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zoom RSS 重要文化財「旧岩崎邸庭園」に行って来ました【其の壱】

<<   作成日時 : 2016/09/01 05:00   >>

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「 国の重要文化財 」で、都立公園となっている「 旧岩崎邸庭園 」に行って来ました。
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三菱財閥 岩崎家 」の茅町本邸だった建物( 洋館、和館、撞球室 )と庭園を見学する事が出来ます。   現在は 縮小されていますが、当時の 財閥の歴史と岩崎家の華やかな暮らしを垣間見る事が出来ました。  上野駅( JR、東京メトロ )から、不忍池に沿って 約20分程度の処( 台東区池之端一丁目 )にあります。
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【 概要 】
明治初期、西南戦争の軍事運輸で富を得た「 岩崎彌太郎 」は東京に三つの屋敷を購入した。
   ・現在の上野不忍池近くの下谷茅町の江戸屋敷跡。( 今回
    尋ねた所 )
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   ・現在の清澄庭園( 久世大和守の下屋敷跡。 和風庭園と
    して整備、「深川親睦園」と名付けて社員の親睦の場とした )
   ・現在の六義園( 柳沢吉保によって築かれた名園で、買い取
    って整備、岩崎家駒込別邸とした )

旧岩崎邸の敷地は、江戸時代「 越後高田藩榊原家( 現新潟県上越市高田 )」の中屋敷で、明治初期に「 牧野弼成( 旧舞鶴藩主 )邸 」となり、明治11年 三菱財閥初代の「 岩崎彌太郎
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が「 牧野弼成 」から邸地を購入したものです。   以降 三代目の「 岩崎久彌 」によって、洋館は英国人の「 ジョサイア・コンドル【 代表建築 : 鹿鳴館、ニコライ堂、丸ノ内の三菱1号館、三菱2号館( 後の明治生命館 )、岩崎家高輪別邸( 開東閣 )、島津家袖ヶ崎邸( 後の清泉女子大学本館 )、古河虎之助邸( 後の「 旧古河庭園 」に残る洋館 )、三井倶楽部 】等で、弟子には 東京駅を設計した 辰野金吾 がいます 】の設計で建てられ、和館は大工棟梁の「 大河喜十郎 」が手掛けました。  和館は「 書院造 」を基調としており、完成当時は建坪 550坪で洋館よりも大きな建物で、明治29年に竣工しました。   完成当初は広大な15、000坪の敷地に20棟以上の建物があり、以降 約50年の間、岩崎家の本邸として使われていました。  現在は「 洋館、和館、撞球室( ビリヤード場 )」の3棟のみが残っています。

【 三菱財閥 と 岩崎家 】
太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部( GHQ )の指令によって「 財閥解体 」が行われる迄、日本の経済界には多くの「 財閥( 三井、三菱、住友安田 等)」が存在しました。  三菱財閥の創設者は土佐藩出身の「 岩崎彌太郎 」ですが、若い時、藩の要職に就くものの、明治4年 政府の「 廃藩置県 」によってその地位を失ってしまいます。  新しい時代を迎えた中で、彌太郎は「 九十九商会( 旧土佐藩の出先機関 )」の経営を引き受け「 実業家 」としての出発点となりました。  「 九十九商会 」の主な事業は海運業で、時代の流れで 次第に業績を伸ばしていきます。  明治6年には「 三菱商会 」に改称、明治7年、三菱商会は本店を東京日本橋に構え、「 三菱蒸気船会社 」を社名としました。  その後「 三菱商会 」は「 大隈重信 」や「 大久保利通 」といった明治政府の要人等を後ろ盾に、国の業務を請け負うなどして大飛躍してゆくのです。   「 彌太郎 」亡き後、弟の「 彌之助 」が三菱を継ぎ、明治18年に発足するのが「 日本郵船 」で、この時社名を「 三菱社 」に改名し、それ迄副業であった炭鉱や造船、銀行などの事業に力を注ぎます。  明治26年、「 三菱社 」は「 三菱合資会社 」に改組、彌太郎の長男、「 久彌 」が社長となります。  大正5年 彌之助の長男、「 小彌太 」が四代目社長に就任。  その後、銀行部門は「 三菱銀行 」へ、営業部門は「 三菱商事 」へ、炭坑部門と鉱山部門は「 三菱鉱業 」へ、地所部門は「 三菱地所 」へ、造船部門は「 三菱造船、後の三菱重工業 」へと分割されました。  軍需の拡大を背景に三菱財閥は更に拡大していくのですが、太平洋戦争の終戦で、三菱財閥は GHQの「 財閥解体 」の指示により解体され、「 三菱財閥 」は終焉を迎えるのです。
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【 文化財指定 と 公開 】
土地建物の所有者は国(文部科学省)で、管理は東京都によって行われている。
   ・昭和36年( 1961年 ):
       洋館 並びに 撞球室を重要文化財に指定。
   ・昭和44年( 1969年 ):
       和館大広間を重要文化財に指定。
   ・平成11年( 1299年 ):
       宅地、煉瓦塀、実測図重要文化財に指定。
   ・平成13年( 2001年 ):
       東京都に移管、都立公園として開園。
   ・平成15年( 2003年 ):
       洋館内部の改修(金唐革紙等の復元製作)が完了。
       通年公開を開始。

入口の塀には三菱マークの由来となった岩崎家の家紋が記されています。
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又、高知県安芸市「岩崎弥太郎生家」の土蔵の「 鬼瓦 」には岩崎家の家紋「 三階菱 」
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が、その下の壁面にあるのが現在の ロゴ「 スリーダイヤ 」が刻まれています。
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明日は 洋館、和館、庭園、撞球室 に就いてです。

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