山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 京都あっちこっち【 其の九 醍醐寺の桜 - 1 】

<<   作成日時 : 2017/04/20 14:44   >>

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今日のアップする時間の指定を間違って入力しました。  遅れてご免なさい。

お昼休みを井手町で過ごした後、急遽「 醍醐寺の桜 」を見物に行こうという事になりました。  「 山ちゃん 」は 恥ずかしながら行った記憶が有りません。  紙面の都合で2つに分けました。

醍醐寺 」は、京都市伏見区にある真言宗醍醐派総本山の寺院で、山号は醍醐山と言います。  本尊は薬師如来、開基は理源大師聖宝で、創建は貞観16年( 874 )とされています。  伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院で、平安時代から 桜の名所 として知られ 世界遺産に登録されています。
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天正18年( 1590 )に北条氏を滅ぼし天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、聚楽第行幸【 天正14年( 1586 )】、北野大茶会【 天正15年( 1587 )】といった大規模な催しを次々と実行しました。  その後 凡そ700本の桜の木を関西各地から取り寄せて、この由緒ある名刹の「 醍醐寺 」に移植したのです。
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秀吉 晩年の慶長3年3月15日( 1598年4月20日 )三宝院裏の山麓に於いて豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を含め諸大名からその配下の女房女中衆約約1、300人を招き、最大規模にして最も豪華な花見の宴( 醍醐の花見 )を一日のみ実行しました。  

秀吉のこの催しに対する思いは並々ならぬものがあった様で、早くから寺観の整備に務めて自らも下見の為に「 醍醐寺 」へ足繁く通い、殿舎の造営や庭園の改修を指揮しました。 花見の開催日は、前日迄の風雨が嘘の様に止み、当日は絶好の花見日和になったといわれています。  場内には八か所の茶屋が設けられ、そこでは各地の銘柄が用意され、茶もたてられて、参加者は茶屋で思い思いに酒宴を楽しんだのです。  前田玄以の茶屋は湯殿までしつらえられており、秀吉はそこで汗を流し、御膳についたといわれています。
記録に残るその日の輿の順は、1番目に北政所、2番目に西の丸殿( 淀殿 )、3番目に松の丸殿、4番目に三の丸殿、5番目に加賀殿、その後に側室ではない前田利家の正室である「 まつ 」が続きました。  参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられ、その煌びやかな衣装は秀吉の目を喜ばせ、又 花見の伝統に習って歌会も開かれました。  この時の秀吉、秀頼らの自筆の短冊は、今も醍醐寺に残されています。  秀吉は始終上機嫌で、花びらが散り積もっている野山の小道を、秀頼や女官達に手を引かれてはしゃぎ歩く秀吉の姿が「 醍醐花見図屏風 」に残されています。  画面、赤い傘の下を歩く秀吉の姿が描かれています。
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しかし秀吉はこの約5か月後の慶長3年8月18日( 1598年9月18日 )62歳で没しました。

「 山ちゃん達 」が訪れた当日( 4月3日 )は天気も良く、桜を観賞する人達と写真を撮る人達で 大変な賑わいでした。  醍醐寺は 上醍醐と下醍醐【 三宝院、霊宝館、伽藍( 金堂・五重塔 )】とに分かれています。  詳細は 醍醐寺 境内の案内を見て下さい。
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上醍醐迄行くと かなりの時間が必要と思えるので、今回は時間の都合もあり下醍醐の途中で 引き返しました。  まずは三宝院の受付で拝観券( 三宝院 ・ 霊宝館 ・ 伽藍 )を購入。
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実際の見学は 明日報告します。

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