山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS お節料理 」と 「 お雑煮 」

<<   作成日時 : 2018/01/01 05:05   >>

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正月に皆で戴く「 お節料理 と お雑煮 」の雑学です。  昔、京都で正月を迎えていた時には、地元特有の料理を「 重箱 」に詰めていましたが、横浜に居を構える様になってからは、京都の料理に北海道から取り寄せた「 海の幸 」の料理を付け加えています。  又、上の孫が「 セブンイレブン 」でアルバイトを始めてから、自宅で作る「 お節料理 」以外に、孫の点数アップの為「 三段重 」を取り寄せています。    

3〜4年前から 取り寄せている セブンイレブンの「 お節料理 」は、正直 最初は「 半信半疑 」でしたが、ホテルのお節料理と十分片を並べられる美味しさで、年末に注文しています。  ケースに入り 三段重 となっており、各々の重にお目出度い料理が 下に説明した通り @ 〜 C 迄がギッシリと詰められています。  現在 三人家族なので これで十分な量と品質なんです。
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【 お節料理 】
「 御節料理 」は、中国から伝わった「 五節供 」の行事に由来しており、奈良時代 朝廷内で節会として行われ、そこで供される供御を節供と言いました。  現在の様な料理では無く、高盛りになったご飯などであったとされています。  そして この「 五節会の儀 」を一般庶民が習らって「 御節供 」を行う様になったのです。  元々は「 五節句 」の「 祝儀料理 」全てを言っていましたが、後に最も重要とされる人日の節句の「 正月料理 」を指すようになりました。   正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたと言われています。

傍廂【 かたびさし、( 嘉永5年 1853 )】によると、天明の頃【 安永の後、寛政の前。  安永10年( 1781 )から天明8年( 1789 )迄の期間 、徳川家治、徳川家斉 の頃 】迄は食べられていましたがそれ以降は飾るだけとなり、正月料理は重詰め等へと変化していきます。  膳に盛られた料理と重に詰められた料理が用意され、このうち膳に盛られた料理を「 おせち 」と呼んだのです。   重箱に本膳料理であった煮染めを中心とした料理が詰められる様になり食積と御節の融合が進みます。     
重箱に御節料理を詰めるようになったのは「 明治以降 」と言われています。  重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は、第二次世界大戦後でデパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるとも言われています。   正月料理の重詰めに就いては江戸時代の文化・文政年間の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説もあります。

「 御節料理 」の基本は、祝い肴三種( 三つ肴、口取り )、煮しめ 酢の物、焼き物で構成されています。  そして地方によりその構成は異なっています。   三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめ( 田作り )の三種、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうの三種 となっています。   一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多いのです。  これは歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮を作る他は火を使う煮炊きを出来るだけ避けるべきという風習に基づいています。   家事から女性を解放する為という説もあります。   現在では、食品の保存技術も進んだ為、生ものや珍味の他、中華料理、西洋料理など多種多様な料理を重箱に詰めて供することも多くなっています。   又、これらの御節料理を宅配サービスを前提とした食料品店、百貨店、料亭、インターネット上の店舗が販売し、買い求める人々も増え始めています。  生活形態が変わってきているのですね。

さて 具体的に「 御節料理 」に 入っている物の料理とその「 いわれ 」に就いて「 祝い肴 」、「 焼き肴 」、「 酢の物 」、「 煮物 」等に分けられます。
@ 祝い肴
 ・黒豆 : 黒く日焼けするほど達者( マメ )に働けるように
  と邪気を払い「 無病息災 」を願ったもの。
 ・数の子 : 数の子は卵の数が多く、又 ニシンは「 二親 」
  に通じ「 五穀豊穣 と 子孫繁栄 」を願ったもの。
 ・田作り( ごまめ ) : カタクチイワシを田の肥料とした
  ところ五万俵もの米が収穫出来たとのいわれに由来。  
  「 ごまめ 」は「 五万米 」であり「 田作り 」の名と共に
  「 五穀豊穣 」を願ったもの。
 ・紅白の蒲鉾 : 形状が初日の出の形に似ることから用い
  られ赤色は魔除け、白色は清浄を意味しており、紅白の
  色が「 縁起が良い 」とされる。
 ・伊達巻 : 巻物( 書物 )に似た形から「 文化・学問・教養
  を持つことを願う縁起物。
 ・搗ち栗( かちくり ) / 栗金団( くりきんとん ) : 搗ち栗は
  「 勝ち 」に通じ、「 金団 」は金色の団子という意味で]、
  金銀財宝を意味しており「 金運を願ったもの 」。  
  ただ、栗を用いるようになったのは明治時代以降とされ
  ています。
 ・お多福豆 : 文字通り「 福が多からんこと 」を祈願した。

A 焼き肴
 ・鰤の焼き物 : 出世を祈願。  出世魚であることに
  あやかったもの。
 ・鯛の焼き物 : 「 めでたい 」の語呂合わせ。
 ・海老の焼き物 : 長寿を祈願した縁起物。  ひげが長く
  腰が曲がっている様子に由来。  又、海老は脱皮する
  ことから生命の更新を意味する事、そして 脱皮を繰り返し
  ていくことから「 出世を願う 」ものとされる。
 ・鰻の焼き物 : 鰻登りから出世を祈願

B 酢の物
 ・紅白なます : 祝い事に用いる紅白の水引にあやかる。
 ・酢 蓮 : 穴が多数ある蓮根は「 将来の見通しがきく 」と
  いう縁起かつぎ。
 ・ちょろぎ : 「 長老木 」、「 千代呂木 」又は「 長老喜 」の
  字をあて「 長寿を願う 」。

C 煮物
 ・昆布巻き : 「 喜ぶ 」の語呂合わせ。  又、「 昆布 」に
  「 子生の字をあて「 子孫繁栄 」を願った。  伊達巻と
  同じく巻物( 書物 )に似た形から「 文化・学問を象徴 」
  する意味を持つ。
 ・陣笠椎茸( 椎茸 ) / 楯豆腐( 豆腐 ) / 手綱こんにゃく
  : 武家社会の名残。
 ・くわい : 最初に大きな芽が一本出ることから「 めでたい 」
  にかけたもの。   芽が出ることから出世を祈願したもの。  
  また、古くは平仮名の「 か 」を「 くわ 」と表したので、
  くわい=かい=快から、一年を快く過ごせるように。
 ・蓮根 : 先述のように穴が多数ある蓮根は「 将来の見通
  しがきく 」という意味の縁起かつぎ。
 ・八ツ頭( 里芋 ) : 親芋が大きいことに因んで頭( かしら )
  になることを願うもの。   また、里芋は親芋に子芋が
  たくさん育つことから「 子宝を願ったもの 」とされる。

【 組重 】
「 お節料理 」を詰めるのには「 組重 」が用いられます。  重箱に詰める意味は、めでたさを「 重ねる 」という意味で縁起をかついだもので、重箱は外を黒塗り、内を朱塗りとしたものが正式とされている。   組重は、本来は「 五段重 」であったとも言われ、最近では「 四段重 」が普通となっています。  「 四段重 」は春夏秋冬を表すと言われると共に、完全を表す「 三 」に更に一つ重ねる意であるとも言われています。  尚、組重の「 四段目 」に就いては「 四( し )」が「 死 」を連想させ不吉で縁起が悪いことから「 与の重( よのじゅう )」と呼ばれています。    三段重や二段重といった略式の物も随分と多くなって来ています。

京都の実家が「 国の登録有形文化財 」として認定され、その後 町に寄贈した時に、正月に使う「 組重 」を自宅に持って帰りました。  本来「 五段重 」だったのですが、一段が破損し「 四段重 」となってしまい、現在使っておりません。  デザインは綺麗で 個々に家紋が入っています。
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この「 組重 」の「 壱の重 」には 数の子が、「 弐の重 」には ぼうだら が、「 五の重 」には、子持ちの鮒の甘露煮が入っていたのを覚えています。   京都に居た時は、近くの「 玉田神社 」にお参りして それから お雑煮を戴きましたが、横浜に住む様になってから 朝起きてから 戴く様になりました。

【 お屠蘇 と 大福茶 】
三が日に飲まれるのが「 お屠蘇 」です。  屠蘇の「 屠 」は退治するという意味で、「 蘇 」は病を起こす悪魔を意味し、魔除けの酒として中国から伝わったものです。  酒に浸した肉樹( にっき )、桔梗、山椒、防風、百朮( びゃくじゅつ )等 十数種類の薬草は、何れも胃腸強壮や感冒予防に効くものが含まれています。
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大福茶の由来は、村上天皇の治世に京に疫病が蔓延し「 六波羅蜜寺 」の空也上人が大ぶりの茶碗に梅干を入れたお茶をふるまったところ疫病が下火になり、その後村上天皇が正月元旦に同じお茶を服して人々の無病息災を祈ったということで、これが 今に至っています。  王が服す茶で「 王服茶 」、これが「 大福茶 」となりました。  元旦は「 お茶を飲むだけ 」、二日目は「 梅干しを砕き お茶を飲む 」、三日目は「 梅干しの果実を お茶と共に戴く 」のが「 山ちゃん 」家流です。
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お正月を祝う「 お雑煮 」や「 お節料理 」は、年神様へのお供えで、そのお下がりを戴くことで1年の健康を願うものです。  雑煮の歴史は古く、室町時代頃には既に食されていました。  当時、武士の宴会では必ず一番初めに酒の肴として雑煮が振舞われていました。  すなわち雑煮は宴の一番最初に食べる縁起のよい料理で、雑煮を食べなければ宴が始まりませんでした。  この習慣が現在 一年の始まりである元日に雑煮を食べるようになったと言われています。

雑煮に入る「 餅 」は、関西では人の魂を意味する鏡餅にならって「 丸餅 」を、関東では四角い「 のし餅( 角餅 )」が一般的です。  関東で四角い餅を食べるようになったのは、江戸時代に急激に人口が増え、餅を大量生産するために、一つ一つ小さく丸める手間を省き、大きなのし餅を四角く切って売るようになったのがルーツと言われています。  のし餅ではなく丸餅を使う地域は、糸魚川静岡構造線から西側( 愛知・岐阜・三重・鹿児島は除く )で、北海道・富山・石川・福井は混在しています。  混在しているのは、明治以降に移り住んだ人達によって全国各地の雑煮が持ち込まれたためであり、現代の北海道では角餅・すまし仕立てに統一される傾向にあるとも言われています。  又、丸餅を使っていた関西・中国・四国の地域でも角餅を使う地域が広がっています。  昔と違って 人の交流が多くなると 混在し始めるんですね。  餅を焼かない地域は、関西地方、広島を除く中国地方が多いのも特徴です。  一方、「 餅を使わない雑煮 」を作る地方もあり、里芋や豆腐や すいとん などが餅の代替となっています。こうした雑煮は稲作の盛んでない山間部や島嶼部に残っているのです。   京都出身の「 山ちゃん 」以前 近くの「 和菓子屋 」さんで「 丸餅 」を頼んで 作って貰っていたのですが、ご主人が亡くなった後は「 のし餅 」で我慢しています。  捜せばあると思うのですが。
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関西地方のお雑煮は白味噌仕立てです。  勿論 我が家は「 白味噌仕立 」です。  但し3日目は「 すまし汁 」にしますが。  東日本と近畿を除く西日本では圧倒的にすまし汁仕立てです。  出雲地方や能登半島の一部などでは小豆( あずき )汁のお雑煮を食す地域もあります。  又 中に入る具に就いて、具はその土地の産物が入ります。  ダイコン、ニンジン、ネギなどの野菜に加えて、例えば東北なら山菜やキノコ、新潟ならサケやイクラ、千葉なら海苔、島根ならハマグリ、広島なら牡蠣などです。  山村なら山の幸、漁村なら海の幸が盛り込まれますが、逆に山間部などでは普段手に入りにくい塩ブリなどをお正月ならではのごちそうとしてお雑煮に入れることも多いようです。  「 山ちゃん 」の子供達は 小さい頃 正月を 京都で過ごしたので「 丸餅 ・ 白味噌仕立 」が今でも好きな様です。  3年程前より 京都の友達から戴いた「 海老芋 」をお雑煮の中に入れて戴いています。
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【 その他の行事 】
京都の時は、ご先祖様( 第15代 山田與三右衛門賀次 1737 〜 1803 )の写真を毎年 三日間 床の間に飾りましたが、横浜の自宅は全て洋室なので「 掛け軸 」では無く写真を置いて拝しています。
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします

お重
素晴らしいですね

京都のお雑煮は白味噌なんですね
食べた事が無いので一條とらや茶寮さんに行き期間限定の京都のお雑煮を食べてみるつもりです

私は静岡市生まれなのでお雑煮はかつお出汁、鶏肉、餠菜、さといも、かまぼこ。焼いた角餅です
愛知に住むようになっても変わらないです
なので愛知のお雑煮を知りません
せきあ
2018/01/01 11:10
せきあ様 明けましてお目出度う御座います。 毎日 お読み戴き有り難う御座います。 一度 丸餅・白味噌・頭芋、そして 鰹節 が、我が家の定番でした。 一度食べてみて下さい。 
山ちゃん
2018/01/01 11:23

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