山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 池上本門寺に行って来ました【其の参】

<<   作成日時 : 2018/04/13 05:00   >>

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今日は「 其の参 」として「 五重塔」からスタートです。
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【 五重塔( 重要文化財 )】
関東に4基現存する幕末以前の五重塔の内、空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、その中で一番古い塔です、塔の高さは 31.8mあります。  塔が建てられたのは、後に徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願でした。  文禄2年( 1593 )15歳の秀忠公が疱瘡にかかり重体となりました。  熱心な法華信者であった乳母「 岡部の局( 後正心院 )」が、大奥より当寺へ日参し、帰依していた12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「 心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する 」との念でひたすら祈りました。  その甲斐あって快癒し将軍となった後、その御礼と併せて武運長久を祈り、慶長12年( 1607 )に建立、翌13年に上棟式を執り行いました。
開眼供養の大導師は 14世日詔聖人、大願主が 正心院日幸大姉( 岡部の局 )、普請奉行は幕臣の青山伯耆守忠俊、棟梁は幕府御大工の鈴木近江守長次、鋳物師は椎名土佐守吉次で、幕府のお声掛かりで建造された当時第一級の塔です。  江戸建築が確立する前の桃山期の建立であるため、特に構造上、過渡期の特色が濃厚です。  桃山期の五重塔は全国で1基だけで文化遺産としての価値は高く評価されています。
当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられていましたが、直後の慶長19年( 1614 )の大地震で傾き、元禄15年( 1701 )、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復されました。  その後、数度の修理を経て、平成9〜13年に掛けて、日蓮聖人立教開宗750年慶讃記念事業( 国庫補助事業 )の一つとして全解体修理が施されました。  塔の特徴は、全面ベンガラ( 赤色塗料 )塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとなっています( 当初はすべて本瓦葺き )  建築様式では初層は和様、二重から上は禅宗様に分かれています。  初層の各面は中央を桟唐戸、両脇間には格狭間( ごうざま )形の装飾を入れ、蟇股( かえるまた )には十二支の彫刻が施されています。
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下の写真は 明治時代に撮影されたときのものです。  白黒写真を着色しています。
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【 本殿 】
大堂の左横に「 御廟参道 」があり、真っ直ぐ歩くと「 本殿 」の門に繋がっています。  本殿とは、本師( 釈尊 )のおられる殿堂という意味です。  古くからの釈迦堂は幾度となく罹災。  天正年間の再建堂も宝永7年( 1710 )に焼失、25世日 聖人代の享保15年( 1730 )、8代将軍吉宗公が御母深徳院殿の追福のために再建されました。  昭和44年( 1969 )に、戦災で焼失し再建したものです。  戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高い。  旧釈迦堂は旧大堂(祖師堂)に隣接して建っていましたが、再建にあたっては公道を隔てた大堂後方の北側へ移されました。  本尊の釈迦如来像の胎内には、インドの「 ネ−ル首相 」が寄贈された釈迦の舎利骨が2粒納められています。  他に、四菩薩立像( 上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩 )が安置されています。  本殿正面を入ると左右に祀られている仁王像は、 仁王門で書きました通りモデルはアントニオ猪木( 当時20歳代 )です。
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【 御廟所 】
「 本殿 」の敷地内にあります。  宗祖 日蓮聖人の灰骨を「 奉安( ほうあん、謹んで安置すること )」する墓塔が廟堂内中央にお祀りされています。  かつて昭和6年( 1931 )の高祖650遠忌に建てられた八角裳階付二重屋根の御真骨堂が有りましたが空襲で焼失しました。  昭和54年( 1979 )、宗祖第七百遠忌報恩事業の再建および整備により、宗祖御廟所が完全に復興出来ました。  向かって左の廟堂には2世日朗聖人の墓塔が、右には3世日輪聖人の墓塔が安置されています。
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【 多宝塔( 重要文化財 )】
境内 左手奥の「 大坊坂 」を下りる途中 右手にあります。  日蓮聖人入滅の折の荼毘所( 荼毘をする所。火葬場 )です。  「 新編武蔵風土記 」によると、この地にはかつては2間に3間の灰堂があり、当初、本門寺の開基檀越である池上宗仲が宝塔を作り、日蓮の遺灰を中に盛って奉安したと伝えられています。  現存の宝塔は棟札抄により、文政11年( 1828 )日蓮の550遠忌を記念し、犬山城主・成瀬氏らを本願主として再建されました。  嘉永4年( 1851 )に修理されています。  円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔で、富山本法寺蔵・重要文化財の絹本着色法華曼荼羅図に見える多宝仏塔に類似しており、建立時代は新しいですが、宝塔形式の木造塔で内部空間を有するものは他にほとんど類例が無く極めて貴重な建物です。  石造方形基壇および石造蓮台形台座の上に木造塔身が建っています。木造塔身の軸部は平面円形でやや伏鉢状をなし、側柱8本を円形に配し、内部には四天柱を立てています。  伏鉢部の上に12本の側柱および四天柱を配して上層をなしています。  塔身は赤漆塗りとし、宝形屋根は瓦棒銅板葺きとなっています。
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多宝塔内に「 小寶塔 」が収められていますが、通常 非公開ですが、10月11日〜13日( 12日夜・万灯練供養 )の「 御会式 」の際は 公開されます。
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多宝塔まで来たので、直ぐ近くの紀伊藩主徳川家の墓所を訪ねました。  この周りも 有名な方々のお墓が点在しています。
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【 松涛園 】
本殿裏、朗峰会館北側に位置し、作庭は「 小堀遠州 」です。  慶応4年( 1868)4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所でもあります。  一般公開日以外は見学が出来ません。
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【 著名人のお墓 】
池上本門寺の墓地には 多くの著名人が眠っています。  一番見学が多いのが「 力道山 」のお墓で、今でも 戦後の英雄として多くの人達が参詣するそうです。
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池上本門寺の著名人のお墓をリンクしておきました。
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境内は 結構起伏が有り 行ったり来たりをしましたので、久し振りに 運動をしました。  一時 休憩と昼食で立ち寄った茶店のお蕎麦が美味しかったです。
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境内を見て回り 池上本門寺がこんなに大きいとは 思ってもいませんでした。  

最盛期、塔頭は36も有ったそうですが、移転・合併・廃寺などで 現在は23の寺院が「 朗師講 」と呼ばれ、池上本門寺の近くで見る事が出来ます。
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資料出所 池上本門寺ホームページ、ウィキペディア、境内パネル等

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