江戸の「吉原 と 花魁 」 Vol.1

NHKで 毎週放送されている番組に「歴史秘話ストーリー(水曜日 22時~)」という番組があります。23日は、江戸、吉原の遊女「花魁 」に就いての特集でした。  歌舞伎の世界で結構「花魁」が出てきます。  背景を知ると「歌舞伎」も面白く観られますので、番組の内容を中心に加筆し纏めてみました。

文章が かなり長いのと、ブログの容量の制約から「 江戸の「吉原 と 花魁 」 Vol.1~Vol.5」に分けてあります。 文章の最後をクリックすると順番にお読み戴けます。

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       江戸の「三大スター」とは
         ① 歌舞伎の「市川團十郎」
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         ② 横綱の「谷風」
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         ③ 扇屋の花魁「花扇(はなおうぎ)」といわれている。
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江戸 吉原は「花魁」の世界であり、庶民にとって「花魁」は
     ① 男性にとっては 「理想のスーパー恋人」
     ② 女性にとっては「憧れのファッション リーダー」
と 位置付けされている。

以下 「遊郭と吉原」、「花魁」とに大別して記します。

【遊郭の歴史】
昔 散在していた「遊女屋」は都市の一か所に集められ遊郭が出来た。1584年、豊臣秀吉の治世に、今の大阪の「道頓堀川北岸」に最初の遊廓が造られ、その5年後1589年に「京都柳町」に遊廓が作られた。1612年には徳川幕府が江戸 日本橋人形町付近に吉原遊郭を設けた。その頃は一面に葦(よし)の茂った野原で、そこに出来た廓だから葦原といったのを「 縁起商売」だから字をきつげん(吉原)と改めたのがこの地名の始まりである。 1657年明暦の大火で、浅草近くに引っ越す事となり、「新吉原」とも呼ばれた。その大きさは、田畑の中に造られ 約2万坪といった広大な土地で、周囲は「お歯黒溝(どぶ)」と呼ばれる幅2間(3.6m)程の堀が巡らされ「城郭」の形を取っている。入り口は「吉原大門」といわれた1ケ所のみとなっており、外界から隔絶されていた。以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ばれている。又「吉原」では メインの「仲之町」の道路に「咲いた桜」を植え付けたりした。 句として「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」と詠んだように、日が暮れればいずこも闇に包まれる時代において、吉原だけは闇を追い出すことのできる特別な場所とした「空間の演出」にも一工夫されている中で、独自の文化や風習が在る浮世離れした世界を造っている。 吉原の内では、「花魁が君臨する場所」で、客の「身分・地位」の差別は無く、「遊郭の中で刃物の使用は禁止」の為、武士も入り口で「刀を預けなければならなかった。
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又同世紀前半に、大坂の遊郭は新町(新町遊廓)へ、京都柳町の遊郭は朱雀野(島原遊廓)へと移転した。「島原、新町、吉原」が「幕府公認」の「三大遊郭」と呼ばれている。 他にも全国20数カ所に「公許の遊廓」が存在し、各宿場に飯盛女と言われる娼婦がいた。 1873年(明治6年)「芸娼妓解放令」が出されたが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。1946年(昭和21年)に「GHQ」の指令により遊郭は廃止され赤線に看板を変えるが、これも1958年(昭和33年)の売春防止法の施行により消滅した。

本内容は Vol1~Vol5迄 分かれています。  下記の箇所を クリック すると Vol5迄 各々 順番にリンクしています。
       
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続けて 「 江戸の「吉原 と 花魁 」 Vol.2 」をご覧下さい。

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