山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 「 江戸歌舞伎発祥の地 」記念碑

<<   作成日時 : 2014/08/24 06:00   >>

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銀座通りを 銀座方面から、京橋3丁目に入る 道路の北側( 東京都中央区京橋三丁目 )に、その記念碑が建っています。  今迄 何回も歩いた道ですが、今回初めて見つけました。  

歌舞伎は,慶長8年(1603年)に、 出雲阿国が 京都で「 歌舞伎踊り 」をしたのが始まりとされています。  その20年後, 寛永元年(1624年)に、 猿若勘三郎が 江戸の京橋付近に猿若座( 後の中村座 )を開設したのが 江戸歌舞伎の始まりとされています。  その後「 女歌舞伎 」は 風俗を乱す という理由で禁止となり、歌舞伎は 男役者( 野郎歌舞伎 )のみで演ぜられる芝居となり、今日に至っています。

碑の中央には 勘亭流の書体で「 江戸歌舞伎発祥之地 」とあり, 和文と英文で 碑文、次の様に書かれています。
寛永元年二月十五日 元祖猿若中村勘三郎 中橋南地と言える此地に 猿若中村座の芝居櫓を上ぐ これ江戸歌舞伎の濫觴也 茲に史跡を按し 斯石を鎮め 国劇歌舞伎発祥の地として永く記念す 」   昭和三十一年七月  江戸歌舞伎旧史保存会
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江戸時代初め、最初の劇場地となった中橋南地は、現在の八重洲通りと、東海道の交叉する所に架かっていた中橋の、南側に当り、現在の越前屋ビルやブリヂストンビルの建つ辺りか、少し南よりの丸善付近ででもあっただろうと推測されています。「 歌舞伎発祥の地記念碑 」を建たてるに当たり、土地を探していましたが、良い場所が見つから、旧地から数百メートルも離れた現在の場所に建てられたもので、実際の発祥の地とは随分離れています。

「 Google Earthで街並散歩( 江戸編 )」に以下の事が詳しく解説されていました。
[1624年(寛永元年)、猿若勘三郎( 中村勘三郎_(初代) )が江戸の中橋南地( 現在の京橋の辺り )に創設したもので、これが江戸歌舞伎の始まりである。  当初猿若座と称し、その後、中村座と改称された。  1632年( 寛永9年 )、江戸城に近いという理由で中橋から江戸歌舞伎発祥の碑[1624年(寛永元年)、猿若勘三郎( 初代 中村勘三郎 )が江戸の中橋南地(現在の京橋の辺り)に創設したもので、これが江戸歌舞伎の始まりである。  当初猿若座と称し、その後、中村座と改称された。1632年(寛永9年)、江戸城に近いという理由で中橋から禰宜( ねぎ )町( 現・日本橋堀留町2丁目あたり )へ移転、1651年( 慶安4年 )には堺町( 現・日本橋人形町3丁目 )へ移転した。  1841年( 天保12年 )12月、中村座からの出火により葺屋町の市村座ともに焼失、天保の改革によって浅草聖天町( 現・台東区浅草6丁目 )へ移転させられた。  この地には歌舞伎江戸三座を含む5つの芝居小屋が建てられ、町名は初代勘三郎に因んで猿若町と命名された。  1884年( 明治17年 )11月、浅草西鳥越町( 現・台東区鳥越1丁目 )へ移転し、猿若座と改称されたが、1893年( 明治26年 )1月の火災で焼失した後は再建されずに廃座となった。  中村座の定式幕は、左から「白」「柿色」「黒」の引き幕だった。  「白」の使用は中村座に限って幕府から特別に許された色であった。   亡くなった 18世 中村勘三郎 の襲名興行や平成中村座の公演などで使用されている。
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1607年( 慶長12年 )は、江戸城内に五層楼の天守閣の落成を見た年である。  この年、徳川家康は、当時京都にあって人気を独占していた「 出雲阿国 」を江戸へ招致して、江戸城本丸・西の丸にある、観世・金春の能舞台で、女歌舞伎を観覧した。
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「 出雲の阿国 」の像が、京都 京阪四条駅の所に建てられています。  ここで待ち合わせする人が結構多いみたいです。   差し詰め 東京の「 ハチ公 」的な存在かも。
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これが江戸歌舞伎の行われた初めで、その後、その亜流が江戸にのぼり、江戸中橋南に小屋掛けして興行を行うようになった。  1622年( 元和8年 )京都から江戸へ下った、歌舞音曲の名人猿若勘三郎は、時の町奉行板倉四郎右衛門に劇場建設を願い出て、四海泰平の御祝という願意が通って、中橋に芝居櫓を挙げたのは実に1624年( 寛永元年 )3月。  座名は始め猿若座で、後に中村座と改めた。  中村座は江戸歌舞伎の開祖だけに、芝居道の種々の慣例を残した。たとえば、最初、櫓の上で人寄せの太鼓を打ったところ、お城に近い場所なので、旗本の登城の太鼓と紛らわしいと禁止されて、舞台で打つことになった。これが今日の着到太鼓の初めである。  1628年( 寛永5年 )4月3日、中橋の歓楽街から火を発して、猿若座その他七軒の芝居小屋が焼失した。  江戸幕府はこれを機会に、劇場街があまりお城に近すぎるとの理由で、1632年( 寛永9年 )5月これらの芝居小屋をすべて称宜町へ移転を命じたのであった。

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