山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 増上寺と徳川家霊廟【 其の参 】

<<   作成日時 : 2015/05/18 06:00   >>

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戦災を受ける前の 将軍の霊廟を紹介します。    噂以上に 随分と立派です。   往事の徳川幕府の権力が判ります。
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@台徳院殿(2代秀忠公)霊廟惣門
寛永9年(1632年)造営。  旧国宝、現国指定重要文化財,台徳院殿霊廟の表門にあたり、奥に見える勅額門から本、奥院へと続く。   戦災による焼失を逃れた数少ない建造物。
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A台徳院殿(2代秀忠公)霊廟奥院宝塔
旧国宝。  寛永9年(1632年)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。   奥院、八角の覆堂内部に祀られた宝(墓)。  装飾美麗であり、当時の工芸美術の粋を尽くしたものであった。
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B文昭院殿(6代家宣公)霊廟拝殿内部
旧国宝。  正徳3年(1713年)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。   本霊廟は増上寺北廟の南半を占めてい。  二天門から勅額門、中門を抜け渡廊を進むと、霊廟主要部である拝殿、相之間、本殿へ至る。
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C文昭院殿(6代家宣公)霊廟左右廊内部
旧国宝。  正徳3年(1713年)造営、昭和20年(1945年)戦災にて焼失。   第三の門である中門の左右に続く廊内。  中門の内に、拝殿・相之間・本殿より成る権現造の御霊屋(霊廟主要部)があった。
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D文昭院殿(6代家宣公)霊廟奥院中門
旧国宝。  正徳3年(1713年)造営。左奥から文昭院殿中門(現存、現増上寺御霊屋入口)、右手前が慎徳院殿(12代家慶公)中門。これより手前に昭徳院殿(十四代家茂公)・静寛院宮(家茂公御正室和宮様)中門と続く。
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E文昭院殿(6代家宣公)霊廟鐘楼
旧国宝。  正徳3年(1713年)造営、昭和20年(1945年)戦災にて焼失。   勅額門から中門に至る参道の右に鐘楼、左に水盤舎が相対し配されていた。   桁行三間(約55m)、梁問二間(約3.6m)。入母屋造、銅瓦葺。
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F文昭院殿(6代 家宣公 )霊廟 奥院唐門
旧国宝。  正徳3年(1713年)造営。  昭和20年(1945年)戦災にて消失。
本殿横の仕切り門を出て西進すると、奥院前の石段に至る。  奥院は唐門・拝殿、一段上がって中門(現存)・宝塔(現存)が一直線に配されていた。
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G有章院殿(7代家継公)霊廟中門・左右廊内部
旧国宝。享保2年(1717)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。   有章院殿霊廟主要部(拝殿・相之間・本殿)の入り口である、中門・左右廊内部より勅額門を望んだ写真。
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H有章院殿(7代家継公〉霊廟勅額門
旧国宝。  享保2年(1717年)造営、昭和20年(1945年)戦災にて焼失。   勅額門左右の外透塀は、霊廟主要部の左右廊に至るまで百七間(約195m)に及ぶ。外透塀奥には門内右手にある鐘楼が見える。
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I有章院殿(7代家継公)霊廟水盤舎及び井戸屋形
旧国宝。  享保2年(1717年)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。   本霊廟は増上寺北廟に、文昭院殿廟と並んで造営された。勅額門を入ると右に鐘楼、相対して左に水盤舎(写真左)、井戸屋形(写真右)があった。
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「 寛永寺 」、「 谷中 」、「 増上寺 」と、徳川家 縁のの霊廟 に参拝しましたが、残るは「 日光東照宮 」となりました。   

其の壱 から 其の参 迄は、ウィキペディア、増上寺ホームページ、ブラタモリ その他8件のホームページを参考にしました。

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