山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 「 池波正太郎生誕の地 」の碑と 「 待乳山聖天 」

<<   作成日時 : 2018/01/19 05:00   >>

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今日は、「 池波正太郎生誕の地 」の碑と 「 待乳山聖天( まつちやましょうでん )」に就いて書きました。  昨日と同じく 古地図と歩いた地図を添付しました。
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昨日 アップした「 旧 猿若町 」から徒歩数分、隅田公園の近くに「 待乳山聖天( 別途記述 )」があります。  この寺の階段横に「 池波正太郎 生誕の地 」と書かれた碑( 平成19年に建立 )があります。

池波正太郎
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言うまでも無く 戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。  「 鬼平犯科帳 」、「 剣客商売 」、「 仕掛人・藤枝梅安 」、「 真田太平記 」等、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を書くと共に美食家としても著名でした。  大正12年1月25日( 1923 )− 平成2年5月3日( 1990 )旧東京市浅草区聖天町61番地で、父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男として生を受けました。  この年、関東大震災が起こり、両親と共に埼玉県浦和に引越しましので、この地には 数箇月しか住んでいないことになります。  池波正太郎 自身が、「 聖天町の生家の記憶はない 」と言っていますが、エッセイに「 生家は跡形もないが大川( 隅田川 )の水と待乳山聖天宮は、私の心の故郷のようなものだ 」と記しています。  鬼平犯科帳の中には、今戸橋の船宿が出てきます。  今戸橋は待乳山聖天のすぐ近くで、船宿の名前を「 嶋や 」と言い、鬼平が贔屓にしていた船宿です。  こんな所にも生まれ故郷に対する池波正太郎の思いが出ているのかもしれません。  待乳山聖天周辺も作品の舞台としても度々登場しています。
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記念碑の左には 池波正太郎 の写真が、右手に 生い立ち 等が書かれています。
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その碑の右手に「 本龍院( ほんりゅういん )」に通ずる階段があります。  昨日「 平成中村座 」の事を書きましたが、観劇の際、浅草から歩いた時に本寺院が在るのは知っていましたが、訪れたのは今回が初めてです。
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聖観音宗の寺院で、浅草寺の塔頭の一つで、山号は待乳山( まつちやま )【 隅田川べりの小高い丘( 待乳山 )があり、推古天皇3年( 595 )9月に出現した龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号( 金龍山 )の由来となったと伝えられています。  推古天皇9年( 601 )この地方が旱魃に見舞われた時、歓喜天( 聖天 )・十一面観音( 本尊 )が安置されたと伝えられています。  又 待乳は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海だったが、ここだけが真の土であったことを由来とする説もあります 】に由来しています。  別名「 待乳山聖天 」と呼ばれて親しまれています。
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浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られています。
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境内各所に印されてあります大根や巾着がありますが
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大根は身体を丈夫にしてもらい、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。
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  巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰のご利益が大きいと言われており、境内のあちこちに大根と巾着のシンボルを見ることができます。  例年1月7日に行われる「 大根まつり 」が有名で、法要の後、正月中にご本尊聖天さまにお供えされた大根を調理した風呂吹き大根が御神酒とともに参拝者に授与され、大いに賑わいます。  大根は、平日は100本程、休日には200本以上用意されるらしいです!

境内に「 築地塀( ついじべい ) 」がありました。  江戸時代の名残をとどめるもので、全長25間( 45.5m )。  広重の錦絵にも描かれているそうです。
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京都で見かけた「 築地塀 」です。  此方は少し芸術的。
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出世観音です。学問、芸能、立身出世、商売繁盛の観音様だそうです。
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「 待乳山聖天 山門 」ですが、日頃は閉じられているのでしょう。
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寺に敷設されているこのゴンドラは「 さくらレール 」というスロープカー( 無料 )で、駐車場と寺務所 ・ 境内とを往復しています。  というのも本堂が高台にある為、下の駐車場からは何段急な階段を上るのは、お年寄りや足の悪い参拝者の方達には負担となるので設置をしたそうです。
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江戸時代に「 江戸三千両 」と言う言葉がありました。  一日に 千両 の売り上げがある場所で
 ・朝の千両 日本橋魚河岸
 ・昼の千両 猿若町の芝居
 ・夜の千両 吉原  
のことを指していました。  

その 幕府公認の遊郭「 吉原 」に通う 方法の一つに「 隅田川 」を使う方法が有りました。  以前「 両国橋 から柳橋 」で書きましたが、柳橋の船宿から「 猪牙船( ちょきぶね 」に乗り、船に揺られて「 今戸橋 」付近で下船。
「 猪牙船( ちょきぶね 」とは 下の錦絵に描かれている船で、結構スピードが早かったらしいです。
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吉原に通う人の川柳があります。
  船宿へ 家の律儀は 置いてゆき

その後 日本堤 を歩いて 「 吉原大門 」を潜るのです。  「 待乳山聖天 」は、高台に有り 下船する際の 一つの目安になったと言われています。
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吉原に通う客は、船の中で「 吉原細見( よしわらさいけん 、 江戸の吉原遊廓についてのガイドブックで、一般的な体裁は店ごとに遊女の名を記したもの。  細見売りが遊廓内で売り歩いていました。  享保17年( 1732 )頃から年2回の定期刊行となり、明治13年( 1880 )代迄 約160年間にわたって出版され続け、「 役者評判記 」に次いで、日本史上最も長期にわたる定期刊行物とされる )でも見ながら ほくそ笑んでいたのでしょう。
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と言っても 吉原は 男性だけでは無く 女性達も 当時の最先端の流行を知りたく足繁く通ったらしいですが。  浅草界隈、猿若町、吉原は「 娯楽のトライアングル 」なんです。  

今回は吉原迄 時間の都合でパスしましたが、多分 片道15分程度の距離だと思われます。  昔 吉原通いの人達も この程度歩いたのでしょう。  一度 訪ねたいと思っています。

随分前に 「 山ちゃんの徒然日記 」で、「 江戸の吉原 と 花魁( 5シリーズ ) 」で書いたことがありました。  リンクしておきましたので お時間がありましたら ご一読下さい。

この後 夕日を見ながら「 隅田公園 」を歩いて、浅草に向かいました。

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