山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 毛利甲斐守邸跡( 毛利庭園 )に行って来ました

<<   作成日時 : 2018/04/24 05:00   >>

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六本木、麻布十番に行っても 過去立ち寄らなかった「 毛利庭園 」に行って来ました。
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現在の「 毛利庭園 」は、元 長門長府藩主( 長州藩毛利氏の分家 )毛利綱元( 第三代藩主で、遡れば、戦国大名、毛利元就の「 三本の矢 」の三兄弟の下の四男・穂井田元清を祖とする由緒ある藩の藩主です )の麻布上屋敷の跡地です。
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現在は六本木ヒルズ内の 毛利庭園 となっており、都心の憩いの地となっています。  面積4.3千u の広大な敷地に、池を中心にし、滝、渓流、川のせせらぎや、桜、イチョウといった木々が配されている回遊式の日本庭園です。
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慶安3年( 1650 )に、初代長府藩主毛利秀元【 秀元は文禄4年( 1595 )に甲斐守となっています 】が上屋敷を【 麻布日ヶ窪の地( 現在の六本木六丁目他 )】設けました。  江戸切絵図に「 毛利邸 」が記載されています。
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毛利綱元が長府藩主であった元禄15年( 1702 )、赤穂事件が起こり、吉良義央邸に討ち入った赤穂浪士の岡嶋八十右衛門ら10名( 毛利、細川、松平、水野の四家に分けて預けられる )がお預けになり、幕府の沙汰で 元禄16年( 1703 )2月4日 切腹の命により 同屋敷で 午後3時過ぎに始まり午後4時過ぎには終わったと言い伝えられています。

享保3年( 1718 )3月、第五代藩主であった毛利元矩が亡くなり長府藩は一時無嗣断絶となりましたが、同年4月に清末藩主の毛利匡広による長府藩名跡相続により再興されました。

嘉永12年( 1849 )、後に陸軍大将となる「 乃木希典 」が藩邸の侍屋敷で 希次の三男として生まれ、幼年期9年をこの「 日ヶ窪屋敷 」で過ごしました。
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明治20年( 1887 )、中央大学の創始者であり、弁護士、法学者、法学博士でもあった「 増島六一郎( 1857〜1948 )」が自邸として当地を取得し、その庭園を「 芳暉園 」と名付けました。

大正8年( 1919 )4月 「 乃木大将誕生地 」として、旧跡( 現東京都旧跡 )に指定されました。
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昭和18年( 1943 )3月「 毛利甲斐守邸跡 」として、旧跡に指定されました。

昭和27年( 1952 )、ニッカウヰスキーが買収。  その後は、東映が買収。  更に 昭和52年( 1977 )、現 テレビ朝日が東映から譲り受けて同社の敷地となります。  その後 平成10年( 1998 )に六本木六丁目地区市街地再開発組合が設立され、平成12年4月に、再開発事業の着工。  再開発により建設された六本木ヒルズが平成15年( 2003 )4月にオープンし、同ビルの日本庭園が「 毛利庭園 」と名付けられました。
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園内は緑が多く 都会のオアシス の雰囲気を醸し出しています。  園内の近くに「 結婚式場 」があるのでしょうか、池の縁に「 ハートマーク 」が建っていましたが、何か 庭園に 相応しく無い雰囲気でした。  すぐ傍に テレビ朝日の建物があります。
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参考資料 : 国立国会図書館

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