山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 江戸時代の「町奉行、火付け盗賊改方」と「治安」

<<   作成日時 : 2016/02/19 05:00   >>

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築地に行った後「 南町奉行所跡 」と「 小伝馬町牢屋敷跡 」を尋ねました。

「 南町奉行所 」は現在の「 JR有楽町駅 」の南側の所に位置し、「 分間江戸大絵図( 江戸時代後期を描いた古地図 )」
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を拡大して見ると「 町御奉行 根岸肥前 」と記されています。
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一方 近くの「 北町奉行所( 東京駅丸の内北口付近 )」には「 町御奉行 小田切土佐 」と記されています。
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約6000坪の広大な敷地で、地図の通り「 町奉行 」と言えど「 大名屋敷 」の中に位置し、町からは橋を渡らないと行けないところに有りました。    下の絵図は 上が「 北 」に当たります。
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「 北町奉行所 」、「 南町奉行所 」は、各々の受け持ち範囲が有ると思われていますが、単に2ケ所にあっただけで、1ケ月交代で開門する「 月番制 」によって交互に業務を行っていました。   これは民事訴訟の受付を北と南で交替で受理していたことを指すものであり、月番でない奉行所は、月番のときに受理して未処理となっている訴訟の処理等を行ったのです。   奉行が職権で開始する刑事事件の処理などの通常業務は、月番であるか否かにかかわらず、常に行われていました。   ただし、商業に関することだけは南北で窓口が分けられており、呉服・木綿・薬種問屋の案件は「 南町奉行所 」、書物・酒・廻船・材木問屋の案件は「 北町奉行所 」と言った様に各々異なる業種を受け持っていました。
南町奉行所と言えば、大岡越前守や、遠山左衛門尉景元の名前が思い浮かびます。   有楽町駅近辺の再開発に伴い、その遺構が残されています。  一つは「 南町奉行所跡の石組 」で、説明のパネルが飾られています。
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「 イトシア 」のビルの地下には、南町奉行所の地下室として使われた木製の「 穴倉 」が、壁に立てた状態で展示されています。   伊勢神宮の神官が、大岡越前守の家臣宛てに出した木札も併せて出土したそうです。  ここにも説明のパネルがありました。
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ここで「 奉行 」に就いて 簡単に説明をすると、幕府から指示された職務を行う役所を奉行所と言い、江戸の三奉行( 寺社奉行、勘定奉行、町奉行 )の他に、道中奉行、遠国奉行、作事奉行、普請奉行、吹上添奉行、寄場奉行、書物奉行、腰物奉行 等が有りました。
特に「 町奉行 」は 以下の図の通り 現在の都庁に該当する「 町の行政 」、警視庁に該当する「 治安維持 」そして「 裁判 」等の機能が纏まった機能を持っています。
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奉行を筆頭に与力、同心、といった組織で、図は一奉行に就いて描いています。
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ですから「 両奉行( 北町奉行 )と( 南町奉行 )」とでは、「 この倍 」の人数となる訳です。    「 文化・文政の時代( 1818年 )」江戸( 地図の赤色の地域 )の人口は100万人以上( ザックリ 博多市より少し少なめ )の大都市で有りました。
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現在の「 八丁堀( 良く 時代劇で 八丁堀の旦那・・・・ と出て来ますが )」に、幕府は「 与力と同心 」を纏めて住ませていました、これを「 組屋敷 」と言い、現代の「 官舎 」と同じ様な物です。   そして彼等は この「 八丁堀 」から「 各々の奉行所 」に勤めていたのです。
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ただ「 警察関係の役人は 南北合わせて 約20名 」程度だったのです。  当然この人数では「 江戸の治安 」を守る事が出来ません。   ここで 出てくるのが「 銭形平次 ならぬ 岡っ引き 」なのです。   同心の財布で支払われましたが、年間で「 10万円 〜 15万円 」と薄給。   別の仕事をしたり、はたまた 奥さんが仕事をしたりで、家計を賄っていました。  映画で「 銭形平次 」がお金を投げることは このことから 考えられません。  あくまでも 小説の世界なのです。   又人手が足りない時は 更に その下に「 岡っ引き 」を雇ったりしたのです。   主に情報の収集と提供です。    「 与力、同心 」の事が細かく書かれた「 気ままに江戸 」のブログをリンクしておきました。
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此所迄は「 幕府 」の管轄ですが、「 岡っ引き 」を雇っても まだまだ 人数が不足しています。   これ以外にも「 江戸の治安 」を守って( 支えて )いたものが有ります。   町で管理されていた「 大番屋 」です。   江戸に8ケ所程有り、その一つが 今の「 兜町 」近辺の古地図を見ると「 大番屋 」と書かれているのが見つかります。   ここは「 町 」が運営している「 自治組織 」の一つで、容疑者を捕まえて取り調べを行う所です。    更に町毎に「 自身番( 民間の交番 )」というのを置き町内の治安を守っていたのです。    「 同心 」達は、その番屋を廻って情報を入手していたのです。   怪しいと思うと「 大番屋 」に連れて行き取り調べを行ない、特に怪しいと思われる 容疑者は「 町奉行 」へと連れて行かれたのです。   最終 江戸の治安は 町人達で 守られていたのです。
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ここで、もう一つの組織が有りました。   役職を「 火付盗賊改方 」と言い、小説家でグルメとしても有名な「 池波正太郎 」の時代小説として 生み出された「 鬼平犯科帳 」の話です。   実際は「 長谷川平蔵( 1746年 〜 1795)」と言い実在の人物です。   「 分間江戸大絵図 」の本所近くの「 菊川( 武家屋敷が多くある所 )」の所を 拡大すると「 ハセ川 」と書かれています。
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そして「 長谷川平蔵 」が亡くなった50年後、「 南本所堅川辺之地図 」の同場所に「 遠山左衛門尉景元 」が住んでいたのが判ります。
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話は元に戻りますが「 火付盗賊改方 」とは、以上書いた組織とは異なり、名前の通り「 放火犯 」や「 盗賊団 」等を専門に取り締まる組織で、今の「 機動隊と警察 」に相当します。   奉行職から「 ランク 」は下がるものの 旗本出身の「 エリート官僚 」で、その配下には「 与力 5名 」、「 同心 30名 」が付いていました。   自ら捕り物を行ったので、奉行とは少し異なります。   武闘派の役職で、ここで「 長谷川平蔵 」はその役職を、普通1年で交代するも、評判が良く、8年も勤めました。   元々「 旗本 」の出で、かなりの「 放蕩息子 」だったらしいのですが、父親も同じ役職を京都で勤め、その時に 色々な「 ノウハウ 」を身に付けたらしいのです。   又「 人足寄場 」を私財出して「 石川島 」に造り、「 大工 」や「 紙すき 」の技術を覚えさせ「 罪を犯した人達 」の社会復帰や「 犯罪の予備軍 」の防止に一役買って出た人物でもあります。
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有楽町で「 南町奉行所跡 」を見学した後、日比谷線で「 小伝馬町 」に移動し
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「 大安楽寺 」にある「 処刑場の碑 」、「 延命地蔵 」を見学。
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そして 隣の「 十思公園内 」にある「 石町( こくちょう )時の鐘 」と「 吉田松陰終焉の地碑 」を見学して来ました。   この鐘の音を合図に死刑囚の首を刎ねたと伝えられています。
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かつては一帯が「 小伝馬町牢屋敷 」でありましたが、古地図で見る限り 周りは 町民が住んでいたみたいです。   当日は お日柄も宜敷く ポカポカ日和。   公園で サラリーマンの方々が 食事をしていました。

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