山ちゃんの徒然日記

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zoom RSS 江戸城 復元から判明した「松の廊下」の真実 と DVDラベル

<<   作成日時 : 2014/01/08 08:59   >>

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NHKで「 よみがえる江戸城 」という番組が放送されました。  司会進行は、私の好きな「 久保田 祐佳 アナウンサー 」です。
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この番組では、江戸城 本丸 に就いて触れていますが、事件が起きた「 松の廊下 」の刃傷事件に就いても取り上げて説明していました。   面白かったので 簡単に纏めてみました。   皆さん ご存知だと思いますが、映画や芝居で観た「 松の廊下 」とは 随分と違っていましたよ。

本題に入る前に「 江戸城 と 松の廊下事件 」に就いて少しお勉強します。  江戸城は、度々火災を被り、本丸は 幕末 1863年(文久3年)の火災で焼失したまま再建されず、西の丸に機能を移したまま明治維新を迎えています。

NHKが主体となって 江戸城の研究者達の調査や図面を基に CGで5年間を費やして 床下から 建物を復元しました。   その復元作業の中で、我々が 日頃 頭の中に想い浮かぶ「 松の廊下 」の状態が判明しました。
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江戸城は、豊臣秀吉の命令で 1590年(天正18年)徳川家康が江戸に移り住み、秀吉が亡き後 増築を始め、秀忠、家光に「 50年の歳月 」を掛けて引き継がれて築城されました。  工事に携わった大名は250以上と言われています。  その大きさは 外堀で計ると、東西5.5Km、南北3.8Km。  外堀の長さで 16Kmにも及ぶ巨大なものでした。
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今回 CG化される基になる図面は「 東京都立中央図書館 」に保管されている、築城の責任者「 甲良家(こうらけ)」の書いた「 江戸城関係資料( 国指定重要文化財 で 約600点がある )」の中の本丸( 表 ・ 中奥 ・ 大奥 )を書き留めた図面で、その図面の大きさは「 3.6m x 5.1m( たたみ 11畳 )」で、 縮尺 1/65 で書かれている。  この図面は、何度も焼失した 最後の再建時 1860年( 万延元年 )の図面となっている。   
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又、障壁画等は「 東京国立博物館 」に残る「 狩野派 」が描いた「 伺下絵( うかがいしたえ : 描く前に 事前に 将軍に 許可を貰う絵 )」からCG化している。   これ等の史料から 「 松の廊下 」は 延長 55m、で100本の松が、更に金で描かれた雲や、川、鳥の絵等で 構成されています。
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「 松の廊下の事件( 元禄赤穂事件 )」とは、お復習いすると 1701年( 元禄14年 )3月14日 五代将軍 徳川綱吉( 犬公方として有名 )の時代、朝廷の使者の接待係だった「 赤穂藩主 浅野内匠頭( 以下 内匠頭 ) 」が、幕府の儀式取り仕切り役の元締めだった「 吉良上野介( 以下 上野介 )」を 切り掛かった事件です。   色んな理由が取り沙汰されていますが、接待係は、 元締めに「 謝礼金 」を渡すのが慣例となっていたが、曲がったことが嫌いな 浅野内匠頭は 出し渋って吉良から嫌われ、嫌がらせを受け、そして「 松の廊下 」で発作的に切り掛かって 即切腹、その後 四十七士の討ち入り と言うのが 一般的です。

で ここからが本題です、  話は 戻って 江戸城関係資料によると、一般的に 庭の方は 明るい という固定的なイメージでありますよね(映画・芝居・浮世絵等から)、しかし 実際の廊下は、図面によると「 松の廊下 」の反対側は 庭と思われていましたが、実際は「 開かずの戸板 」で閉ざされており、
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その上段の「 障子 」も 庇(廂、ひさし)が 延びている為に、光が遮られて、廊下の中まで入らない 構造となっている。  
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それ故 明るくは無く、暗い廊下となっています。  
          イメージ的には
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          実際は
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又 事件と当日は、光が 入らない上に、地方「 八藩 」の日記から 推測すると、曇り又は 一時雨が降ふっており、更に 内匠頭が廊下で待機していた時は、何時も以上に 暗かったと思われる。   これから 松の廊下が 今迄のイメージと異なる事が 判る。   芝居等と随分違います。
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では 何故「 刃傷事件 」が起きたのか。  今迄は 嫌がらせの仕返し というのが 通説であるが「 沾徳随筆( せんとくずいひつ )」によると、経費節約の為に幕府の首脳部は 使者を迎える経費を「 千二百両 」から「 七百両 」に削減する旨の 指示を「内匠頭 」に出したらしい。  しかしながら、接待責任者の「 上野介 」は 従来通りの予算で 行う様に 指示。   この板挟みになって 最後 刃傷事件を起こしたと記している。   
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「 内匠頭 」を取り押さえた「 梶川 頼照(かじかわよりてる)」が書いた「 梶川氏日記 」によると。
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当日「 内匠頭 」は 松の廊下で、「 上野介 」は 白書院に待機していた。   
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一方 「 内匠頭 」は「 松の廊下 」で待機していました。
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ただ式の段取りが変更となり、儀式を行う一人「 梶川 頼照 」 が 「 上野介 」を探している事を聞き、白書院を出て「内匠頭 」の前を通り、二人が話し合っている最中に、上野介の背後から 背中に一太刀、眉間に一太刀、そして 更に二太刀と計4度 切り掛かかり、梶川等によって 取り押さえられた。  この「 上野介 」を襲った最初の言葉に「 意趣(人を恨む気持ち)」という言葉を使ったらしい。 
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内匠頭は「 諫懲記後世 」によると「 真面目で 短気 」と記されています。  これも随分 映画等と異なりますよね。
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長い時間 廊下で待たされて、天気も悪く、板挟みとなったのが、事件の原因の一つか、当日 本人は 切腹して果てたので、詳細は不明なままです。

以前 友達と 皇居を訪ねた事がありました。  その時の写真です。
「 大天守閣 」から「 本丸 」方向を望みます。  手前が「 大奥 」となります。
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話に出てきた 「 松の廊下 」の「 碑 」です
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この門は「 平川門 」で、大奥に一番近い門です。  ただ別名「 不浄門 」とも呼ばれ、死人や罪人はここから 出されました。   勿論「 浅野内匠頭 」も罪人として、ここから出ました。
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