山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 増上寺とその周辺散策【其の弐】

<<   作成日時 : 2018/04/17 05:00   >>

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今日は、戦災で消失してしまった「 台徳院霊廟 」に就いて書きます。
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日比谷通りの交差点を渡り 本来なら「 三解脱門 」から境内に入るのですが、今回は 土塀に沿って 田町方面に歩くと、「 芝公園 」に出ます。  以前 この辺りは「 ゴルフの練習場 」がありました。
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この辺りを訪れる人達は少し「 増上寺 」のことを知っている人ですね。  と言うのは 現在は公園となっていますが、此所から「 ザ・プリンス パークタワー東京 」に至る土地は 戦災以前「 南御霊屋 」と呼ばれ、二代将軍「 徳川秀忠( 法名 台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士 )」の「 台徳院霊廟 」に通じる参道の入り口となっていた場所なのです。
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台徳院霊廟は、増上寺の本堂の南側に、寛永11年( 1634 )に、三大将軍 徳川家光 により霊廟が完成されました。  その隣には正室の崇源院( 淀君の妹 )の霊廟もありました。
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増上寺の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を誇っており、その敷地面積は17千uもありました。
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しかし、昭和20年( 1945 )の戦災で、多くの建物が消失し免れたのは、惣門、勅額門、御成門、丁子門のみで、「 惣門 」が増上寺に保存され、それ以外の門は「 狭山不動寺( 埼玉県 )」へと移築されて現存しています。  又、正室「 崇源院 」の霊廟の一部は鎌倉「 建長寺 」に「 仏殿 」として移築されました。  下図は 戦災前とその後の 増上寺 の様子を比較する為に、比較図を作りました。
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【 惣門( 重要文化財 )と 阿吽像( 港区指定有形文化財 )】
「 台徳院霊廟 」に参詣する最初の門が「 惣門 」で、戦災で焼け残った貴重な建物です。   建築様式は入母屋唐破風で銅板葺き、三間一戸八脚門で、全体を朱塗とし、装飾的要素のない簡素な門です。
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その門の左右には 一対の木造の仁王様が安置されています。 近くにあった 港区教育委員会のパネルには以下の説明がされていました。

重要文化財「 旧台徳院霊廟惣門 」の左右に安置している寄せ木造り、砥粉地彩色( とのこじ )の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐( いわくら )の上に立っています。  平成16年から17年に掛けて行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は 埼玉県北足立群戸塚村( 現 埼玉県川口市 )の西福寺( 真言宗 )の仁王門に安置されていたもので、寛政元年( 1789 )、弘化3年( 1847 )の二度にわたり修理が行われている事が判りました。  更に安政安政2年( 1855 )の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和23年( 1948 )、同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京 浅草に在る 浅草寺 に移されたことも記載されています。  その後の経緯は明らかでは有りませんが、昭和33年頃迄にはこの惣門に安置されたと考えられています。  本像は18世紀前半までには江戸の仏師によって製作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。  大きさは、阿形 243.5cm、吽形 247.0cmです。

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門を潜って 階段を上ります。
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上がり切った左右に 石垣の跡が見られます。
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これは 「 惣門 」手前の L字型 の「 水路( 堀 )」の石垣なのです。
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ですから 本来の 惣門は この位置に在ったことになり、現在の場所に 昭和34年( 1959 )約45m曳家されました。  消失する前の写真や錦絵でも判ります。
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【 勅額門跡 】
惣門の水路跡の西側に「 勅額門跡 」の案内柱があります。
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以下の三伽藍は、先程書いた通り 移築されているので、増上寺では見られません。  移築された建物は下に個別に写真を載せました。

【 勅額門( 重要文化財 )】
惣門跡の先に「 勅額門 」の痕跡を示す「 説明の柱 」が建っています。  先程書いた通り 昭和35年( 1960 )に埼玉県所沢市に「 狭山不動尊 」移築されました。  構造形式、四脚門、銅板葺、切妻造り。切妻造四脚門です。
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【 丁子門( 重要文化財 )】
「 勅額門 」と同様 埼玉県所沢市に「 狭山不動尊 」移築されました。  一間平唐門で、北隣の崇源院( 秀忠 正室 )霊牌所への通用門でした。
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【 御成門( 重要文化財 )】
「 勅額門 」と同様 埼玉県所沢市に「 狭山不動尊 」移築されました。 飛天の彫刻や絵画が多く描かれておりおり朝鮮渡来の天人門と伝えられています。  寛永9年( 1632 )三代将軍徳川家光が着手、建立し格天井の中央に丸い鏡天井が設けられ珍しい特徴を伝えています。  構造形式、単層門、銅瓦葺、切妻造り。
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【 崇源院 霊廟の一部 】
鎌倉「 建長寺 」の仏殿へ。
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ここから先 中門から「 台徳院 宝塔 」並びに「 五重塔 」迄は 芝公園となっており、昔を知る面影は 見当たりません。
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戦災で焼失しましたが、今 残っていたら 間違いなく「 世界遺産 」となっていたことでしょう。  宝塔のある辺りは 今の「 ザ・プリンス パークタワー東京 」の 右下辺りだったと推察されています。  どちらにしても 広大な霊廟であった事が判ります。
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左手に「 芝丸山古墳 」が見えます。
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以前 ブラタモリ で「 芝 」の特集が放送された際、「 惣門 」から「 宝塔 」迄をCGで再現していましたので、参考にご覧下さい。
・惣門
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・勅額門
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・本殿と本殿内部
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・透塀と 御成門 に続く階段
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・御成門
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・五重塔
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・宝塔と内部
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消失する前の秀忠の宝塔で、高さ約8m、胴径は3m近くあったと推察されています。  宝塔は木製で、八角三重の石造りの台座の上に設けられた上下二重の連座に載せられていました。  蒔絵による模様が描かれ、七宝入りの精巧な透金具が使用されるなど、当時の工芸の粋を尽くしたものとなっていました。  秀忠の遺体は宝塔の真下に埋葬されていました。
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明日は「 芝丸山古墳、芝東照宮、黒門 」に就いて書きます。

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