山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 京都「 祇園祭 」を見学に【 其の壱 】

<<   作成日時 : 2017/07/24 05:00   >>

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今日から 3回に分けてアップします。  「 京都 祇園祭 」は、京都三大祭( 上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭 )、日本三大祭( 大阪の天神祭、東京の山王祭、神田祭 )、日本三大曳山祭( 岐阜県高山祭、埼玉県秩父市 秩父夜祭 )、日本三大美祭( 前述の高山祭と秩父夜祭 )の内の一つで日本を代表する祭りです。

「 山ちゃん 」は小学校の時に 一度四条河原町で見物して以降、テレビ等では見るものの、以降 実際の祭りを見た事が無く、墓参りと施餓鬼を兼ねて 友達の「 かっちゃん 」と前祭( さきまつり )の宵山( 16日 ) 並びに 巡行( 17日 )を見に行きました。  何しろ 京都は生まれ育った所ですからね。  祇園祭の後も 京都市内を 徘徊していたので 1週間遅れの記事となりました。  以下のブログは 前祭に就いて書いており、後祭りに就いては 今回省きました。
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7月1日から約1ケ月間に亘って執り行われる祇園祭は、「 山鉾巡行」でクライマックスを迎えることになります。  今年の 宵山は 午後から夕立に見舞われたものの、翌日の巡行は京都独特の蒸し暑い中 3時間以上 立ちっぱなしで見学しました。  この祭りが終わると 梅雨が空けて 京都は本格的な夏を迎えることになります。

【 祇園祭の歴史 】
祇園祭は、貞観11年( 869 )、全国的に疫病が大流行した為、66本( 諸国の数 )の「 矛( ほこ )」を「 神泉苑 」に立てて、悪疫の退散を願った「 祇園御霊会 」が始まりとされています。  当時「 御霊 」は、非業の死を遂げた人々の霊が崇って疫病を撒き散らすと恐れられたのです。  河川の氾濫などにより疫病が流行る梅雨の時季、悪疫退散を願って行われた祇園祭が、現在に伝承されているのです。  現在の山鉾のルーツは、神事に奉納されるさまざまな芸能が盛大になり、長保元年( 999 )に雑芸者だった「 无骨( むこつ )」という人物が、大嘗祭( 天皇即位後、初めての新嘗祭 )の標山に似た山を造って行列に参加したのが始まりとされています。  その後、人の手で担がれていた「 矛( 鉾 )」は、次第に大型化し台車に載せ、飾りを付けて祭りに参加する様になり、南北朝時代には、ほぼ現在のような形態になったといわれています。  室町初期にはその数は、約60基にもなりましたが、京都の大半を焼き尽くした「 応仁の乱( 1467 〜77 )」によって、祇園祭は中断を余儀なくされました。  その後、町衆が力を蓄えるようになると、再興が進み盛大に祭りが行われるようになったのです。  江戸時代、宝永5年〈 1708 ) ・ 天明8年( 1788 )の大火。  蛤御門の変 元治元年〈 1864 〉の戦火を被りながらも復興を繰り返し、山鉾の懸装品( けんそうひん )にベルギー、トルコ、ペルシャ、中国、朝鮮等、異国情緒溢れる豪華な「 椴通( だんつう )」や「 綴( つづり )」が競って使われ見物人を愉しませました。  明治になって新暦( 太陽暦 )が採用されると、前祭が7月17日、後祭が24日となり、第二次世界大戦中は一時中断されましたが、昭和31年( 1956 )に巡行路が松原通りから御池通へ、昭和36年( 1961 )には寺町通から河原町通へ変更され、更に 昭和41年( 1966 )から、前祭と後祭が7月17日に一本化されて合同巡行となりましたが、平成26年( 2014 )には 再び 前祭( 23種の山鉾 )と後祭( 10種の山鉾 )に分かれて 宵山や巡行を別日程で行う事となりました。  又この時、大船鉾が150年ぶりに復活しました。
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狩野永徳筆「 洛中洛外図屏風 」  

【 祇園祭の山と鉾 】
現在、祇園祭の巡行には山鉾33基( 前祭 : 23基、後祭 : 10基 )が参加します。  山や鉾の構成は、毎年 保存会や町内の役員を始め 多くの人達が担当「 蔵出し、組み立て( 手伝い方、大工方 )、巡行( 曳き手、舁き手 、車方、囃子方、人形方 )、解体、収蔵 」されており、巡行先頭の「 長刀鉾 」ではその他、稚児係や化粧方など、各自が様々な技量を発揮して伝統行事が支えられているのです。   

平成20年( 2008 )の山鉾巡行の際、河原町御池の辻回し手前地点で計測された山鉾の重量( 懸装品・乗員を含む )は月鉾で12t 弱。  その他の 鉾・曳山( ひきやま )は10t 前後ありました。  曳山としては小型の「 岩戸山 」で8t 余り。  舁山( かきやま )は最重量が蟷螂山( とうろうやま )で1.2t、最軽量が占出山( うらてやま )で510Kg程ありました。  傘鉾( かさほこ )は台車を含めて400Kg程の重量がありました。  

胴体は巡行の時のみ最も高級な懸装品で飾られ、宵山期間は略式の懸装品に代えるか、全く何も飾らず骨組みのままの場合があります。  山の御神体人形や懸装品は、宵山期間は町会所内に飾られています。  悪天候の場合は懸装品を付けず、定紋入りの雨除けの覆いを回し、人形や神体を取り外して略式の巡行とすることもあります。  山鉾からは祇園囃子の「 コンチキチン 」という独特の節回しが聞かれますが、現在のような囃子が出来たのは江戸時代からで、ゴブラン織をはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つです。( 山 ・ 鉾 の種類は別項で説明します )

鉾の高さは約25m、曳山は高さ約15m、重量は鉾よりも少し軽いらしいです。  何れも、直径約2mの木製の車輪が付いており、巡行当日、鉾や曳山には40人程の難子方が乗り、笛・太鼓・鉦で優雅な祇園唯子を奏でます。  一方、山は重さ約0.5t 〜 1tで、20人程の舁方が付いており、現在は補助的に車輪が付いています。  山鉾建ては、「 縄絡み 」という伝統的な技法で1本の釘も使わずに各部材を組んでいきます。
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昭和54年( 1979 )には「 祇園祭山鉾行事 」が「 国の重要無形民俗文化財 」に、更に平成21年( 2009 )には「 ユネスコの無形文化遺産 」に登録されました。
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山鉾の飾り付けは巡行の3日前から始まり、この日を宵々々山といいます。  但し、近年 宵々々山の前日の夕刻から飾り付けを開始するところが多くなっています。  2日前が宵々山といい、前日だけが本来の宵山です。  山鉾の前後には「 駒形提灯 」という「 提灯群 」が取り付けられ、夜に提灯に明かりが灯る様子は、巡行と並ぶ祇園祭の象徴的な光景です。  又、宵山では 町内 各家に保存されている「 山 鉾 」が展示されます。
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【 宵山見学 】
今回 祇園祭の写真の一つには この「 駒形提灯 」の写真を撮りたかったのです。  友人の「 かっちゃん 」 と食事( お酒は控えめ )した後、山 ・ 鉾のある町内を散策。  日本を代表する 祭りとあって、凄い人の山、一方通行 そして 夜店等で、思った様に辿り着くことが出来ません。  そして時折 小雨が降る様な状況でした。  多分 詳しい「
かっちゃん 」 が居なかったら 凄く効率の悪い見学をしていたことだと思われます。  「 感謝感謝 」です。  宵山で見学出来た 山鉾は9基でした。
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・ 霰天神山
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・ 放下鉾
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・ 月鉾
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・ 長刀鉾
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・ 保昌山
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・ 岩戸山
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・ 伯牙山
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・ 船鉾
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・ 函谷鉾
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追記)宵山の日、御池通りを下見しましたが、前祭 有料観覧席 には 椅子が整備されていました。
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「 かっちゃん 」から送られて来た 新聞によると この日の宵山は32万人の人出だったらしいです。

明日は「 山 ・ 鉾 」に就いて書きます。

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