山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 總持寺に行って来ました【 其の壱 】

<<   作成日時 : 2018/04/02 05:00   >>

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「 山ちゃん 」の自宅から バスで約40分、電車で約20分程度で行けるお寺、「 曹洞宗大本山 諸嶽山 總持寺( しょうがくさん そうじじ )」があります。  明治44年( 1911 )に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転した寺院で、本尊は釈迦如来が祀られています。  天気が良く 近くだったので行って来ました。  今日は「 其の壱 」ですが「 其の参 」迄続きます。  何しろ 見るところが沢山ありましたので。
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JR 京浜東北線 鶴見駅で下車、西口から線路に沿って横浜方面に歩くと 10分程度で「 總持寺 」の参道へと出ます。  さすが「 大本山 」と言われるだけあって 参道から見える「 三松関 」は立派な建物です。  敷地面積は約50万uあり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されています。  境内には仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もあります。
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寺の歴史を紐解くと、能登国櫛比( くしひ )庄( 現在の石川県輪島市 )に在った真言律宗の教院で、観音大士を祀った「 諸嶽観音堂 」が「 總持寺 」の前身で、700年余もの昔【 元亨元年( 1321 )】に遡りますが、住職であった「 定賢権律師 」の夢枕に 観音様が現れたことから總持寺の歴史が始まります。  その夢とは「 酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧が居るので呼んでこの寺を禅師に譲るべし 」と告げられました。 又その数日後「 瑩山禅師 」も夢の中で同じお告げを聞かれました。

「 諸嶽観音堂 」は、真言律宗の教院で、「 瑩山禅師 」はかねてから禅院にしたいと思われていました。  「 瑩山禅師 」は入山しようと観音堂の門前に進み、「 鐃鉢( にょうはち )」を打ち鳴らし楼門を仰ぎ見ます。  山門の楼上には、「 大般若経六百巻 」が備えられ、手前には放光菩薩が安置されていました。  すると、たくさんの僧侶達と、律師自からが出迎えていました。  禅師はこの楼門を潜り「 總持の一門、八字に打開す( 門を八の字のように打開する )」と唱えました。  「 瑩山禅師 」は、「 定賢権律師 」の入山の要請を受け入れて「 諸嶽観音堂 」に入院することに成るのです。  その後 寺号を仏法( 真言 )が満ち溢れている総府として、「 總持寺 」と改名し、山号は「 諸嶽観音堂 」の仏縁にちなんで「 諸嶽山 」となりました。

翌元亨2年( 1322 )、瑩山禅師59歳の時、後醍醐天皇は、臨済僧の「 孤峰覚明和尚 」を使者として、10種の勅問を下され、同年「 總持寺 」は「 曹洞賜紫出世第一の道場 」され、その住持は紫衣の法服着用を公に認められました。  更にこの年「 總持寺 」の三字の書額の揮毫( きごう、毛筆で言葉や文章を書くこと )を賜りました。  これにより「 總持寺 」は官寺として、一宗の大本山たることが認められ、曹洞宗の教団であることを内外に知らしめることになりました。 住職を5つの塔頭(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)からの輪番制( 順番を決めてもちまわりで事に当たること )となりました。  以降「 大本山総持寺 」として 全国13、000余ヶ寺の法系寺院を擁するに至りました。  元和元年( 1615 )徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となりました。  

明治31年( 1898 )4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。  明治38年5月、本山貫首の「 石川素童禅師 」は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の使命により、大英断をして明治40年3月に官許を得て、明治44年( 1911 )、寺を現在の 鶴見の地に移されました。  元在った 石川県輪島市門前町の旧地は「 總持寺祖院 」と改称されました。

曹洞宗のご本尊はお釈迦様です。  お釈迦様の教えを日本に広めたのは「 道元禅師 」であり、總持寺を建て 教えを全国に広めたのが「 瑩山禅師 」です。  道元を「 高祖」 、瑩山を「 太祖 」と呼び、この二人を「 両祖 」と呼んでいます。  又、曹洞宗は総本山のお寺が2つあります。  一つは福井県にある永平寺、もう一つが「 總持寺 」です。  

ここから「 總持寺 」の伽藍に就いて紹介します。  写真には 境内の「 桜 」が写っていますが 訪れたのは3月末だったので、アップされた時期と 時間のズレが有る事を ご承知おき下さい。  總持寺のホームページにあった地図で伽藍を歩いた順番に説明します。
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【 三松関( さんしょうかん )】
總持寺の総門です。  扁額( へんがく )には「 三樹松関( さんじゅしょうかん )」と書かれています。  總持寺中興の祖とされる「 石川素童( そどう )禅師 」が「 揮毫( きごう、毛筆で何か言葉や文章を書くこと )」されました。  總持寺の祖院がある能登に、龍の形をした三本の松の木があったことに由来します。  建築様式は高麗門で、禅院の総門としては特異です。
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門を潜ると 三門( 山門 )が見え、右手に 大きな「 境内の案内図 」があります。
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【 三門 】
三松関( 総門 )を潜り、七堂伽藍の最初に出会うのが「 三門 」です。  昭和44年( 1969 )に落成した建物で、鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさを誇っています。
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三門の左右に金剛力士像( 阿吽像 )が置かれていますが、元横綱「 北の湖 」の15歳の姿をモデルにしたと伝えられています。  似ている様な、そうで無いような。  細かい金網で覆われているので良く判りません。
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三門を潜ると 大きな庭があり、桜が綺麗に咲いていました。
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別の角度から見た「 三門 」です。
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三門楼上には、開創時からの因縁によって、観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像、及び 四天王像が祀られ、毎月2日と16日には羅漢供養の法要が修行されます。  三門正面の扁額には 總持寺19世「 岩本勝俊禅師 」が書かれた山号「 諸嶽山 」と書かれてます。
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【 三松閣( さんしょうかく )】
潜ると 右手に見えるのが「 三松閣 」で、切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇です。  檀信徒研修道場や、セレモニーの会場として使われています。  能登・祖院にあった三本の龍形の松に因んで「 三松閣 」と呼ばれています。
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【 梅壽庵( ばいじゅあん )】
三門を潜った左手にあります。  水子供養の相談ごとや慰霊者の受付所で、「 梅壽庵 」の本尊は地蔵願王大菩薩で、梅壽庵横に水子地蔵尊が祀られています。
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今日は ここ迄で、明日は「 三寶荒神 」からです。

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