山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 隅田川テラス散策【 其の弐 】

<<   作成日時 : 2017/04/27 05:00   >>

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隅田川といえば 滝廉太郎の唱歌「 」が思い浮かびます。  春のうららの 隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき・・・・・。  地図の上で 歩いた距離を測ると約6Km程度ですが、実際は7Km程度だと思われます。  結構 暖かかったのと風が吹いていたので 歩きやすい散策でした。  下調べもせず、地図無しで 約3時間 殆ど休まずに歩きましたが、日頃の鍛錬か?疲れは無く、重い一眼レフは止めて小型カメラを持ち歩いたのは成功でした。  思った以上に綺麗に撮れて自己満足です。  スタート地点の「 吾妻橋 」下流を目指します。  「 緑の実線 」は歩いた道程を「 吹き出し と カメラマーク 」は 写真を撮った場所です。  「 緑の破線 」は次回持ち越しの部分です。  紙面の都合上、今日は「 吾妻橋 」から「 新大橋 」迄です。
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【 吾妻橋( あずまばし )】
橋長:150.3m、幅:20m、構造:上路式三連アーチ式。 橋を渡り隅田川テラスの右岸を歩いて移動開始です。  関東大震災の際に、木製だった橋板が焼け落ち、補修の後、昭和6年( 1931 )に現在の橋に架け替えられました。  最初は「 大川橋 」と呼ばれていましたが、明治9年( 1876 )に木橋として最後の架け替えが行われた際に「 吾妻橋 」と名付けられました。  近くにアサヒビール本社や墨田リバーサイド地区があり、水上バスの桟橋があります。
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【 駒形橋( こまがたばし )】
橋長:149.6m、幅:22m、構造:3径間アーチ( 主径間:中路式,側径間:上路式 )  駒形( こまがた )の名は、浅草寺に属する駒形堂( お堂 )に由来しています。  土地の人々によれば、コマカタと発音して濁らないと伝えています。  ここは古来より交通の要で「 駒形の渡し 」があった場所です。  関東大震災後、復興事業の一環として この地に優美なソリッドリブタイドアーチ形の橋が設計され、昭和2年( 1927 )に完成 架橋されました。
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この場所に限らず方々に「 隅田川 」のパネルが設置されています。
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【 厩橋(うまやばし)】
橋長:151.4m、幅:22m、構造:3径間下路式タイドアーチ式。  台東区蔵前と墨田区本所の間で、春日通りが「 隅田川 」を渡る橋です。  明治5年( 1872 )に多くの花見客を乗せた渡し船が転覆する事故がありました。  以前から転覆事故が多く「 三途の渡し 」と揶揄されたこともありました。  この橋の創架は明治7年( 1874 )で、それ迄は付近に有った「 御厩( おんまい )の渡し 」にとって代わり架設され、隅田川では6番目の橋となりました。  「 厩橋 」の名称は「 御厩の渡し 」に由来しますが、「 厩 」とは「 馬屋 」のことで、この一帯にはかって幕府の「 御米蔵 」が在り、専用の「 厩 」があったことから「 御厩 」の名称が使われる様になりました。  現在の「 厩橋 」は 昭和4年( 1929 )に震災復興橋梁として架設された物です。  「 厩橋 」から「 駒形橋 」迄の「 隅田川テラス 」の傍らには屋形船が係留されているのが見られます。
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【 蔵前橋( くらまえばし )】
橋長:173.2m、幅:22.3m、構造:3径間上路式ヒンジアーチ式。  「 蔵前橋 」は関東大震災の復興計画により架橋された橋で、昭和2年( 1927 )の竣工です。  それ迄は「 富士見の渡し 」と呼ばれていた「 渡船場 」があった場所です。  橋の上を通るのが「 蔵前通り 」であることから「 蔵前橋 」と名付けられました。  橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されています。  昭和29年( 1954 )9月から昭和59年( 1984 )12月迄「 蔵前国技館 」があったことから橋の欄干には相撲関連のモチーフが施されています。
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右岸を歩きましたが、先に進めず 橋を渡って 左岸に移動です。
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【 テラスギャラリー 】
蔵前橋から両国橋の左岸は「 テラスギャラリー 」になっており、堤防の壁に多くの絵が飾られており、歩いていても飽きません。
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【 観光 水上バス 】
河口付近の「 浜離宮恩賜庭園 」から「 浅草 」迄、隅田川を楽しめる「 観光船( 水上バス )」が出ています。  5分に一回程度その船と出会います。  数回 その観光船で両岸の景色を楽しみましたが、歩くと更に景色をゆっくりと楽しむ事が出来ます。
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短時間ですが「 動画 」もご覧下さい。

【 総武線 隅田川橋梁 】
JR総武線の「 隅田川橋梁 」は、総武線を「 両国駅 」から「 御茶ノ水駅 」迄延長する為に「 隅田川 」に架けられた橋です。  「 隅田川橋梁 」は、日本で最初の「 ランガー桁鉄道橋 」です。  構造は支間38m+96m+38mの3径間で中央径間がランガー桁です。  ランガー桁は、桁とアーチの双方で荷重を支える補剛アーチ形式の一つです。  結構 頻繁に電車が行き来しています。
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【 神田川 河口 】
フォークソングでも有名な「 神田川 」は、三鷹市の「 井の頭池 」を源流とし「 両国橋 」の 少し上流 右岸で「 隅田川 」に合流する全長約25Km程の東京のど真ん中を流れる河川です。  遠くに「 柳橋 」が見えます。  近くに 佃煮屋で有名な「小松屋 」などの他「 屋形船 」の停泊所もあります。  名前の通り「 柳橋橋芸者 」が居た所で、橋の欄干には「 簪( かんざし )」のモチーフが飾られています。
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【 両国橋 】
橋長:164.5m、幅:24m、構造:3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋。  両国橋の名は、武蔵( 現在の東京都 )と下総( 現在の千葉県 )の二国を結ぶことから命名されましが、正式には名前の付か無い「 大橋 」でした。  しかし下流に「 新大橋 」が作られた為に「 両国橋 」が正式な名となりました。  江戸幕府は防備上の観点から「 隅田川 」への架橋は「 千住大橋 」以外認め無かったのですが、「 明暦の大火、明暦3年( 1657 )」で、橋が無くその為に逃げ場を失った江戸市民が火勢にのまれ、死傷者は10万人に至り、事態を重く見た江戸幕府は「 防火・防災 」の為に架橋を決断することになりました。  近くの「 回向院 」はその人達を弔う為に建てられ、後に「 勧進相撲 」が催されることになったのです。  両国橋は流失、破損などにより何度も架け替えがなされ、明治20年( 1897 )には現在地よりも20mほど下流に鉄橋が架橋されます。  この橋は関東大震災では大きな損傷もなく生き残りますが、他の隅田川橋梁群の復興工事に合わせて、震災後の昭和7年( 1932 )に現在の場所に架け替えられました。  両国橋は平成20年( 2008 )に言問橋と共に東京都選定歴史的建造物に選定されています。
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【 新大橋 】
「 両国橋 」から次の「 新大橋 」に行く左岸の「 隅田川テラス 」は「 堅川水門 」で途切れています。  高速道路が隅田川を横切る付近で、一度横切って「 隅田川テラス 」に戻ります。  橋長:170m、幅:30.5m、構造:2径間連続斜張橋。  最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年( 1693 )です。  隅田川で3番目の橋で、「 大橋 」と呼ばれた「 両国橋 」に続く橋として「 新大橋 」と名付けられました。  江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の生母桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民の為に、架橋を将軍に勧めたと伝えられています。当時の橋は現在の位置よりもやや下流で、西岸の水戸藩御用邸の敷地と、東岸の幕府御用船の係留地をそれぞれ埋め立てて橋詰めとしました。 江戸時代「 破損 ・ 流出 ・ 焼落 」が多く、その回数は20回を超えたといわれています。  幕府財政が窮地に陥った亨保年間に廃橋を決めたのですが、橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に存続が認められました。  その後明治18年( 1885 )に新しい西洋式の木橋として架け替えられ、明治45年( 1912 )に現在の位置に架けられました。  現在の橋は昭和52年( 1977 )に架け替えられたものです。
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ここから 清洲橋に架けて 松尾芭蕉の句碑が方々に見られます。
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明日は「 隅田川テラス散策( 其の参 )」へと続きます。

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