山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 隅田川テラス散策【 其の参 】

<<   作成日時 : 2017/04/28 05:00   >>

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今回「 隅田川テラス 」を歩いて判ったのですが、隅田川の両岸には 意外と「 水門 」が多いのです。  江戸時代 交通の要の役も果たしていたのでしょう。  平成24年( 2012 )の暮れ 偶然乗船した船が「 荒川 水門巡り 」を思い出しました。  最初は「 橋梁 」では無く 水門からです。  昨日の「 新大橋 」から「 清洲橋 」に行くには、「 小名木川( 新小名木川水門 )」で途切れており「 萬年橋 」を経由して「 隅田川テラス 」に出ることになります。 この近くに 以前行った東京都立庭園の一つ「 清澄庭園 」があります。
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【 新小名木川水門 】
森下を東西に流れている小名木川は、一般には 天正18年( 1950 )8月、徳川家康が入府した際に、千葉県の行徳から塩を運ぶ為に開削した直線水路で、小名木四朗兵衛が水路の開除にあたったのでこの名が付けられました。  その為に この水門の手前で 隅田川テラスは行き止まりとなり、一度 万年橋を渡って迂回する必要があります。
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近くには「 松尾芭蕉の句碑 」が多く見受けられるのは、松尾芭蕉が 延宝8年( 1680 )に日本橋から深川の草庵( 芭蕉庵 )に移り住み、この地から「 奥の細道 」の旅に出掛けた記念の地で、多くの紀行文や名句を残しました。  この川辺に建てられた「 江東区芭蕉記念館 」はその縁の地に建てられました。
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【 萬年橋 】
清洲橋から新大橋までの左岸隅田川テラスは、小名木川で途切れており、萬年橋を経由して小名木川の上流側の隅田川テラスに出ることになります。  小名木川は江戸市内へ行徳の塩や近郊農村で採れた野菜、米などを船で運び込むための運河であり、架けられる橋はいずれも船の航行を妨げないように橋脚を高くしていましたが、萬年橋はその中でも特に大きく高く虹型に架けられていたことから、その優美な姿は葛飾北斎の「 富嶽三十六景 」や歌川広重の名所「 江戸百景 」で取り上げられています。  ここで やっと「 公衆トイレ 」が見つかりました。
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【 清洲橋 】
橋長:186.2m、幅:22m、構造:3径間自碇式鋼製吊り橋  清洲橋の架橋されたのは、もともと「中洲の渡し」という渡船場のあった場所です。  関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋です。  「 帝都東京の門 」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「 震災復興の華 」とも呼ばれたデザインです。  当時世界で最も美しい橋と呼ばれていたドイツのケルン市にあった「 大吊り橋 」がモデルとなっています。  モデルにした大吊り橋は太平洋戦争で破壊された後、別の橋が再建された為、現在吊り橋ではありません。  「 清洲橋 」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られたものです。  平成19年( 2007 )に「 勝鬨橋 」、「 永代橋 」と共に「 国の重要文化財 」に指定されています。  ここから隅田川は下流に向かってで大きく右にカーブしています。
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【 隅田川大橋 】
橋長:391.7m、幅:16〜30m、構造:3径間鋼製箱桁。  「 隅田川唯一 」の二層式の橋で、首都高速9号 深川線の建設にあわせて架橋されたもので、先に下段の隅田川大橋が 昭和54年( 1979 )に完成し、翌年に上段の高速道路高架部分が開通しました。  機能性重視の設計になっていた為に、景観的に好ましくないとの声もあるらしいです。
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近くに「 新川水門 」が見えます。
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【 永代橋 】
「 隅田川 」は この永代橋の下流で、日本橋川( 左に流れる )と隅田川( 右に流れる )とに分かれます。  この為 左岸を歩いていましたが、「 大島川水門 」があり 行き止まりとなっている為に「 永代橋 」を渡って 右岸へと移動します。
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橋長:185.2m、幅:22m、構造:中央主径間はゲルバー式タイドアーチ,両側径間は鋼製桁    永代橋が架橋されたのは元禄11年( 1698 )で、江戸幕府5代将軍「 徳川綱吉 」の50歳を祝して元禄年間に「 深川の大渡し 」に代わって架けられ、佐賀町付近( 現在の佐賀一丁目付近 )が昔、永代島と呼ばれていた為に「 永代橋 」と名付けられました。  その時は 現在地より100mほど上流に架けられ、橋の両際には、広小路を設けて「 橋番屋 」を設けて高札を立て、武士・医者・出家神主以外の通行人から橋銭を取る有料橋でした。  隅田川に架けられた橋としては4番目となります。  「 永代橋 」は隅田川で最も下流に架けられた橋で、江戸湊の外港に近く、多数の廻船が通過するために橋脚は満潮時でも3m以上あり、当時としては最大の大橋でした。  長さ( 当時 )約200m、幅6mの橋で、橋上からは「 西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総 」と称される程見晴らしの良い場所であったと記録に残されています。  また、元禄15年( 1702 )12月の赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入りでは、討ち入り後に上野介の首を掲げて「 永代橋 」を渡り、泉岳寺に向かったといわれています。  現在の橋は、大正15年( 1926 )に、関東大震災復興事業第一号として架橋されたものです。 「 震災復興事業の華 」と謳われた「 清洲橋 」に対し、「 帝都東京の門 」と呼ばれた「 永代橋 」は、ドイツライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにした、現存する最古のタイドアーチ橋です。 平成11年( 1999 )に東都選定歴史建造物に選定され、平成19年( 2007 )に、都道府県の道路として初めて「 勝鬨橋 」、「 清洲橋 」と共に「 国の重要文化財 」に指定されています。
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【 大川端リバーシティ21 】
「 永代橋 」から下流を望むと、中央区 佃にある8棟の超高層マンションを中心とする大規模住宅群が見えます。  都心回帰の促進を図る為、住宅市街地総合整備事業の整備計画に基づいて、住宅・都市再生機構、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産等によって計画され、石川島播磨重工業の跡地の再開発事業として建てられました。  個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観は評価が高く「 隅田川 」と調和した景観としてよく取り上げられます。  特に永代橋からの眺めは有名で、見事なウォーターフロントでした。
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【 中央大橋 】
橋長:210.7m、幅:25m、構造:2径間連続斜張(鋼箱桁)   バブルの絶頂期ということもあり、贅沢な造りですが、中央区のシンボル「 中央大橋 」の名前に恥じないものとなっています。  夕刻から夜10時迄、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされます。  隅田川はセーヌ川と友好河川を提携しており、中央大橋はフランスのデザイン会社の設計です。  中央大橋は大きく旋回しています。
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この橋を渡って「 亀島川水門 」を過ぎた所で 一人が ダウン。
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日頃歩き慣れ無いのと風邪気味の為 ここで 散策は中止しました。  残る「 佃大橋」と「 勝鬨橋 」そして「 相生橋 」はリベンジする事にしましたが( 冒頭の地図 緑破線部分 )、以前「 佃大橋 」と「 勝鬨橋 」は別々に訪れているのでリンクしておきました。  遠くに「 佃大橋 」が見えます。
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この後 銀座に移動して 反省会を開催しました。  ダウンした友達は「 酒 」は飲めるという「 山ちゃん 」には理解出来ない回答でした。  プンプンです!

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