいから…というだけでその中に入れられた可能性が高い。  近代になって「 五代目 市川三升 」は上演の絶えていた歌舞伎十八番の復活を志し、「 解脱 」、「 嫐( うわなり ) 」、「 七つ面 」など次々に上演したが、この「 蛇柳 」は上演するための材料の乏しさからか、なかなか手をつけずにいた。  のちに三升は昭和22年(1947年)の東京劇場で、「 蛇柳 」を上演したが、この時は悪七兵衛景清が平家の重宝である青山の琵琶を求めて高野山の蛇柳を訪れ、その根もとに琵琶があると見て伐ろうとすると、蛇柳の精が現れ景清と争うという内容で、全く新しく創作されたものであった。   これ以降「 蛇柳 」は久しく舞台に取り上げられることはなかったが、平成25年( 2013年 )8月に「 渋谷 シアターコクーン 」にて「 十一代目 市川海老蔵 」が、藤間勘十郎の演出により内容を新たにし、舞踊劇として上演されました。   丹波の助太郎という愚か者に、失恋の末に死んだ娘の亡魂が乗り移り、嫉妬の荒れを見せるといった内容だったらしい。   蛇柳は高野山の麓にある柳で、弘法大師の功徳によって千年の緑を保つとされた。女人禁制の寺ゆえに、男に捨てられた女の嫉妬の強さを荒事で表現した芝居です。   「 松羽目物 」で、海老蔵は二役を勤めていましたが、これは初めて見ました。   蛇の精が立ち木の後ろに隠れる場面で、海老蔵と代役が入れ替わったのだろう。   蛇の精は被衣を被っているので、顔がよく見えず、「海老蔵の動きが少しニブイと思っていたら、その切れの悪い蛇の精は海老蔵ではなかったのです。   海老蔵は化粧を仕替え、金剛丸の荒事メークで再登場という段取りになっていたのです。    それにしても魔物メークから荒事メークへの化粧替えの早さはお見事。   内容は「 黒塚 」と「京鹿子娘道成寺 」両方を取り入れた感じです。
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海老蔵のブログ 」に 一部が動画として公開されています。

【 神明恵和合取組 通称 め組の喧嘩 】
「火事と喧嘩は江戸の華」の言葉の通り、男と男の命をかけた真剣勝負を粋に描いた世話物の人気作です。竹柴其水作の世話物。 文化3年(1806年)、芝神明の境内で起こった力士と鳶の者の喧嘩を題材にしている。
あらすじ  すぐ近くに海がみえる「 品川 島崎楼 」。  武士の酒席に呼ばれた力士達が騒いでいる。  酔った関取達が廊下を通りかかった「 め組 」の藤松に当たってしまった。
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座敷に入ってきて啖呵をきる藤松を、関取の「 四ツ車 」がたしなめるが聞き入れない。   あわやというとき、め組の頭の「 辰五郎 」が登場。
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いったんはこの場を納めるが、大名家おかかえの「 力士 」と「 鳶の者 」では身分が違うという侍の言葉に、辰五郎は怒って引きあげる。   その夜 四ツ車の帰途を、待ちぶせていた辰五郎が襲う。   闇の中で二人が立回っている所へ駕籠に乗って通りかかったのは、「 辰五郎 」の兄貴分の「 炊き出しの喜三郎 」。
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二人の中に割って入るが「 辰五郎 」は逃げる。   その際、煙草入れを落とし「 喜三郎 」がそれを拾う。   芝神明の芝居小屋の前。   め組の若い衆が芝居の邪魔をする酔っぱらいを外へ連れ出す。   それを「 四ツ車 と 九龍山 」が止めようとするので鳶の若い者がいきりたつ。   そこに「 辰五郎 」も加わり、今日こそは喧嘩の華が咲こうという時、芝居の座元の「 喜太郎 」が中に入って、ひとまずこの場は納まったが、もはや両者の確執は避けようもないものとなっていた。   「 喜三郎 」の住居を辰五郎が訪れる。   遠くへ仕事に行くので暇乞いにきたのだという。   しかし「 喜三郎 」は本当の理由を知っていた。   先夜「 八ッ山下 」で拾った煙草入れが「 辰五郎 」の物ものと判っていたからである。   いったんは止めるが「 辰五郎 」の気性を知っている「 喜三郎 」は、別れの盃を交わすのだった。   「 辰五郎 」が戻ると、女房のお仲が、どうして相撲の連中に仕返しをしないのだと「 辰五郎 」につめ寄り、意気地のない亭主と一緒にはいられないから離縁してくれと迫る。
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お仲の真意を知った「 辰五郎 」は、仕返しの覚悟を明かす。   かくして勢揃いしため組の連中は、互いに水盃を交わして、相撲小屋へ向かうのだった。
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両者入り乱れての大乱闘がはじまった。
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その真っただなかに割って入ったのは「 喜三郎 」であった。
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町奉行と寺社奉行の印のついた二枚の「 はっぴ 」を手にした「 喜三郎 」は、この印にかけて、双方共 手を引けと迫り、さしもの両者の騒ぎは納まる。
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見どころ   多この芝居をみる前に知っておきたいのは、江戸の町における「 鳶 と 相撲 」の存在である。  鳶と言われる江戸の町火消には、担当地域別に「 いろは四八の組 」があり、消火だけでは無く町内のもめごとの仲裁などにもあたっていた。  いっぽうの相撲は、大名家のお抱えで、帯刀を許された存在だったのである。  島崎楼での藤松の啖呵は気分だけのものだが、鳶の者の威勢のよさをずばり表現しています。  その後に「 辰五郎 」が登場する。   初め、下手に出て神妙な態度をみせるが、相撲取りとその方たちとは身分が違う、とまで言われては腹の虫が治まらない。  「 大きにおやかましゅうございました 」と、障子をパチンと閉めて去る。   後々の波乱を思わせる退場である。   「 八ッ山下 」での立回りは、「 世話だんまり 」の典型。   やがて「 喜三郎 」の乗った駕籠が舞台中央に据えられて、絵のようなさぐりあいとなる。   芝居小屋の前での「 辰五郎 」と二人の力士( 四ツ車、九龍山 )とのやりとりは、黙阿弥ばりの七五調である。   最後の相撲小屋での喧嘩の立回りは、動きは敏捷では無いが力の強い力士と、敏捷な鳶の特徴をとらえ、あの手この手をみせる。   この狂言の見どころのひとつは、江戸の町人の生き生きとした風俗である。   特に、鳶の者の歩き方や身のこなしに、現在の実生活ではほとんどみられなくなった様子をうかがうことが出来ます。    やはり「 大詰 」での鳶と力士の大立廻りが見せ場ですね。

補足 「 め組の喧嘩 」に使いました 舞台画像は、今月の芝居とは別に テレビで放送されたものを ハードコピーはています。   以前「 踊りの演目 」の時に敷く板の名前が判らないと書きましたが「 所作台 」という物でした。

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