山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 増上寺とその周辺散策【其の四】

<<   作成日時 : 2018/04/19 05:00   >>

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「 芝東照宮 」の後、三解脱門に戻りました。  今日は増上寺の伽藍 ( 三解脱門、黒門、御成門、大殿、鐘楼 )等を中心に書きます。  その前に 再度「 増上寺 」に就いて 簡単に説明します。
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増上寺は、正式には「 三縁山広度院増上寺( さんえんざんこうどいんぞうじょうじ )」と言います。  開山は明徳4年( 1393 )、浄土宗第八祖 酉誉聖聰( ゆうよしょうそう )上人により、江戸貝塚( 現在の千代田区紀尾井町 )の地に浄土宗正統根本念仏道場として創建され、文明2年( 1470 )には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗の殿堂となっていました。  江戸時代初期、増上寺法主 十二世源誉存応( げんよぞんのう、後の観智国師 )上人が徳川家康から手厚い保護を受けました。  慶長3年( 1598 )、現在の地に移転し、徳川家の菩提寺として、又 関東十八檀林の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。  その規模は、寺領1万石余、20数万坪の境内地、山内寺院48宇、学寮百数十軒、常時3千名の僧侶が修学する大寺院でした。  現代でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動の他、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を所蔵しています。
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【 三解脱門( 重要文化財 )】
江戸の初期に建てられた当時の面影を残す都内有数の古い建造物「 三解脱門( 三門 )」は、戦災をまぬがれた建物の1つで、元和8年( 1622 )幕府大工頭・中井正清とその配下により建立された二重門( 重層で、各層に屋根が付く門 )です。  この門を潜ると、三毒【 3つの煩悩、即ち( [ とん ] むさぼり )、( [ しん ]いかり )、( [ ち ]おろかさ )から解脱出来るとされています。  上層部( 楼上 )には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
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「 増上寺は 」 以前書きました「 愛宕山神社 」と同様、大地の麓に建てられており、本堂を含めた伽藍はその丘陵を巧みに利用して作られています。  戦後は老朽化のために 未公開となっています。
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【 増上寺旧方丈門 ( 黒門、有形文化財 )】
芝公園を田町方面に歩くと「 黒門 」があります。  一間一戸の切妻造本瓦葺、高さ8mの四脚門です。  元は増上寺方丈の表門でしたが、昭和55年( 1980 )、善導大師1300年遠忌を期に、表側の飛檐垂木〈 ひえんだるき 〉の大部分と、東側の破風板〈 はふいた 〉、瓦の一部を補修し、三解脱門南隣りの現位置に移築されました。  門扉は破損が著しいため取り除かれました。  全体が黒漆塗であったため「 黒門 」とも呼ばれています。  建立当時、増上寺の主要伽藍〈 がらん 〉は全て漆塗されていましたが、三解脱門などの朱塗の建物との対照が際立ち、また蟇股〈 かえるまた 〉の彩色や飾金具をくっきりと浮き立たせて壮観であったと思われます。  漆塗は材料が高価なため、近世寺社建築では、徳川氏および有力大名の営むものや庇護を与えたものに限られており、増上寺が徳川家の菩提寺として厚い庇護を得ていたことを表しています。  蟇股には、表側に唐獅子、裏側に牡丹が浮彫されていて、精巧で写実的な図柄は、近世の建築彫刻の特色を示しています。長年の風触のため、古色を帯びていますが、桃山建築の豪華さの面影がうかがえます。  建造年代を明らかにする棟札〈 むなふだ 〉などの記録は見出せませんが、江戸時代初期の特徴を示す様式から、17世紀後半のものと推測されます。
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【 御成門 】
三解脱門を正面に 日比谷方面に歩きます。  先達て書いた「 ル・パン・コティディアン芝公園店 」から「 芝プリンスホテル 」を通り過ごして 左手に曲がると「 御成門 」があります。
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増上寺( 徳川家菩提寺 )の裏門としてつくられましたが、将軍が参詣する際に用いられたので、「 御成門 」と呼ばれるようになりました。  初め「 御成門 」は、現在の御成門交差点にありましたが、明治25年の東京市区改正計画で、内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この位置に移築されました。  その後、増上寺三門や、旧庫裡門、徳川家墓地の惣門、二天門と共に関東大震災や戦火から難をのがれています。  元々は白塗りの門ですが、かなり傷んでいました。
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【 大殿( だいでん )】
戦災により消失しました。  昭和49( 1974 )年、大本山の念仏の根本道場として本堂が再建されました。  首都圏では最大級の御堂で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室があります。
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本堂には本尊の阿弥陀如来( 室町期製作 )、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の像が祀られています。  少し疲れたので 本堂の中で「 阿弥陀様 」を見つつ、 15分程度 休ませて貰いました。
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【 鐘楼堂( しょうろうどう )】
寛永10年( 1633 )に建立されましたが消失、戦後に再建されました。  鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年( 1673 )に品川御殿山で椎名伊代守吉寛により鋳造されました。  四代将軍 徳川家綱の意向で 奥方の「 かんざし 」まで寄与されて、あまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し( 東日本で最大級 )、江戸三大名鐘( 芝増上寺・上野寛永寺・浅草寺 )の一つに数えられています。   その大きさは 高さ一丈( 約3m )、重さ四千貫( 約15t )の大鐘です。  朝と夕べ、2回撞く( 午前5時30分 と 午後5時 )鐘の音は、時を告げるだけでは無く、人を惑わす108の煩悩を浄化します。  江戸時代の川柳には「 今鳴るは芝( 増上寺 )か上野( 寛永寺 )か浅草( 浅草寺 )か 」、「 江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘 」、「 西国の果てまで響く芝の鐘 」等と謳われ、江戸庶民に親しまれまてきました。
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参考:日本三大梵鐘( 京都 知恩院、奈良 東大寺、京都 方広寺 )」、 日本三名鐘( 姿の平等院、 「 音の三井寺、勢の東大寺 )と言われていますが、東大寺の代わりに、「 銘の神護寺 」を加えて「 三名鐘 」とする説や、別説として「 金剛峯寺 大塔の鐘 」を加える場合もあります。

【 グラント松 】
米国第18代 大統領 グラント将軍は、明治12年( 1879 )7月 国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣した中華第一家 杜記に記念として植樹されたものです。
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【 千躰子育て地蔵菩薩 】
子や孫の無事成長を祈って、増上寺の「 ひまわり講 」の方々が中心となって建てられました。  風が吹いて「 風車 」が回っていましたが、外国の観光客の方々が 見とれていました。
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【 徳川将軍家墓所 】
戦災を受ける前は、徳川家の霊廟軍が大殿の南北に建ち並んでいました。  その後現在の地に改葬されました。  六人の将軍と各公の正室、側室、子女等が埋葬されています。  詳細は 以前書きました「 増上寺と徳川家霊廟【 其の弐 】」を参照して下さい。
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正面向かって右がが、移設後の「 秀忠 」のお墓です。
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明日は 宝物展示室にある「 台徳院霊廟の模型 」に就いて書きます。
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